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自分の雑誌とnoteが書きやすいことの話

誰とは全く知らないのだけれど、このホームページを随分前に見て、メモとしてTodoistに入れたまま、ずっとチェックを入れずにおいてある。

雰囲気とか、本と映画と写真があって、とても素敵。さっき久しぶりに見たときに、編集部月報というのがあって、更新はされていないのだけど、いわゆる編集後記みたいなもので、写真とひとこと添えてある。それを見て、そうかこれは自分の雑誌なのか、とふと気づく。
自分の雑誌、という単語にときめく自分がいることに気づく。自分の雑誌をつくりたいという欲望は大してないのだけれど、なぜかどっきりとする。そういえば昔、好きだった女の子がマンガが上手かったので、また私はまだ出版社で働いていた頃、同人誌を一緒につくろうよなどと話したことを思い出した。そういえば一昨年もZINEの手伝い、といってもリソ刷りをするのを手伝ったくらいで終わってしまったのだけれど、結局はなにか本を作りたい、という欲望があったことを思い出す。それはやはり、自分が編集者として中途半端であったことの後悔と、いまぎりぎり文字や印刷物に関わっている中で、編集者としての心の片隅に矜持があることの、そういったものの亡霊としてあるのだろう。なんか亡霊とか使い始めて自意識過剰になってきたので自分に突っ込めば、それはつまりはやり直しをしたいということだろう。
久しぶりにnoteに書いているけど、このフォーマットが、UIが書きやすいのかもしれない。最近、岡田斗司夫が下の本を紹介する動画をたまたま見て、読んでみたんですよ。

このなかには、やりたかったことを実現するためのメソードのひとつとして、毎日ノートに思いついたこと感じたことをともかくも3頁書く、という方法が紹介されていて。で、先週あたりそれをやっていたのだけれど、とにかく時間がかかる(1時間弱かかる)ことと、目的が埋めることになってしまって、あまりいいのかどうかわからんなあと感じていた。もちろん、自分の欲望だったり、そういうことを気づく瞬間や、ああこういうことを自分が思っていたのだなあというヒントをもらえることもあり、なんとなくひとり精神分析をやっているような、ノートという相手に対して話をして、話すことがないうちに、いままで言ったことがないことを話題にしてしまうような、まあそんな効用があるんだろうかなと思っていた。
ただ、いまこう書いているけれど、ずっとここに書いている方が、自分のことを書いている、書けているような感じはする。これはもしかしたらインターフェイスの問題かもしれないな。

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