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第1回 ヨーロッパのネットワーク通信(1991年4月号)

〈おことわり〉

「すがやみつるのただいまアクセス中!」(全96回)は、株式会社アドレナライズより全3巻の電子書籍として、Amazonをはじめとする電子書籍サイトで販売されております。第1回を読まれて関心を持たれた方は、ぜひ電子書籍版をお求めください。

〈第1回本文サンプル〉

 パソコン通信ニフティサーブの会員向け雑誌「Online Today Japan (OLTJ)」と後続誌の「NIFTY-ServeMagazine」に,1991年から99年の足かけ9年、96回にわたって『すがやみつるのただいまアクセス中」というエッセイを連載させていただいたことがありました。

 つい先日,@niftyの方が,その全ページをスキャンしたファイルを送ってくれました。しかも好きなように使っていいとのこと。そこで,同人誌にしようか,電子書籍にしようか……などと考えたのですが,画像ファイルであったため,同人誌にするにしても電子書籍にするにしても,このままでは制約が出てきます。

 そこで画像ファイルをフリーのオンラインOCRサービスにかけてみたところ,けっこうな精度でテキストファイルになってくれるじゃありませんか(その後、GoogleドキュメントのOCR機能を使用)。とりあえず2回分をテキスト化してみましたが,これをまとめればKindleにもなるし,Noteあたりでの公開もできそう。ま,問題は,残り94回のOCR化(テキストの修正が必要)をいつやるかですが,大学の授業の合間を縫って,あるいは退職後の楽しみとして,コツコツとテキスト化を進めてみたいと思います。

 とりあえず1991年4月号のOLTJに掲載された第1回は,こんな内容でした。湾岸戦争が勃発したとき,ちょうどヨーロッパにいて,あちらでの通信事情をまとめたものです。ヨーロッパでは,まだ,音響カプラーが必要だったんだなあ……なんて感慨もありました。文章には,少し手を加えてあります。

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第1回 ヨーロッパのネットワーク通信

●パリダカが読めない

 話は少し古くなるが,1月13日から25日まで,スウェーデン,スイス,フランスの3カ国を取材でまわってきた。ちょうどパリ・ダカール・ラリーが最後のヤマ場にさしかかる頃だ。その結果が気にかかるため,ダイナブックとカプラーも抱えていくことにした。パリダカはフランスと日本のためのイベントなので,CompuServeではニユースが少ない。CompuServeのモータースポーツのパリダカ青報も,毎年ぼくが掲載していたくらいだ。

 そこで頼りになるのがフランスのテレテルだ。フランス政府が無償で国民に配布したテレテル用の端末装置「ミニテル」は,いまでは600万台にもなり,電話番号検索,各種のチケット予約やデータベース,情報サービスなどに使われている。パリダカの情報を毎日伝えてくれる情報サービスだけでも10個近くある。ミニテルのエミユレーターソフトをダイナブックで動かせば,世界中のINFONETという国際回線のノードから,ミニテルネットという専用回線を通じてアクセスできるのだ。

 ところが最初に訪問したスウェーデンでは,電話同線の品質の問題からか,ホテルからカプラーでアクセスしても,まるでダメ。同じINFONETのノードからCompuServeにもアクセスできるのだが,300bpsという遅いスピードでも,コネクトしたとたんに回線が切れてしまう。もちろん,国際電話経由のNiFTY-Serveへのアクセスもダメだった。

 スウェーデンは,諸物価が高く,国際電話の料金もその例にもれない。おまけにホテルから国際電話をかけると,交換機のレンタル料金まで上乗せされるため,すぐにチャレンジをあきらめた。さいわいホテルにはユーロスポーツという英語の衛星放送テレビが入っていて,毎日,パリダカの様子を中継してくれるので,それでお茶を濁すことにした。

●携帯パソコンが朝刊に

 1月16日にはストックホルムからスイスに移動。ジュネーブまで飛行機で,そこからベルンまでは列車の旅。そして,翌朝,テレビで湾岸戦争の勃発を知った。

 といっても,ホテルで見られるテレビのチャンネルの大半は,フランス語やドイツ語でチンプンカンプン。BBCのニュースも見られるのだが,英語の読み書きは,だいぶできるようになっているものの,残念なことに会話はまるでダメ。とくに早口のニュースなどはお手上げだ。

 そこでさっそくCompuServeにアタック。スイス国内のINFONETのノードにカプラーを使ってアクセスだ。CompuServeへのアクセスは,TAPCISという専用ソフトを使う。カプラーを使った場合でも,キーひとつでオートパイロットが可能だ。

 ただし,このときの目的はフォーラムではなくENS(エグゼクティブ・ニュース・サービス)。オートログインした後,オートパイロットを止めてENSのメニューに入ると,すでに「GULFWAR」のクリップホルダーができている。サンフランシスコ地震やパナマ侵攻など,アメリカにとっての大事件が起きると,CompuServe側で専用のクリップホルダーをつくってくれるのだ。

 ここでAP,UPI,ワシントンポストなどのニユースをダウンロードし,次はロンドンのTYMNETのノードに電話をかけて,そこからTYMPASS経由でNIFTY-Serveにアクセス。こちらでは日本語のニユースが読めるのがありがたい。

 海外旅行をしているときに,こんな事件に遭遇すると,情報不足がいちばん恐い。同じホテルに泊まっている日本人も,ロビーの隅で顔をつき合わせて対応を協議したり,中には日本からFAXで送られてきた新聞を読んでいる人もいた。しかし,こちらのダイナブックには最新のニュースが入っている。このダィナブックがこの日から,毎朝の朝刊代わりになって,朝食時にテーブルの上を巡回することになった。

