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雑文

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道端に落ちている

道端に落ちている

社会から離れた隠居のような生活。
挨拶ができるし、人前でも声が出せるし、話題を振ることもできれば、黙ることもできる。これまでの記憶を遡って、これらが意識的にできるようになったのはここ最近なのではないかと思う。
動き出して間もなく半ば倒れたような状況になり救急車で運ばれた。
これらは与太話。

自分が必ずしも社会の中心にいるべきだとも、いたほうがいいともまったく思わない。
ただ、当たり前のように置か

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しでかし

しでかし

主体と客体について考えてみても自分は客体としての身体を持てるほどおもしろくなく、また主体とするにはあまりにも感覚が剥落していた。
それでも消費されることに対しては明確な嫌悪があるため、どれだけ自己感覚が薄れてしまっても主体で居続けるほかないので、いわゆる生の実感を持たないといけないな、と思った。

そんなことを言っても理不尽な仕打ちに簡単に腹を立ててしまい、あろうことかそれを隠すことができないので

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黄信号の通りについて

黄信号の通りについて

青信号の歩行者用横断歩道を渡っているとき、自分の後ろを軽自動車がけっこうな速さで走り抜けて行ったことがある。
中央分離帯があるわりに車線が少なく道幅も狭い道路で、後背すれすれでもぶつかったわけでもないが、なんにも考えずに歩いていたので少し歩くのが遅ければ、おそらく吹っ飛ばされていた。
あのとき轢かれていたかもしれないと言うよりかはあのとき一度死んだとはっきり思った。

それからずっと、うっかり転ん

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これでいいのか、どちらでもないか

これでいいのか、どちらでもないか

「これでいいんだ」と思うことを、自己肯定と捉えるか低い志と捉えるか。

社会通念上正しいと思われる振る舞いは自信を背にしており、その自信は決して羞恥の欠落に因るものではない、と気付いたのはいつだろうか。
視座が異なる他人に自分の観念を持ち出すことはない。そこに介在する隙間がない。
いつでも意味のない相対評価に捉われている。

厚かましく無遠慮であれば、もっと楽に過ごせるとずっと思っていた。
正しく

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さようならを使う機会がない

さようならを使う機会がない

「さようなら」という言葉を使うことがない。
「ばいばい」「またね」「じゃあね」。無意識に出るのは同義のふたつで、あえて選ばなければ「さようなら」は出さない。見栄えするので記すことはあるが、少なくとも口語的ではないような気がして口には出すことがない。

思い返すに、小学生のときは帰りの会で「せんせいさようなら」と言っていた。
普段使わない言い回しを声を揃わせて挨拶させる。あれは言っていたのではなく言

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枝葉

枝葉

教科書を捨てた。美術室でどさどさとゴミ袋に詰めたそれは重くて、持った途端に穴が開いた。顧問の先生から譲り受けた絵画技法の本は背負うには重く、しかし大事なもので、早めに持って帰りたかった。
描く側じゃないとはいえ、一応美術に関わる進路を選んだので、冬休み中にスケッチブックを1冊使い切るくらいにはデッサンやクロッキーをやろうと思った。描けないに等しい画力だったが、絵を描くのは嫌いではなかった。
嫌いで

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とんでもないことでございます

とんでもないことでございます

とんでもない、は「とんでもない」それひとつで名詞として成立するので「ない」を変格するのは誤りだ。
「とんでもない」を敬語にするなら「とんでもないことです」が正しく、さらに仰々しくしたいなら「とんでもないことでございます」と言い換えるのがよろしい。
申し訳ありません、は「申し訳」が名詞なのでここに付く語尾を「ありません」にしてもよい。
さらにかしこまりたいなら「ございません」でもよい。

自分の起こ

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友達がいないときにどうしたか

友達がいないと、ひとりの時間が増える。
それはいいことも悪いこともそれぞれある。

この記事は「友達の作り方」を指南するものではない。その時間をどう使うかについて、自分を例として上げるものだ。
何かひとつ好きなものがあれば自分の救いになるし、もしかしたらそれをきっかけに繋がりができるかもしれない。
私はそれが音楽だった。

息をするように会話ができる人間には才がある。
根本的な、もしくは容易な直し

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語り部としての自己認識

語り部としての自己認識

大人になって社会に出て、それぞれ異なる環境で見てきた景色を近しい目線で話をできる貴重な方々がいる。
移ろい、形を変える現在と、あまり趣味趣向も変わらない私たちの話の矛先は、ついに互いの根幹について手を伸ばすところまで行き着いた。

誰よりも足を止めているのは私だ。
背中を押されて始めたことはなんでもいいから文章を書け、だった。
「Just do it.」

NIKEかあ…エアフォースワン好きだしな

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選択に必ずしも理由は伴わない

選択に必ずしも理由は伴わない

消費されている。
社会的な立ち振る舞いをすることでただの頭数になることが嫌で仕方ない。

ひとまず今回紹介する曲はこれ。
伝説と言っても過言ではない54-71の代表曲、Ugly Prayを聴いて、一息ついたらはじめよう。

引き算のかっよこさ。
ギターはストローク以外、フィードバックが鳴る。
ひとつの究極体だと思っている。

本題。
半端はよくないな、と思って席を置いていたところから抜けた。仕事で

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いつでも準備はできてんぞ

いつでも準備はできてんぞ

何かが起こればトピックになる。
もちろん世間話の種になる程度のものでいい。
よく思い出すのは通勤時間に起こった以下の話。

混み合う地下鉄の駅で知らないおじさんと揉めかけた。
スーツを着た風貌、見るからに会社員と思わせるには十分なおじさんだ。
乗り換えがシビアな通勤時間だったので皆々がそれぞれの道を急いでいた。
それなのに前述のおじさんは道行く私をわざわざとっ捕まえて「俺の前を歩くな」と文句を言っ

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やたらカーブの道が多いバスの中で

やたらカーブの道が多いバスの中で

spiral chordを聴いて通勤していたとき、眉毛と目が近付いていた。
「大丈夫?」とよく聞かれた。大丈夫、と聞かれたら大丈夫と答えるようにできてんだよ、と思いながら、「大丈夫です」と言った。

何かに対して「嫌じゃないか」とよく確認されていた。嫌そうな顔をしていたんだろう。
そういうときはうたうように口から出る文句として「嫌だと思ったことはない」なんて嘘をついていた。
なにそれ。うるせえな。

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やるかやられるか、そしてS.O.Cruもどき

やるかやられるか、そしてS.O.Cruもどき

文章化した自分の考えを、ひと呼吸置いて顧みることがなかなかできない。
そんなに難しいことかと平生考えるが、現にまったくできていないので、どう考えても難しい。

言葉がなんの抵抗もなくすり抜けてしまう。
話すより先に、その思考より先に、文章にしてしまう。
その後の推敲によって「この書き方は誤解を招く」「文章がとっ散らかっていて意図が分散されている」を出してから気付く。

編集ができる場所だとしても表

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対話できるそのこと自体が、

対話できるそのこと自体が、

得がたく、ありがたい。

歪んだ認知を振りかざす、とても見識があるとは思えないマジョリティを訝しがるポジションでいるふりをして外側から笑われるような人間かもしれない、と考えることがよくある。
これはどうしようもなく不健全だ。いつまでも考えが落ちてこない。
そもそも他者と対話のステージに立つこと自体が難しいことを理解する必要がある。前提として、互いに速度を合わせ、自分が対象物をどこまで理解していると

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