我が家の長女独身伝説

正月に帰省しました。
まぁ実家暮らしなので帰省というよりかはおばあちゃんちにいきました!なんですけどね。
親戚一同で集まるというよりは、本当に二世帯で集まっただけですけど、新年の挨拶がてらいろんな親戚に電話をしていろんな話ができて楽しかったです。

電話先は長女独身伝説を作り上げた長女たちです。私が結婚できなければ私が3代目になります。私が一人っ子なばかりに、結婚できなきゃ継げないのが歯がゆいですね。


1代目の話が長くなりそうだから2代目から話させていただきます。彼女は父の従兄弟にあたる人です。この関係にはなんで名前がつくのでしょう。
教師をしています。私が来年からプー太郎になると話しても「最高じゃん」と笑ってくれました。たくさん辛い思いをしてきたから人の痛みがわかって笑ってくれる人です。私の自傷行為が始まった頃、会いたくて会いに行ったこともありました。聞いた話では私と話し方が似ているらしいです。実は数えられるくらいしか会ったことがない人ですが、それでも彼女の暖かさが伝わるくらいには、とても暖かな人で、教育者がみんなこんな人ならいいのにと思います。


そして1代目の独身長女が私の祖父の姉。大叔母にあたる人です。
彼女も遠くに暮らしているので10数回ほどしか会ったことがありませんが、本当に可愛いらしい人で少女のまま大人になったような人です。
女の幸せは結婚して専業主婦になり家庭を守ることだとされていた時代に、故郷を離れ、自立し、生きてきた人です。凄く、かっこいい。
身内贔屓を抜きにしたって本当に美人で、それは80代になった今でも衰えません。
先ほど言ったように本当に少女のままで、大人になったような人なんです。中島みゆきに話し方が似ている。これだけでも可愛らしさが伝わりませんか?決してモテないから独身だったわけではないのだろうと思います。
故郷を離れて、縁もゆかりもないであろう好きな土地にマンションを借りたくさんの本に囲まれて1人で暮らしていました。
社会の当たりも、身内の心配も、今より昔の方が強かったんじゃないかな、と思います。
結婚話が出たことも、ないわけではなく同棲まではしていたが、身内から大反対されたらしく、結婚までいかなかったこと、彼女の両親(私には曾祖父にあたる人たち)はこのせいで結婚できなかったのだと気にしていたらしい、と聞きました。
もうここら辺は本人から聞いたわけではない“聞いた話”なのでアレですが。
本の虫、演劇を見るのが好き、反対される恋愛、少女性。少しシンパシーを感じてしまいます。少女性は私の憧れだけかもしれませんが。
正月に電話した時もお互い舞台が好きなこともあって「私の血も繋がっているのだと思うと嬉しい」と言ってもらえて、どんなに嬉しかったことか。
あんまりよく知らないからこう思うのかもしれないけれど、
純粋な人です、かわいいひと。

彼女が元気なうちに人生のことたくさん聞いてみたいですね、伝記とか書いてくれないかなぁ。ぜひ読みたい。


以上が我が家の長女独身伝説を作り上げた未婚長女達です。

そして私。
人生この先わからないけれどまだ結婚願望はあるので、伝説を覆せるように。
もし伝説を継ぐことになるのであれば、伝説の名に恥じない人生を送れるように。


楽しく生きるぞ〜!!!


2023/03/05追記
後日祖母を通して一代目に自伝の執筆を依頼しましたが、
「瀬戸内寂聴の言葉で、自伝を書くということは銀座通りを裸で歩くようなもの、という言葉があります。私は裸になれません」
と断られてしまいました。残念。
けれども、瀬戸内寂聴の言葉を引用して断る彼女にやっぱり私は憧れてしまうのでした。

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