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SNS ムーブメント

とても残念な事件が起きた。テラハだ。
どんなことだろうと、命より重いものはない。


さて、批判されるべきは、無名の攻撃者である。が、そうはならない。一瞬はそうなったろうけど、そうはならない。なぜ?

実体がないからだ。

よく、ネットとメディア、ネットとマスコミが比較される。
そして、そのような比較をする人たちは、基本的に思考が薄い。

メディアは実体がある。
マスコミも実体がある。

ネットは?
何そもそもネットって??

それは場でしかなく、他の実体があるものと比べる対象ではない。
メディアをネットと比較するのは、
ラーメンと宇宙を比べるようなものだ。

その場には無数のサービスがあって、無数のスタンスがあって、無数の思想がある。それを『ネット』の一言でまとめてベラベラ喋る奴のレベルは、薄い。大きな場の中の、都合の良い要素を拾い上げて、都合よく使っているだけだ。

事件において批判されるべき主犯は、匿名の誹謗中傷者たちだ。が、彼らに対する批判は長続きしない、実体がないからだ。他人を批判する資格のない卑怯者であるが、実体がない。いや、卑怯者だからこそ実体が無い。責任を取らせることができないから、バッシングする対象になれないし、長続きしない。

そうするとどうなるか、人々の怒りは実体があるものへ向かう。
 放送局は!?制作会社は!?SNS運営会社は!?
 事務所は!?共演者は!?家族は!?本人!?
それぞれが結果に大小様々な影響を与えているが、これらに非難が向かうのは、本来責任を負うべきであった卑怯者達が実体のない存在であるから。スケープゴートだ。

では、法が改正され、プロバイダが情報公開して存在が特定されたとしよう。それでもやはりその元凶である存在に責任を追わせようとはしないだろう。
なぜ?
素人一般人は、実体レベルが薄いからだ。そして今回のように暇して他人を誹謗中傷している人間は、さらに薄い。叩き甲斐がないし、叩く人たちの分身であるから、叩けない。空虚が空虚と向かい合うことになるから。それは辛すぎるし、卑怯者が向かい合えるわけがない。

そして、一般人含め多くの人はこの獲物を探すバッシングの流れが、この流れと全く同じものこそが、今回彼女を追い詰めた元凶だと理解していない。つまり学んでいない。次の獲物を探しているだけ。

正義しか語れない者が、自分が生んだ訳でもない正義を振りかざして、憂さ晴らしをしているだけ。


ネットりしてんなぁおい



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