 中東関連のニュースの中には,なぜか松坂慶子結婚の記事まで混じっていた。これが同行の仕事仲間や現地で案内をしてくれた人たちに一番ウケた。ベルンの街は,まだ平和だった。

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●パリのミニテルサービス

 1月19日,ぼくたちはパリへ移動した。空港ではそれほどでもなかったが,ホテルの中ではテロを警戒して,ドーベルマンを連れたガードマンが巡回している。そのホテルに,ミニテルでF1をはじめとするレース情報を提供しているMRS(マールボロ・レーシング・サービス)のスタッフが迎えにきてくれた。

 ぼくたちの「モータースポーッ・フォーラム(FMOTOR4)」は,このMRSからF1情報の提供を受け,反対に日本のレース情報を提供する関係にある。フランスの通信ネットワークである「カルバコム(Calvacom)」でMRSのスタッフと知り合ったのがきっかけで,こんな交流が始まった。ここに掲載されたF1日本GPのリポートも,ぼくが英語で送ったものをスタッフがフランス語に翻訳したものだ。到着日時などは,あらかじめ日本からMRSの電子メールで連絡してあった。

 オフィスは,ホテルから車で3分ほどのところだった。そこで本物のミニテルを借りてMRSに入ると,フランス人スタッフから,次々とウェルカムのメッセージが飛んでくる。次に訪れるリヨンのMRSスタッフに飛行機の到着時刻を電子メールで送り,FMOTOR4のメンバー用にF1グッズのおみやげをもらった後,パリ市内をドライブしながらホテルに戻る。

 パリも5回目なので,観光も買い物もパス。ホテルで取材の途中経過をまとめ,NIFTY-ServeのFAX配信サービスで送信した。

●リヨンで食べた血まみれソーセージ

 土,日曜日をパリで過ごし,21日(月)は早朝にホテルを出発。ボルドーで取材をすませた後,パリに移動する。リヨンのホテルに着いたのは午後9時を過ぎてからだったが,ここでもMRSのスタッフが待っていてくれた。アンドレアとその奥さんだ。

 MRSのスタッフとは,いずれも初対面。パリのホテルではロビーのアナウンスで呼び出されたが,リヨンではアンドレアがマールボロのF1ステッカーを持って待っていてくれた。

 日本のレース情報は,ぼくがFAXで彼のもとに送り,そこで翻訳されてMRSに掲載される。ミニテルのメールは横40字しか入らず,長い文章を送るには不便だからだ。

 赤ちゃんをベビーシッターに預けてきたアンドレア夫妻は,ぼくを典型的なリヨン料理の店に案内してくれた。地元の人たちしか行かない居酒屋のようなレストランだ。そこで,牛の腎臓を血で和えたソーセージにトライしてみないかと訊かれ,即座にOKした。店のウェイターも客も,日本人が食べられるのだろうかと興昧シンシン。あまりおいしいとは思わなかったが,牛の生殖器のサシミだって食べたことがあるので,これくらいはなんともない。

 食事の後は,深夜のリヨン市内を車で駆けめぐり,観光案内してもらった。ネットワーク通信をしていると,世界巾に知入,友人ができる。これも大きな魅力のひとつだ。そんなことをまた実感した夜だった。

●F1ドライバーの家を捜す

 翌日は,またも早朝から取材に出発。それでもこの日は,明るいうちに次の宿泊地アビニョンに着くことができた。

 もうヘトヘトだったが,ホテルに着くとすぐに街に飛び出した。このアビニョンは,いまをときめくF1ドライバー,ジャン・アレジの出身地だ。一昨年の秋,アメリカ西海岸のカリフォルニア州モントレーで行われたレースを取材に行ったとき,彼がフェラーリF40というマシンで走って3位に入賞した。その激走ぶりを写真におさめて日本に戻り,次の週,鈴鹿のF1日本GPに出かけると,彼は,そこでもティレルというマシンに乗って走っていた。レースの翌日,東京に戻る新幹線の車中でバッタリ彼と会い,たまたま持っていたアメリカで撮影した彼のレースの写真をプレゼントすると,名刺を渡してくれた。その名刺に印刷された住所を訪ねていったのだ。

 昨年の好成績が認められ,名門フェラーリにスカウトされたアレジは,たしか,イタリアに引っ越したはずだ。でも,どんな家に住んでいたのかを見てくるのも悪くないだろう。そこで地図を頼りに,彼の住んでいた家を捜しに行ったのだ。

 家を捜し当てることはできたが,やはり表札は,別の人の名前になっていた。-応,記念撮影だけして,ホテルに戻ることにした。彼の父親がこの街で自動車の修理工場を経営しているはずなので,そちらにも寄ろうかと思ったが,さすがにそこまでのエネルギーは残っていなかった。

 取材はすべて終了し,翌日は南仏の観光になっていたが,湾岸戦争のこともあるので,予定を変更してパリに戻ることにした。

 TGVでパリに戻ると,ホテルの入り口でも手荷物のチェックがあるなど警戒が厳重になっている。部屋の電話にダイナブックとカプラーをつなぎ,パリとリヨンで会ったMRSのスタッフに,ミニテル経由でお礼のメールを出した。INFONETを利用した国際回線なので,パリから一度アメリカを経由して,またパリのホストコンピューターにアクセスすることになる。

 パリではアダルトビデオ雑誌を購入した。ミニテルのピンク情報サービスの広告がたくさん掲載されているからだ。もちろんミニテルの研究のためであって,サービスを利用するためではない(笑)。それでも東京に戻ってから,ミニテルのピンク情報サービスでパリジェンヌとのチャット(あちらではメッサジュリーという)を試そうとしたが,残念なことにフランス語がわからず断念した。このミニテルのピンク情報サービスも,咋年から始まった日本のダィヤルQ2のような有料テレホンサービスに入気を奪われているようだ。


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