安楽死を考える

児玉真美著『安楽死が合法の国で起こっていること』を読みました。あらたな知見の得られる有意義な読書となりました。「安楽死の合法化について賛成だとか反対だと自分のスタンスを定めてしまう前に、まだまだこの問題については知るべきことが沢山あると気付いてもらえれば嬉しい」と著者は言います。まったくその通りでしょう。

安楽死は英語で "euthanasia" と言います。"eu-" は "easy" 、"-thana-" が "death" というわけで、「楽な死」ということです。ギリシャ語で「死」が "thanatos"(僕ヤバで市川が「(僕が)タナトスです」とか言ってたな)。この "euthanasia" という単語には思い出があって、学生時代に英検1級の二次試験の面接を受けたときのこと。英検1級の面接って、今は知らないけど、私が受けた当時はプリント1枚をぺらっと渡されて、そこに5題くらいのテーマが書いてあって、1つを選んで何分だかのスピーチをして、そこから面接官と質疑応答みたいな形式でした。しゃべりやすそうな医療系のテーマを選んで、スピーチも質疑応答もなんとかこなしてほっとしていたら、最後に雑談みたいなノリで面接官の方が、"Do you know euthanasia?" と質問してきたのです。分からなかったのでそう伝えると、「安楽死」と日本語で教えてくれました。余談でした。

本書ではさまざまな興味深い事柄が記述されていましたが、3つの点にしぼってご紹介しましょう。


①「医師幇助自殺」という選択肢

欧州などでは、euthanasia(安楽死)とphysician-assisted suicide(医師幇助自殺)という言葉が使い分けられてきました。「安楽死」は医療者が薬物などを直接投与して死なせる「積極的安楽死」と、行わなければ近々死に至ることが明らかな医療処置(人工呼吸・透析など)を差し控える「消極的安楽死」に分かれます(我が国では「消極的安楽死」の一部を「尊厳死」と表現することがあります)。「医師幇助自殺」とは、死ぬ目的で処方された薬物を、希望者自身が自ら服薬して死ぬことで、我が国ではあまり知られていないかもしれない。医師幇助自殺は合法だが、積極的安楽死は違法という国/地域も多数あるのです。たとえばスイスです。

「自殺ツーリズム」で有名になったスイスですが、もともと自殺幇助が一部違法でなかったという背景もあり、医師幇助自殺が広まる素地があったようです。死を望む人が「自殺クリニック」を訪れ、医師から死の薬を受け取り、自ら服薬する。最近では、

高齢で加齢に伴う症状をあれこれと抱え、命にかかわる病気があるわけではないけれど人生はもう完結したと考える人や、将来的に家族に負担になることを案じる高齢者の医師幇助自殺が「理性的自殺」「先制的自殺」などと称され、近年とみに増加している。

とのこと。


② 「積極的安楽死」の事例

医師や看護師が直接投薬して死に至らしめる「積極的安楽死」。我が国ではまだまだSFじみたフィクションのように聞こえますが、オランダで2001年に、ベルギーで2002年に合法化され、その後カナダや米国の一部の州、オーストラリア、欧州各国で合法化されるなど、その風潮は徐々に広まりつつあります。

安楽死……皆様はどのような場面を想像されるだろうか。不治の病に侵され、残りの命はいくばくもない。苦痛にさいなまれ、患者も家族も医師に懇願する。死なせてくれと。医師は重々しくうなずき、手にとった薬物を静かに注射する。患者は眠るように目を閉じ、やがて……

まぁそういうケースもあるでしょう。しかし実際はもっとラディカルに、あるいはこういう言い方は不謹慎かもしれませんが、「気楽に」行われているようです。

客観的な数値をご紹介しましょう。オランダで2022年に積極的安楽死で亡くなった方は何人でしょうか。答えは8720人です。全死亡者の5.1%。高齢であるという理由での安楽死が329人。夫婦そろっての安楽死(!)が29組。お隣ベルギーでは2022年に2966人(2.5%)。このうち17%は終末期でなかったとのこと。

ベルギーでの事例ですが、聴覚障害に加えて視力も失うと分かった人が安楽死、性転換手術がうまくいかず安楽死、娘を亡くした高齢女性が悲嘆にくれて安楽死……もちろんこれらはキャッチーな見出しになるような例でしょうが、ちょっと耳を疑うようなケースがまま行われているようなのです。

オランダでは安楽死専門クリニックが設置され、クリニックを受診できない人のために、医師や看護師で構成された機動安楽死チームが飛び回っていると。死神部隊やんか。「こんにちは~、安楽死チームです~、あ、こちらの方ですね~、今日はよろしくお願いします~」って感じなのかな。オランダって小さい国のイメージでしたけど、人口1700万人、面積40000km2でいずれも九州をちょっとでかくしたくらいの規模があるわけです。そんな国で。


③「すべり坂」は存在するのか

安楽死の導入に反対・懐疑的な人たちの主張に「すべり坂」があります。これは著者の造語ではなく、海外の論文などでもたびたび指摘されていることで、最初は非常に限定的だった安楽死の要件が、なし崩し的に緩和され、ようするに「大したことない理由で」安楽死できるようなっていく現象のこと。たしかに著者の紹介する事例では、「すべり坂」が存在しているようにみえる。

安楽死を導入するというのは、つまるところ、誰に安楽死を認めるか、ということです。不治の病? 苦痛? それって誰がどうやって決めるの? 寿命があとどれくらいに迫ったら安楽死? 数ヶ月? 数年ですか? それって間違いなくその寿命なの? 苦痛? 痛みって測れないですよね。本人にしか分からない。本人が死ぬほどつらいと言っているそのつらさを、じゃああなたは安楽死OK、あなたのつらさは死ぬほどではないのでダメね、と選別するわけだ。誰が? どうやって? ってやっていくと、ただ年を取ってやることなくなったから安楽死とか、妻が死んで悲しいので安楽死とか、そういうのもOKになると。分からないでもない。



スイス、オランダ、ベルギー、カナダなど。先日キリスト教の本を何冊か読んだからイメージがついたのですが、プロテスタントの国が多いですね。プロテスタントは自らと神・聖書との対話に基づいて、自分のことは自分で決めるっていう信念みたいなものがあるようなのです。だから、死も、自分自身のもので自分で決めるもの。夫の医師幇助自殺を止めようと妻が裁判を起こすも、裁判所はその請求を棄却した、といった事例もあるとのこと。究極の個人主義は、うらやましくもあり、こわくもあります。

なお、著者の児玉さんは、むろんこのようなタイトルの本を書かれるくらいですから安楽死には否定的なスタンスなのですが、それは、自らが重度障害者の親であるという事実との葛藤から来るものでもあって、本書内でも悩ましい胸のうちをさらりと触れられています。


さて、皆さんは安楽死の合法化に賛成ですか? イエス、ノーで答えられないことは明らかでしょう。議論のとっかかりとしては、医師幇助自殺と、その方法・対象者をどうするか、ではないでしょうかね。



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