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あきらめどき

PS3が壊れた。本体の電源ボタンを押したらバチンとわかりやすくショートした音がして、その後の静寂に「遂にきたか」と項垂れた。 Blu-rayを再生することができて、テレビ番組を録画できる唯一の家電だった。 PS3はもうとっくに販売中止していて、手に入らないらしい。中古で買うか、いっそのことPS5を買うか。しかしPS5を買ったとて、私はゲームをしない。プレステはただAmazon Primeで映画を観るかBlu-rayでライブかお笑いを観るかトルネで稀にテレビ番組を録画するための

    • 道端に落ちている

      社会から離れた隠居のような生活。 挨拶ができるし、人前でも声が出せるし、話題を振ることもできれば、黙ることもできる。これまでの記憶を遡って、これらが意識的にできるようになったのはここ最近なのではないかと思う。 動き出して間もなく半ば倒れたような状況になり救急車で運ばれた。 これらは与太話。 自分が必ずしも社会の中心にいるべきだとも、いたほうがいいともまったく思わない。 ただ、当たり前のように置かれる尖った小石を見過ごしたほうがいいのか、拾い上げたほうがいいのか。放っておかれ

      • しでかし

        主体と客体について考えてみても自分は客体としての身体を持てるほどおもしろくなく、また主体とするにはあまりにも感覚が剥落していた。 それでも消費されることに対しては明確な嫌悪があるため、どれだけ自己感覚が薄れてしまっても主体で居続けるほかないので、いわゆる生の実感を持たないといけないな、と思った。 そんなことを言っても理不尽な仕打ちに簡単に腹を立ててしまい、あろうことかそれを隠すことができないので、社会は楽しいこともあるが難しいことの方が多い。 怒りを抑えるまで待てるのならば

        • 黄信号の通りについて

          青信号の歩行者用横断歩道を渡っているとき、自分の後ろを軽自動車がけっこうな速さで走り抜けて行ったことがある。 中央分離帯があるわりに車線が少なく道幅も狭い道路で、後背すれすれでもぶつかったわけでもないが、なんにも考えずに歩いていたので少し歩くのが遅ければ、おそらく吹っ飛ばされていた。 あのとき轢かれていたかもしれないと言うよりかはあのとき一度死んだとはっきり思った。 それからずっと、うっかり転んで倒れたその瞬間に、スピードを緩めないまま走る自動車のタイヤがちょうど私の首を轢

        あきらめどき

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        記事

          これでいいのか、どちらでもないか

          「これでいいんだ」と思うことを、自己肯定と捉えるか低い志と捉えるか。 社会通念上正しいと思われる振る舞いは自信を背にしており、その自信は決して羞恥の欠落に因るものではない、と気付いたのはいつだろうか。 視座が異なる他人に自分の観念を持ち出すことはない。そこに介在する隙間がない。 いつでも意味のない相対評価に捉われている。 厚かましく無遠慮であれば、もっと楽に過ごせるとずっと思っていた。 正しくあるべき姿をそこに求めてしまったのが悪かった。 当たり前にできていなければならな

          これでいいのか、どちらでもないか

          さようならを使う機会がない

          「さようなら」という言葉を使うことがない。 「ばいばい」「またね」「じゃあね」。無意識に出るのは同義のふたつで、あえて選ばなければ「さようなら」は出さない。見栄えするので記すことはあるが、少なくとも口語的ではないような気がして口には出すことがない。 思い返すに、小学生のときは帰りの会で「せんせいさようなら」と言っていた。 普段使わない言い回しを声を揃わせて挨拶させる。あれは言っていたのではなく言わされていた。しかし無理強いさせられているだなんて思ってもいないため、なんの疑問

          さようならを使う機会がない

          枝葉

          教科書を捨てた。美術室でどさどさとゴミ袋に詰めたそれは重くて、持った途端に穴が開いた。顧問の先生から譲り受けた絵画技法の本は背負うには重く、しかし大事なもので、早めに持って帰りたかった。 描く側じゃないとはいえ、一応美術に関わる進路を選んだので、冬休み中にスケッチブックを1冊使い切るくらいにはデッサンやクロッキーをやろうと思った。描けないに等しい画力だったが、絵を描くのは嫌いではなかった。 嫌いではなかったが、いつしか鉛筆を持たなくなった。楽しさより上手さを上に置いたからだ。

          【映画】「女神の継承」レビュー

          昨年観た映画の中で最も体力を削られた映画、女神の継承。 この度めでたく円盤化されたのでレビューを書く。 目を背けたいが離せない壮絶な描写の数々。徹底されたビジュアルも見せ方も、圧があって熱量も高い。すばらしい鑑賞体験だった。 上記は公式サイトのトップページから引用した文言だ。 まさにこれ。「比類なき」「怒涛の恐怖エンターテイメント」「狂乱の儀式」、すべてが作品の要素を表している。 この物語はタイの祈祷師一族の日常のドキュメンタリーから始まる。 序盤の日常的な儀式の映像は冗長

