最近のニュース記事について思うこと

0.はじめに

 ニュースやメディアの劣化が叫ばれて長い期間が経過したように思う。新聞やテレビを筆頭として、かつてマス・メディア(大衆を介在するもの)と呼ばれた、まさに時代を形作るものとしての覇権は影を潜め、今や情報へのアクセス方法や媒体は多様化した。また、メディアによる不正確な情報の発信やフェイクニュースの存在が前面化し、さらに、誰もが発信者となることのできる現代にあって、受け手のメディアリテラシーが試される時代になった。このような急速な変化を背景にしてか、ニュース記事についても、大きな変化が生じてきたように感じる。以下はただのオジサンのぼやきではあるが、最近のニュース記事について思うことを3点ほど述べる。

1.SNSとの関係

 まず、SNSの後追い記事が本当に増えたように思う。SNSで話題沸騰とか、バズっているとか。あのニュース、意味あるんだろうかと思う。たまに母が「SNSで話題ってテレビで言っていたよ」とか報告してくるが、私はそれをSNSで直に知っている。話題を提供するのではなく、話題を浸透させる媒体に変わってきたようだ。

 これに関連し、SNSで話題となったものの返信欄に、各メディアが取り上げたい旨の依頼を出していることがあるが、あれがちょっと片腹痛い。そのくせOKされたテレビ局が放映する段階で「視聴者提供」とかになっていることがあるが、本当に視聴者なのだろうかとか思う。そのSNSを視聴したのはテレビ局の側なのだから、「被視聴者提供」か「視聴者より享受」となりそうなものだが。やはりそこは自分たちのみがマスメディアだという自負があるのだろうか。

2.「」の多用と曖昧化

 次に、「」や””が多く、「」と””の使い分けも分からないという点を指摘したい。一般に「」は日本語、””は英語と習ってきたのだが。さて、「」だけに議論を絞るとしても、社会学を学んだ人間としては、「」を用いる場面は大きく次の4つに分類されると考えている(ほかにもあるかもしれないが、パッと思いついた範囲であるのでお許しいただきたい)。

1.人の発話を示すとき
2.引用を行うとき
3.一般的な用い方でなく、いわゆるの意味で使うとき
4.強調するとき

 これらの用い方に気を遣うことなく「」が用いられていることが本当に多くなったと感じる。結果として4.強調の効果が生まれるため良いと考えているのかもしれないが、社会学を学んだ私のような人間は、上の1.→4.の順で「」の意味に関するあてはめを行う傾向がある。すると、時折悲劇が発生する。
 たまたまリンクをたどって開いた記事であるが、LINE NEWSに

浜崎あゆみ、2人の子どもを公開 貴重な”家族写真”を投稿「人生は美しいと信じたい」(2023.2.11)

というのがあった。
 後半の「人生は~」というのは、浜崎さん自身の発話である1.か、それを引用した2.のどちらかであると判断できる。中盤の”家族写真”が問題である。記事中には浜崎さんが「家族写真」と述べた形跡はないし(1.)、実際の家族写真自体を””で引用することが許されるという日本語上の技法もない(2.)。そうすると、この記事の制作者の意図は4.なのだろうが、私にはどうしてもいわゆる「家族写真」という3.の意味に感じてしまうのだ。だから私は偽装家族だとか不倫だとかを疑ってこの記事のリンクを開き、そして大した内容がないことにがっかりするのである。

 新聞記事でも同じようなことは起きている。数年前に顕著であったと記憶しているが、文頭に「」で関係者の発言を持ってくることで臨場感を出すという形式の記事が乱発されていた。たとえば以下のような形式である。

「小学校のころから歴史問題が理由で、ずっと日本が嫌いだった。日本人と会話すること自体も人生で初めてです」
中国北方の北寄りの地域に住む18歳の男性は、電話口で語り始めた。
男性はその6日前、中国から福島県内のラーメン店に電話していた。東京電力福島第一原発の処理水の海洋放出が始まったことに抗議するためだった。(朝日電子版、2023.9.21)

 この記事についてはその内容からして文頭に当事者の生の声を持ってきた意味は大きいと考える。ただ、以前は記者の声や誰だかわからない総理側近の声などが文頭に入ることもあり、非常に分かりにくいことが多かった。普通に5W1Hで始めるのを基本としていただけないか。
 なお、上の記事のタイトルは

「日本は嫌いだけど」中国から福島に迷惑電話かけた18歳の本音

というものである。ここにも「」が用いられている。

3.タイトルの短文化

 最後に、タイトルを省略しすぎということを訴えたい。
 昔、テレビのタイトルで

白石麻衣さん 脅迫で逮捕

というのがあった。白石さんが脅迫を行い逮捕されたのかと思ったら、白石さんに脅迫を行った男が逮捕されたという真相であった。興味を引きそうな語句を並べてつなげているが、一般的には
SがV1してV2した
という能動態で書かれていると思うはずである。
OにV1したSがV2された、ただしS省略
という受動態の文とは思うまい。これを作った人は英語の並び替えは得意であったが、並び替える際に前置詞を1つ入れなさいと言われた瞬間に問題が解けなくなるタイプの人間であったと思われる。

 続いて日テレNEWS(Web版)から。タイトルには

米ディズニーに野生の…

と書いてある(2023.9.20)。開いてみると、

ディズニー・ワールドに野生のクマ出没「ビッグサンダー・マウンテン」など一時閉鎖 米フロリダ州

と書かれている。それならば…の代わりに熊と書けばいいではないか。同じ1文字なのだし。多分書いたらリンクを踏む人が減るのであろうが、タイトルとしての情報伝達機能が失われている。

 そして極めつけにひどいのが、顔写真とともに

死去

とだけ記載されている記事である(某通信会社のWeb記事)。リンクを開くと、●●という功績を遺したAさんが、●●病のため都内の病院で死去した、●●歳であった、とかいう形式の、一般的な訃報記事が書かれている。他の記事であれば病名とか年齢とかまではタイトルに載っていることも多い。それもないため、他社の記事よりリンクを押して記事の中身を見てもらえる確率は上がると思われる。
 だが、私はそうして記事を見て、ものの数秒で概要を把握し、右上の×を押すとき、自分の行ったことが、流れ作業的にある人物の死を確認し、そして「済」の二次検印を押すように数秒で情報として消費するということであると気づき、その通信社と連帯して今は亡き功労者に不義理を働いたような、ちょっと後ろめたい気持ちに襲われるのである。

4.おわりに

 このほかにも様々な突っ込みどころのある近年のメディアであるが、冒頭に述べた急速な変化の中で、それに即応した活路を見出そうと多くの人が奮闘しているのも事実であろう。そのような多くの人の努力を無視するものではないし、メディアによって違った特性があるのだから、それを十把一絡げに批判するというのがおかしな話であることも承知している。しかし一市民として情報に触れた後に微かな失望を感じることが多くなったというのも事実である。そのような感情の出所を分析し、ただ独り言として吐露したというだけであるから、各所関係者には寛大なご容赦を願いたいが、最後に厳しい感想を吐き出し、結びの言葉としよう。

 興味を刺激することが目的となり、大量に消費するための媒体の一つになったメディア。何度も読み返しその場に戻りたくなるような、いつまでも心の淵に引っ掛かり続けるような、少なくともタイトルの期待を読後感が上回るような、そんな記事は凡そ望めぬ時代になったのだろうと思う。

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