見出し画像

癒やし 大江健三郎 大江光の音楽 村上春樹

ある時期から日本で「癒やし」という言葉が爆発的に使われるようになった。
しかし、その言葉があまりにも一般化したために、いつ頃から、誰の影響で、これほど普及したのか、きっかけが忘れられているように思われる。

私の個人的な経験では、「癒やし」という言葉は、大江健三郎が1980年代に発表した作品群、とりわけ『「雨の木(レイン・ツリー)」を聴く女たち』や『新しい人よ眼ざめよ』などの中で集中的に用いたのように記憶している。
それらの作品群の中心にいる存在は、光(ひかる)と呼ばれる障害を持つ子供。大江自身の子供がモデルになっている。

1994年に大江がノーベル賞を受賞した際の講演「あいまいな日本の私」で、「光の作品は、わが国で同じ時代を生きる聴き手たちを癒し、恢復させもする音楽」と述べた。
その時から、一般のメディアでも「癒やし」という言葉が広く流通するようになったのではないかと思われる。(「癒やし」と「癒し」、どちらの表記も使われる。)

大江光の音楽は、今ではあまり聞かれなくなってしまったが、聴く者の胸の奥まで届く、優しい響きを持っている。

興味深いことに、村上春樹は「癒し」という言葉に強く反発したようだ。
1997年に出版された『ポートレート・イン・ジャズ』の「ビリー・ホリデイ」の項目で、こんな風に書いたことがある。

ビリー・ホリデイの晩年の歌を聴いていると、僕が生きることをとおして、あるいは書くことをとおして、これまでにおかしてきた数多くの過ちや、これまでに傷つけてきた数多くの人々の心を、彼女がそっと静かに引き受けて、それをぜんぶひっくるめて赦してくれるような気が、僕にはするのだ。もういいから忘れなさいと。それは「癒し」ではない。僕は決して癒されたりはしない。なにものによっても、それは癒されるものではない。ただ赦されるだけだ

村上春樹『ポートレート・イン・ジャズ』

「癒し」ではなく、「赦し」。
そして、村上は、ビリー・ホリデイの “when you are smiling”を紹介する。レスター・ヤングと共演した時の演奏。

大江は、光のイノセントを強調し、こう言う。

イノセントという言葉は、inとnoceo、つまり傷つけないということから来ているようですが、光の音楽は、まさに作曲家自身のイノセンスの自然な流露でした。

大江健三郎「あいまいな日本の私」

それに対して、村上は、「もういいから忘れなさい」と歌ってくれるビリー・ホリデイが決してイノセントな存在だとは考えていない。
さらに、赦される側の自分自身についても、イノセントな存在ではないというだけではなく、数多くの過ちを犯し、数多くの人々の心を傷つけてきた人間だとする。

実は、大江も、知的な障害を持つ息子である光の胸の奥には、暗い悲しみのかたまりがあることを認めている。そしてこう付け加える。

しかもその泣き叫ぶ暗い魂の声は美しく、音楽としてそれを表現する行為が、それ自体で、かれの暗い悲しみのかたまりを癒し、恢復させてくれることもあきらかなのです。

大江健三郎「あいまいな日本の私」

そうした一致点はあるにしても、しかし、大江は光のイノセントから出発し村上は傷つける自分から出発する
そして、その出発点の違いが、「癒し」と「赦し」の違いにつながる。


私はノーベル文学賞に興味はないが、それでも次のようなことを考えたりもする。
大江は、川端康成のノーベル賞記念講演「美しい日本の私」への反論として、彼に続く日本人受賞者として、「あいまいな日本の私」を壇上で語った。
もし村上春樹がノーベル文学賞を受賞することがあるとしたら、大江に続く日本人受賞者として、どんな講演をするのだろうか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?