          【映画】「女神の継承」レビュー

          とんでもないことでございます

          とんでもない、は「とんでもない」それひとつで名詞として成立するので「ない」を変格するのは誤りだ。 「とんでもない」を敬語にするなら「とんでもないことです」が正しく、さらに仰々しくしたいなら「とんでもないことでございます」と言い換えるのがよろしい。 申し訳ありません、は「申し訳」が名詞なのでここに付く語尾を「ありません」にしてもよい。 さらにかしこまりたいなら「ございません」でもよい。 自分の起こした火種に言い訳しようがなく(申し訳が立たない)、またそれはあるべきことではない

          とんでもないことでございます

          分け行っても分け行っても青い山

          種田山頭火の有名な無季自由律俳句を表題として使わせていただいた。 国語教師が懸命に授業を進めている中、私はノートを取る時間以外、ほとんど教科書か便覧を読んでいた。 特に便覧を読むのは楽しかった。特選集、いいとこ取りだからだ。 その中に俳句のページがあった。 まったく明るくないが、種田山頭火、石川啄木、尾崎放哉。自由律俳句として紹介されていたこの3名の作品は衝撃だった。 五七五じゃない。自由律俳句。そもそも俳句のなんたるかすらをほとんどわかっていないのに、自由律だって。 こ

          分け行っても分け行っても青い山

          今が最高におもしろい、ヤーレンズの話

          この記事はタイトルの通り、今が最高におもしろいコンビであるヤーレンズという漫才師の話をする。 名前だけでもとは言わない。できれば観てから帰ってほしい。 そして言いふらしてほしい。 この記事は単純接触効果を狙っています。 ①3分で観終わるヤーレンズ リンクを貼る。 3分で観終わるヤーレンズ。 覚えてもらえたなら、正直、ここまでで十分である。 ヤーレンズはめちゃくちゃおもしろい。 以下は私から見た彼らとそれにまつわる感想。 お笑いシーンを知らない人間がヤーレンズに出会っ

          今が最高におもしろい、ヤーレンズの話

          友達がいないときにどうしたか

          友達がいないと、ひとりの時間が増える。 それはいいことも悪いこともそれぞれある。 この記事は「友達の作り方」を指南するものではない。その時間をどう使うかについて、自分を例として上げるものだ。 何かひとつ好きなものがあれば自分の救いになるし、もしかしたらそれをきっかけに繋がりができるかもしれない。 私はそれが音楽だった。 息をするように会話ができる人間には才がある。 根本的な、もしくは容易な直し方がわかっているならこんな文章は書かない。 私は何か共通点がなければ致命的に世

          友達がいないときにどうしたか

          【映画】ダイナソーJr./フリークシーン

          今年観た映画の中でも印象深かったドキュメンタリー。 オルタナティブ・ロックという言葉が生まれる前に生まれたバンドの軌跡を観ることができる。それだけでも心躍る。 バンド内の関係性や取り巻く音楽シーンも含め、理解を深められたと共にダイナソーJr.がシーンの中でどういう位置にいたのか?どんな影響をもたらしたのか?を各人の小粋なトークと若干の緊張感でもって知ることができる良作。 誕生、黎明、瓦解からの変形、復活とドキュメンタリーで観られるものはほぼすべて詰まっている。 自分はダイ

          【映画】ダイナソーJr./フリークシーン

          批評と批判は意図して分ける

          表題の通り。 現在において、この場では発信者である私が意図して置いていく言葉に、受け手である読者のみなさんとの感覚に乖離が生まれたとき、その齟齬や誤解を埋めるのは到底無理だと考えた。 なので、きっと大したことではないと思いつつも、そのことについてどう考えているのかを文字に起こした。 ①前置き 「こう思う」や「そう思ったから嫌だった」といった感想や意思表示を、そのまま「批判」や「攻撃」と捉えていただきたくない。 そもそも、個人への攻撃のために文章をしたためたくない。 批判は

          批評と批判は意図して分ける

          見つからない集団主義への逃げ方

          これは何度も書きそうだが、とにかく高校生活が嫌だった。 振り返ると気が付く。思春期以前と思春期真っ只中だったころの記憶をほぼなくしていることに。 具体的にいうとだいたい10代前半から高校生の終わりまで。 あの過剰な集団主義は高校を卒業すると終わる。 あの日の自分に声をかけられるなら、それまでは持ち堪えてほしい、大丈夫だから、と伝えたい。 高校生活。 思いやりも配慮もまったく理解できなかったおめでたさ。とにかく他罰的であった。 まいにち「この乗っているバスが横転して私だけ助

          見つからない集団主義への逃げ方

          語り部としての自己認識

          大人になって社会に出て、それぞれ異なる環境で見てきた景色を近しい目線で話をできる貴重な方々がいる。 移ろい、形を変える現在と、あまり趣味趣向も変わらない私たちの話の矛先は、ついに互いの根幹について手を伸ばすところまで行き着いた。 誰よりも足を止めているのは私だ。 背中を押されて始めたことはなんでもいいから文章を書け、だった。 「Just do it.」 NIKEかあ…エアフォースワン好きだしな……と思った。 記事を書くと、ついつい、文章が、長くなる。 だいたい原稿用紙4

          語り部としての自己認識