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定年からの人文系大学院生~定年後の生き方を考える(その1)


はじめに

私は大学学部生の時は一般的な就職活動を経験し、サラリーマンとして長年働いてきました。しかし、定年後には自分自身の成長や興味のある分野に挑戦したいと思い、大学院に進学する決断をしました。今回の記事では、大学院進学を考え始めたきっかけや、大学院に入学するまでにやったことを詳しく解説します。定年後の選択肢を広げたい人にとって、参考になる情報が盛りだくさんです。

定年を控えて身の振り方を考えはじめる

サラリーマンで50代も半ばに差し掛かってくると定年後の生活設計を真剣に考えなくてはならないと思った。同期のトップで出世しているような人なら従業員としての定年後も役員の階段をどこまで登れるかを追い求める人生が続くだろう。

しかし、役員など関係ない平凡なサラリーマンである私にとっては、定年は大きな人生の区切りとなる。定年再雇用で続けて働くとしても収入は大きく減るし、会社のなかでの立場も変わる。そうした変化を受け入れる心の準備も必要だろう。

何より残りの人生を悔いのないように過ごすことが大切だと思った。50代に入ってからは、ちらほらと学校時代の同級生、会社の同期などの訃報に接するようになった。祖父と母は70代で亡くなっている。

平均寿命は80歳だとしても、70歳頃から死亡率が高くなってくるし、健康寿命は72歳程度だ。自分も70歳くらいで死ぬ可能性は決して小さくない。死なないとしても健康寿命を過ぎればやりたいことが思うようにできなくなると考えた方がよいだろう。60歳で定年を迎え、仮に70歳で死ぬとすれば残された人生は10年しかない。この10年間という時間をどう使うか、自分はどう使いたいのか。

定年再雇用?

勤務先の会社には再雇用制度があるので、65歳まではサラリーマンとしての仕事を続けることはできる。定年後もそれまでと同じような仕事をして過ごすのはよくある選択だろう。仕事を続ける選択肢は、定年再雇用の他に、定年退職者でも雇ってくれる別の会社に転職するか、自営業を起業するかといった方法もある。

しかし、定年後に転職をするにしても条件の良いところはないだろう。また、以前、会社で新規事業の立ち上げをやったことがあるが、自分は起業家タイプではないと思い知った。仕事を続けるのなら再雇用が環境の変化も少なくて一番ストレスが少なくて良いだろう

そこでまずはいったん定年再雇用で仕事を続けることについて考えた。仕事を続ければ、社会とつながり続けることができ、そのうえ再雇用で減りはするだろうが安定した収入も得られる。定年後の生活についての記事などを読むと、定年退職後、社会とのつながりが切れることで、一気に老け込んでしまい、認知能力が低下したなどの話が出てくる。

サラリーマンをしていると、職場や取引先など、年齢、性別、職種を始め多様な属性の人たちとのコミュニケーションが自然に生まれる。このことは現役の時には気が付かないが意外に健康や若さを保つうえで重要なようだ。

退職してしまうと、そのような関係が切れて付き合ってくれる人もなくなる。会社を退職するときには、たまには遊びに来てくださいなどと言われるが、これは完全に社交辞令であって、真に受けてはいけない。現役の立場で考えれば容易にわかることだ。仕事でくそ忙しいのに、暇なOBが退屈しのぎに会社に来られても困るに決まっている。

そんなわけで古巣の会社に顔を出すわけにもいかず、することがないので、家の中でゴロゴロしてしまう。妻が出かけるというと「わしも」といってぬれ落ち葉のごとくまとわりついて嫌がられる。そんな何のために生きているのかわからないような生活をしているうちにどんどん老け込んでいくという次第だ。

一方で、再雇用だと、元部下が上司になってその下で働くのが屈辱的だという話もよくある。気持ちはわからないではないが、役職とは責任を負うことであり、責任という荷を下ろしたのであれば、新たにその荷を負っている人の指示に従うのが道理である。

この程度の合理的な思考ができず、役職の上下と人間としての上下を区別できない人は、きっと管理職としても大したことはなかったのではないかと想像してしまう。

退職後はゴルフ三昧で過ごすことを楽しみに喜んで早期退職した人の話を聞いたことがある。最初の2~3年は曜日を問わずにゴルフができるのが楽しかったようだが、やがて飽きてだんだんゴルフをしなくなってしまい、退屈して老け込んでしまったということだった。反面教師としてこの話を嚙み締めた。

ではボケ防止のために仕事を続けるか

サラリーマンは真面目に勤めていれば毎月給料がもらえることでは安定した職業だが、時間の自由度が低いのが欠点だ。月曜から金曜の朝から晩まで、会社に出勤するにせよ出張するにせよ、時間を会社に売り渡しているので好き勝手はできない。

出張の新幹線の車中など、多少は自由になる時間もあるが、それでもいつ電話やメールの着信があるかわからないし、目的地で待ち構えている仕事のことが頭から離れるわけではない。好きに使える時間は平日の夜と土日祝だけになる。それとても大きな案件を抱えていれば仕事を完全に忘れることはできない。

定年再雇用では週3日勤務なども可能なようだが、案件を抱えていれば休みの日が増えても結局精神的には開放されることはなく、中途半端だと思った。

この辺りは、きっぱりと頭を切り替えられる人では違うのかもしれない。少なくとも自分は余暇でも仕事のことを完全に忘れることはできなかった。損な性分なのかもしれないが。

退職した今だから正直に言えるが、自分は仕事は決して好きではない。もちろん仕事で成果を出したり、人の役に立ったときには相応の達成感ややりがいは感じる。しかし、仕事のプロセスそれ自体は一般的にあまり面白いものではない。要領の悪い部下を我慢しながら指導したり、嫌な相手と会って相手が聞きたがっていない話をしなければならないこともある。

給料をもらっているのだからきちんと仕事をするのは当然だが、見方を変えれば、仕事とはお金をもらわなければやりたくないようなことがほとんどなのである。

私は仕事の改善や効率化を常に心がけていたつもりだが、それも元をただせばできるだけ面倒なことはしたくない、同じ努力ならより多くの成果が出るようにしたいという思いが根っこにあった。

そんなことなので、先に書いたように残りの人生が10年しかない前提で考えたときに、その10年のうちの5年(定年再雇用でも65歳まで)を仕事に費やすことが自分にとって最善とは思えなかった

しかも、65歳を迎えるときにはまた同じ問に直面するわけで、問題を先送りすることにしかならない。5年、年齢(とし)を取っている分だけ、引退生活の選択肢は減っているだろう。

もし70歳まで雇用が延長されたら、ほとんど仕事だけをやって人生を終えることになる。天職についていると感じている人ならそれで良いと思うが、自分はそうではない。社会とのつながりが多少なりとも維持できるような、仕事中心でない生活は考えられないだろうか。

ただし、仕事をやめると収入はなくなってしまう。これまで述べてきた検討の過程ではお金の心配をしてこなかったが、私の場合、子どもがおらず少々の貯蓄があるのと、妻も正社員として働いていて収入があり、妻の定年はまだ少し先なので、仕事を辞めても最低限の生活費には困らないという条件に恵まれていた。


この後、大学院入学を目指すまでの経過に続きます。お楽しみに!
その2はこちら


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