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保育の青春〜上町しぜんの国の神5という人たち

師が弟子を育てるのではない、弟子が師を創造し、その創造を通して弟子は自らを育てる。

上町しぜんの国の神5という人たちとの時間を今振り返ると、そのように思う。

上町しぜんの国保育園が開園したのは2019年の春。その時に、新卒で入職してきた5人の人たちを、戯れ半分に「神5(かみファイブ)」と私は名付けた。某アイドルグループの初期メンバーになぞらえて。

ゆくゆくは、この園の中核を担っておくれ。
一緒にスタートして、育っていこうね。
そんな気持ちを込めて。

私としても初めての園長職。こんなにも年の離れた後輩を数多く持つのも初めて。認可園の立ち上げも初めて。全てが初めてづくしで、思えば彼女たち5人と私とはある意味、相似的な状況にあったのかもしれない。

彼女たちは、当たり前だが多様でバラバラで突飛で明るくて繊細で、方向性というものがまるでなかった。
それはそのまま、私が作ろうとしている園そのものだった。

一人は、コミュニケーションのお化けみたいに、いつもニコニコで誰とでもすぐ打ち解けて、そのくせ自分の気持ちを言うのには覚悟がいって、必ず泣いた。自然と子どももおとなもリラックスできるような人。

一人は、子どもにどう関わったらいいかまるでわからないようで、そのくせ妙に子どもに近くて、子どもたちからは友達の一人と認識されている様子。志望動機は「とにかく家から近いから」。鳥が好きで、子どもがわからないんだったら、鳥と思えば?と言ったら、「ああ、そうか」と深く納得していた。

一人はぶっきらぼうを絵に描いたような物言いで周囲を困惑させるわりに、誰よりも情に厚くて、その情の厚さに自分でも照れがあるのかなかなか見せない。けれども滲み出ている。手先も器用で、おもしろそうなことを見つけるのが上手。そのアンバランスさを小さくまとめずに、そのまま魅力にしているような人。

一人は、私なんてつまらないですから、と言いつつ、ゴミ箱にゴミを遠くからすごい勢いで投げつけて、それ、おもしろいけどね、というと、「あはは」と突き抜けた笑顔を見せてくれる。良心はどこかと問われれば、誰もが彼女を思い浮かべるが、決して堅苦しいわけではない。彼女といれば誰も決して道を大きく踏み外すことはないであろう、そう思わせてくれる人。

一人は入職試験で、リクルートスーツに身を固めた他の志望者が見守る中で、ガールズダンスを踊り、華やかな自由主義者で、だからこそ人に相談するのが苦手で、自分で決めたい人で、5人の中ではいちばん私に似ているかもしれない。だからいちばん心配だ。でも丸くならずに星になれ。

大学から、「この子、青くんの園じゃないときっと無理なんだよ」と言われた子も何名か。「えー」というと、「じゃあ、どんな子がいいの」と聞かれたので「意識低い系」と答えたら「じゃあ、ピッタリだからよろしく。とにかく、人はいいから」とのこと。

始まってみると、そりゃまあ、ヒッチャカメッチャカ、ドタバタ悲喜劇、ショートコントの連続のような日々。でもこっちだって、開園から0〜5の異年齢保育をやる!と唐突にぶっちぎっちゃうような園長だから、全体的にはちょうど良かったのかもしれない。

ああ、神5、言葉は尽きないが、もう一旦さよならだね。君らはこの春に一人、新しい世界に飛び出し、もう一人は夏には文字通り海外へ。

名付け親としては名残惜しいなんてもんじゃないが、面と向かってなんかいうのも、気恥ずかしいから、一周まわってこんなところに書きつけている。

何度説教をしたり、小言を言ったりしたろうか。
酒も一緒にたくさん飲んだ。君らの青春は保育だけじゃなかろうが、君たちの保育の青春は間違いなくこの5年にあったでしょう。

青春というのがどんなに重たく、しんどく、もやもやなものか。だからこそ、君らは時々は5人で誰かの家に泊まりこみでしゃべったり、旅行に行ったり、個別に青春に立ち向かうのではなく、神5として立ち向かっていったようだった。

しんどい俺だったろう、お前らも相当しんどかったから、まあ許せ。俺は俺なりに、君らの青春に賭けていたのだ。

成長なんかという一言では到底言い尽くせない。あちこちに頭をぶつけながら、時にケンカもしながら、同じ時間を生き抜いて、今この春を君らと迎えられたことをまぶしく思っています。

ありがとう。ごめんね。しょうもねぇな。めんどくせぇ。またな!

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