音のない言葉を考えることはできない。
声に出して話したり読んだりする時だけではなく、頭の中で何かを考える時にも音があり、それらの音の繋がるリズムを感じている。
日本語を母語とする者にとっては、5/7を基本とするリズムがごく自然に心地よく感じられる。
これらの言葉の魅力は、意味だけではなく、口調の良さによってももたらされている。
言葉たちが音楽を奏で、私たちはその音楽に耳を傾けて、うっとりするといってもいいだろう。
言葉が奏でる音楽は、和歌や俳句、詩だけではなく、散文に関しても同じ効果を上げる。
さらに言えば、散文では、5/7の組み合わせに、4や8といった偶数の拍を交え、より変化のあるリズムを作り出すこともある。
古典の名作として現在まで愛され続けている作品は、そうした音楽性の素晴らしさによる部分も大変に大きい。
ここでは、心地よい音楽性を感じるため、内容以上にリズム感を意識して、日本語の美を満喫してみたい。
平安時代を代表する二人の作家の文章
鎌倉時代の弾き語りと随筆
室町時代
江戸時代
芭蕉の散文は、俳句の精神性と音楽性を兼ね備えている。
明治時代
漱石は、イギリス文学以上に、江戸時代の文学や漢詩に親しみ、和と洋のバランスの中で創作活動を行った。その影響は、文章のリズムや音楽性にも感じられる。
大正時代・昭和時代
芥川の端切れのよさと太宰のまとわりつくような言葉は対照的に思われるが、流れるような文章という意味では共通している。
最後に、近年の日本で、文章の達人として知られていた石川淳の文章。
とにかく長く、複雑。しかし、江戸文学とヨーロッパ、とりわけフランス文学の素養を十分に摘んだ作家の技は、マルセル・プルーストの複雑に入り組んだ文と比較できるほど。
フランス語の詩句では、6/6のリズムが基本となる。そのために、かっちりとし安定したリズムが好まれる。
その前提に立ち、ヴェルレーヌは、奇数の音節を持った詩句の音楽性を強調した。
このように、ヴェルレーヌの感性は、音楽を奏でるために、奇数の音節を持った詩句を好んだ。
そのことは、5/7の拍に基づく日本語の音楽性との関係で、とても興味深い。