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無題としたい抜け感の欲しさと横浜

久しぶりに書く。書かなくなったのは書く必要がなくなったからだろうことと、また、再度書き始めるのは書く必要に至ったということなのだろう。前に書いたのが8月末で、しかもその前はお盆前なので、実質的には3ヶ月弱止まっていたようだ。たしかに、自分の仕事がバタバタとなったのがちょうどその頃でもあるので、止まった理由も理解できる。それが先月末で終わって、調子が戻らないなあと感じながら、やっとここにたどり着くまでに1ヶ月ほどかかったと、そういうことである。それまでに私生活もある程度、おおきく変わってきたのだけれど、あまりうまく接地できない。私生活接地問題がある。なかなか書けないのは、頭が回っていないこともあるけど、自分の中から言葉が出ず、そもそもこの形式がよいのかもよくわからない。そうだなあ、内心を書くのもあれなのかなと思いながら、別の話題を考えている。たとえば、この前横浜に行ったのだけれど、あすこは日本の近代を考えるのに(当たり前ではあるけど)重要な土地だと思った。ペリーが来航した場所であり、また海上保安庁の基地があり、米軍の船が横付けされており、わたしが行ったときには北方領土連絡船の船内見学を行っていた。横浜の海や港が、他国との窓口となることを感じた。もちろん日本の陸上にも、米軍基地がありニュー山王ホテルがあり、海だけではないのだけれど、ともかくも横浜にそういった他の国を感じたのだった。それにつけても横浜はよいところだった。人が集まるにも理由がある。東京にはない、広さと爽やかさがある。そういえば、ほぼ同期が昨日、海のある職場に移りたいとひとりごちていたが、その気持はわからなくもない。海無し県に生まれたので、海への憧れというものはある。そういう「抜け」感をほしかったのかもしれない。なにかうまくいっていない、という閉塞的な、しかしそれを打開するのも億劫となり、疲れてないような疲れだけが、だるさだけが、やる気の減退が続いていた。楽しいともいえず、しかし決定的なことはあったのに。それが難しい。すこし深呼吸しながら、しっかり自分の足を接地し、現実に戻りたいとそう思っている。ちょうど本をばかばか読んだのが10月であった。そういう意味では逃避したかったのかもしれない。すこしリハビリ期間が必要なのだろう。こう書いているうちに、わたしの中の整理整頓ができてきたように、そう感じた。

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