実質裏垢女子みたいなもん

前書いた記事で、大叔母さんに自伝の執筆をお願いしたら瀬戸内寂聴の「自伝を書くということは裸で銀座通りを歩くようなものだから」という言葉を引用されて断られた、ということを書きました。


それはさておき、ここ最近観劇する機会が多く、感想なんか書き綴りたいなぁと思いつつメモ書きのように書き留めてはどこにも公開せずにいました。
一緒に行った友人はハッシュタグをつけて感想をツイートしており、そのツイートに演出家からリプをいただいたりして、まぁそりゃ感想をもらえるのって嬉しいよなぁと思いつつ、私は何も感想を世に出せずにいます。
関係者の気持ちを考えたら感想はあればあるほどいいはず。わかっている、けれど出せない……。

この媒体で文章を書いておいてなんなんですが、自分の文章を私のことを知っている人に見られるのがちょっと嫌なんです。
いや、それなりに仲が良ければ全然いいんですけれど、文章が長くなればなるほど、キモい気がしてしまって。
もともと文章を書くのが好きな人間なので、読書感想文を書いたりするのは(あくまで書いたりするのは、で指定図書を読むのは別として……)あまり苦なタイプではないのですが、なんといえばいいんでしょう。
私の感想文って平成のオタクの“レポ”そのものなんですよね。
いや流石に←、とか((殴
とかは書きませんけど、滲み出るキモオタが耐えられないというか。
厨二病も完治していないのでそれが滲み出てしまうのも嫌。
自身の文章がとにかくキモくて嫌なんですよ。とてもよそ様に見せたくない。

それからいろんなことを考えているんだなぁと思われるのもだいぶ嫌。
他者からどう思われてるのかはわかりませんが、「あたしゃなぁんにも考えておりません!バカで〜す!✌️」という顔をして生きているつもりなので、あぁ〜意外とシリアスなこと考えて生きてるんだなぁとか思われたくないわけですよ。
まぁ実際浅はかなバカの考えしかないのでまぁその程度の人間ではあるのですが……そのバカがさらに露呈するのも嫌ですね。

でも、自分の文章を誰かに読んで欲しい、私の中身を、考えていることを承認して欲しい、という歪んだ承認欲求からnoteで色々書いているわけです。


知り合いに見られたくないけど、承認欲求を満たしたい、誰かに私の中身を見て欲しい。
最初にした話に戻りますが、自伝を書くということが裸で歩くことと同じなら、ひっそり自分の話を書き綴る私は裏垢女子みたいなものなんじゃないか、と。

服の中を見せるか頭の中を見せるかはその後の人生における影響は大違いですが、黒歴史であるというのは双方同じなので、これからも私の恥ずかしいところをここに書き記していけたらと思います。


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