私とペリマンニ音楽

 私がフィンランドの音楽について関心を持ったのは、高校生の頃でした。

 フィンランド出身の作曲家ジャン・シベリウスの「フィンランディア」が、フィンランドを独立へ導いた。

 音楽にそんな力があるのか? 好奇心に駆られ、色々調べていくうちに、もっと素敵なモノの存在を見つけました。

 間口の狭い、馴染みの本屋で見つけた、『白夜の国のヴァイオリン弾き』というタイトルの一冊の本。青色のバックに、椅子に立てかけられたヴァイオリンの絵が描かれたその本に描かれていたのが、イーサルミIisalmiという町に移り住み、そこでペリマンニの楽団に参加した日本人の物語でした。

 そして、その中には、主人公である筆者と、ある集会で出会った少女が、言葉ではなく、音楽を通じて心を通わせるシーンがありました。

 音楽の力。心と心を通わせられる力がペリマンニ音楽というものにあるのなら、自分もこの音楽を学んでみようと思いました。

 その想いを胸に、文化人類学科のある大学に進学。民俗音楽を演奏するサークルに入り、まずはアイルランドの伝統音楽や、ボリビアやペルーの民族音楽に触れ、ヴァイオリン(フィドル)、バウロン(アイルランドの片面太鼓)、チャランゴ(ボリビアの弦楽器)を手に取り演奏する一方で、日本で得られる英語で書かれた数少ない資料をかき集め、フィンランドの民俗音楽に関する情報を集め始めました。

 そして今から21年前の2000年夏、大きなチャンスが訪れました。東京と大阪、二箇所で大規模な国際的民族芸能祭が開催されたのです。

 私はその両方に足を運びました。東京の「第二回ワールドフォークロリアーダ2000」では、フィンランドのフォークダンスグループ、「リムパレンミRimpparemmi」のダンサーと知り合うことが出来ました。また、大阪の「西暦2000年 世界民族芸能祭 ワッショイ! 2000」では、アンサンブル、「カレリアの響き」のメンバーにインタヴューを行うことが出来ました。
 それでも、日本で得られる情報はごくごくわずかでした。この2つのイベントを通じて「カウスティネン民俗音楽祭」の存在を知った私は、2001年夏、とうとうフィンランドを訪れることになるのです。

 音楽祭で見たもの、聞いたもの、手に入れたものは膨大で、何とか卒論にまとめ上げてからは、最近まで、永く本棚の中に押し込め、片目で見つつ、触らないようにしてきました。

 しかし最近、パンデミックで多少の時間が出来たこと、機械翻訳のレベルが飛躍的に向上してきたことから、フィンランド語で書かれた資料を読んでみたいという欲求に駆られました。同時に、「クラッシックのヴァイオリン」を習い始め、独学では身に着けられなかったヴァイオリンの奏法が身につき始めたことで、買いためた楽譜集から、演奏できる曲を増やすことができるようにもなりました。

 そして、今こうして、情報を発信しようとしています。

 少しずつですが、続けていければと思います。

※お断り

これから投稿される記事は、DeepLを用いてフィンランド語から英語、英語から日本語へ翻訳したものか、英語の文献を私が直接翻訳したものです。

決して語学能力が高いわけではないので、疑問に思われる箇所があり、原典に当たられたい場合はご連絡ください。また、何分古い文献を基にしておりますので、勘違いをしている箇所がございましたらご指摘いただけますと幸いです。

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