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ロックを聴いて育った俺たちは

行動の全ては「反骨心」が基づいている感覚がある。

初めてロックを聴いたのは13の頃だった。衝撃が走った。5人のメンバーが五角形に繋がって見えた。エネルギーに満ちた歌詞は常識を変えた。聴いたことのないサウンドは夢中でグラウンドを走っていた時の興奮に似ていた。そんなロックに憧れを抱きながらも、自分に似てると思った。

人より早く訪れた反抗期。何十周もグラウンドを走る単調なトレーニングや、台形を求める公式がなぜ上底と下底を足して高さで掛けて2で割るのかが疑問で仕方なく、誰かが答えてくれるまで理解することを拒否した。

何回も先生に頭を小突かれた。俺が逆の立場だったら俺もそうしていたと思う。

でも、そういった疑う姿勢は役に立ったこともある。

22になって、毎日弾き続けて150日近く経つピアノも、誰もが「大人になってからでは意味がない」と言ったが、絶対にそんなことはないと信じた。今では自分でも満足するほど弾けているし、他人に聴かせても少しは誇らしく聴こえるほど上達した。思い返せば、英語の勉強を19で始めた時もそうだった。

技術的な問題は時間をかければいつでも解決できる。でも、こういった情熱は二度と戻らないから絶対に失ってはいけない。

「誰にも負けたくない」「自分を信じる」

そんな不明瞭な言葉で俺を救ったのはロックだった。

ダメと言われたら突破したくなるし、1%でも可能性があるのなら自分がその1%に該当すると心から信じられるようになった。

その「反骨心」が、今の夢を作っている。なりたい自分や理想の自分に近づけている。

13の頃の自分が今の自分を見ても、誇らしく彼の前に立てる。

変化が必要な世の中に変化を起こせるのは、常に変化に敏感だった者だけだ。

10代の頃、野心的になるとそれは「無知」だと言われ笑われた。

20代になっても、野心的な姿は「尖っている」と揶揄された。

恐らく30代になっても野心的な姿は滑稽に見えるだろう。他人の意見が理由で、理想の自分から離れるのは悲しいし、自分の人生に対して不誠実だと思う。

そうやって周りを疑って、自分を信じて、「反骨心」を持つことで変化が生まれる。

何かを伝えたい訳ではなく、自問自答しているのかもしれない。

エッセイにも小説にもならないけど、ポエムにはなるだろう。

こんな文章も恥ずかしく無くなってきた。熱い話が好きなんだと思う。

それもロックから学んだ。

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