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嫉妬とか妬みとか幸せとか

嫉妬心や妬み、羨ましい。
そんな感情と、世の人々は、どう付き合って生きているのだろう?

数年前、私はこの感情たちを汚い感情と呼んでいた。
これらの感情を、自分の中に持ってるのを絶対認めたくなかったのだ。
しかし、そんな私とは裏腹に、Instagramを見なくてもいいのに見ては、嫉妬と妬みと羨ましさでいっぱいになっていた。

あぁ、私も旅行したい。
あぁ、私もおしゃれなお店でご飯食べたい。
家、建てたいし、自分にもっとお金かけたい。
正直言うと、本当は羨ましがるんじゃなく、
羨ましがられる生活がしたーーーーーーい!
と、当時は本気で思ってた。笑
だから、Instagramを見てはモヤモヤしてたんだなぁと。

じゃー、今はどうなのか。
今も素敵な投稿を見たら、羨ましいし、いいなぁってやっぱり思う。
でも、これは止めた。
その感情たちを、汚い感情って呼ぶこと。
そして、その感情を無かったことにすること。

どうして、そんなふうになったのか。
それは、とにかくどんな生活が羨ましくて、どんな暮らしがしたいのか、
欲望を書き出しまくったのだ。

そして、書いた欲望を見渡して、こう思った。

これって、本当に私が望むもの?
私の幸せって、何?
大きな家を建てて、住むこと?
海外に、年に何回も行くこと?
味音痴のくせに、ドキドキして緊張で落ち着かないくせに、おしゃれなお店でご飯を食べること?
自分にどんぐらい、どんなふうにお金かけたら幸せなん?
誰かに羨ましがられる暮らしを、SNSにあげることが私の幸せ?それ、本気?

私の幸せって、他人からの評価が無いと感じられへんの?
この幸せって、世の中的に言われる”幸せ”っぽくない?
じゃー、私の思う幸せって、何?

そこでハッとしたのだ。
私の幸せは、私が決めたい。
私って幸せって、自分の尺度で、感覚で感じたい。

そう気づいたら、なんか別にこの感情あってもいいかもと思えた。
嫉妬、妬み、羨む感情。
汚い感情が、教えてくれたことは多かった。
でもやっぱり、いっぱい旅行して、美味しそうなもの食べて、綺麗な人で、みんなから愛されていそうな人はいいなって、いまだに思う。笑
これは、紛れもなく私の本音で、他者比較は無くならないようだ。

でも、自分の幸せぐらい自分で決めたい。
そして、自分を幸せにするのも自分でありたい。


とは言え、比べてしまうのが人間で、自分の幸せすらも分からないって時もあるのが現実。
そんな時は、こう思ってみることに私はしてる。

「めちゃくちゃ人間やってんなー!」って。

悩んで、モヤッて、苦しくなって。
不器用に、自分らしく生きてる証。
そう言ってあげたい気がしている。








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