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喚く女

「私はこの男のせいで風俗で働く羽目になったんだぞ!」

目の前でそう叫んでいる女は誰がどう見ても錯乱状態にあった。
おそらく私に対して叫んでいるように感じたので、「知ってるよ」と小さく呟いてみたが女に届いたかは分からない。

その事実を私は随分昔から知っていた。
おそらく小学生ぐらいの頃に、父親の机にある引き出しの中をこっそりのぞいてしまったことがある。それは何の理由もなく、ただ隠されたものに対する好奇心のみの行動だ。当時はその行動を深く後悔した覚えがある。そのぐらい衝撃的だったのだ。

引き出しの中には名刺のようなものが入っていた。
名刺には露出度の高いドレスを着た女の全身写真が写っていて、メッセージも添えられていた。あなたの肉棒でもっと掻き回してといった内容だ。いまだにハッキリと覚えている。
もちろん当時の私には意味なんて分からなかったけれど、それが何らかのいかがわしいものであることは察せられたし、本能的に嫌悪混じりの罪悪感を抱かずにはいられなかった。

そんなものを見てしまった私は本当にしばらくの間悩み続けた。それは体の中に大きなしこりができたような感覚だった。
大人になるにつれ様々な生き方や考え方、世界を知ることでしこりは徐々に小さくなっていったと思う。そうして最近になりようやく気にすることがなくなりその事実が頭から離れるようになった。が。

女は暴れ続けている。それを父親もとい男が必死に宥めている。女にとってはそれは逆効果のようだが。
かくいう私自身もこうして傍観し状況分析をして落ち着いている風を保っているだけで、その実そうでもしていないとこっちがどうにかなってしまいそうだったからだ。

ずっと言えなかった。
私だってたくさん悩んだけどな。
第三者に暴露するみたいな形で伝えられたくなかったよ。
私だって当事者だ。だって少なくとも昔は家族だったのでしょう。

お父さん、どうしてそんなものを持っているの?
お母さん、どうしてそこに写っているの?

私だってそうやって喚きたかったな。

依然として同じことを叫び続ける女のほうへ半歩ほど歩みを進め、女のおでこあたりを見るようにして声を振り絞った。

「昔から知ってたよ」

小さな小さなその喚きが男と女に届いたかは分からない。


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