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機動戦士ガンダム0079 ククルス・ドアンの島 前日譚「逃れの海」

はじめに

 この作品は、1979年に放映された「機動戦士ガンダム」第15話「ククルス・ドアンの島」の前日譚です。
 2022年に公開された劇場版「機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島」が安彦良和氏の漫画作品「機動戦士ガンダムジ・オリジン」準拠のストーリーだったので、テレビ版だったらどうかな?と思い、小説にしてみました。テレビ版のストーリーに準拠しつつ、ククルス・ドアンが子どもたちと島へ逃れるまでを描いています。

 男は、なぜ戦場から逃げたのか。
 何から逃れようとしていたのか。

 少女は、なぜ逃げなかったのか。
 その男の中に、何を見出していたのか。

 ・・・そんなことを描いたお話です。


前編:海へ


海辺にて

「海だ、海が見えるぞ」
 隊列の前方をゆくザクから通信が入り、回線から歓喜の声が湧き上がる。ククルス・ドアンは思わず目を凝らした。ザクの隊列の先、道はコンクリートの壁に突き当たり左右に分かれている。その壁の向こうに、陽光に照らされたコロニー採光面のように、光り輝く平面が見える。
「海、か…」
 山岳地帯を超えてきた道が平野部に出て、ついに海岸線に突き当たったのだ。ホバークラフトで走行できる陸戦艇ギャロップで移動するはずが、彼らの降下した地域は起伏が激しく複雑な地形で、とてもホバーで移動できそうにない。それでザクで隊列を組んで、延々行進してきたのだ。地球上に降りてから1週間の順化期間、そして4週間の地上演習でようやく地球の重力にも慣れてきたところだ。しかし重力下での移動は激しい振動を伴い、コックピットのパイロットらは一様に疲れ切っていた。
 もう少しで海岸沿いの道路へ出る、というところで隊列は渋滞して動かない。
「よう、ドアン、せっかくここまで来たんだ、降りて、海っていうやつを見てみないか?」
 後ろのザクに乗っているハキムがそう言ったとき、彼はもうコックピットを開いていた。大学で生物学を専攻していた彼にとって、海は憧れの場所だった。すべての生命の源、最初の生命が誕生した場所なのだ。学業途中で志願したのも、ただ、地球に降りてみたいがためだった。硬い路面に降り立つと、後ろから、降りてきたハキムが肩を叩く。ヘルメットを取ると、二人は駆け出した。海に向かって走っているのは、彼らだけではなかった。
 道路脇の防波堤によじ登ると、眼下に海面が広がっている。思っていたより、その色は深く、鈍くみえた。
「なんだ、ここじゃ水平線は見えないんだな」ハキムが言った。海面の向こう側に、山の連なりが見える。ドアンは言った。
「コックピットのナビゲーションデータを見ていなかったのか? ハキム。ここは、この島最大の内湾だ、名前は確か…アリアケ海。向こう岸に見える山は、 火山なんだ」
「へえ? 火山? 原始時代にドッカーンって爆発したりしてたんだ? この辺りは」
「最後に噴火したのは、そんな昔じゃないさ」ドアンが、肩をすぼめた。その破壊力は、すさまじいものだという。地形を変えてしまうほどに。ふと、脳裏にニュースで見た、地球へ落下していくコロニーの映像が浮かんで、消えた。地形を変えるほどのエネルギー、あの攻撃も、そうだ。
「何をやっている! 物見遊山ではないぞ!」
 後続隊の隊長機から、怒鳴り声が聞こえる。ドアンとはキムは顔を見合わせると、慌てて乗機へと戻って行った。市街地は、もうすぐそこだ。遠方に、もうもうと立ち上る黒煙が見える。この島の防御は手薄だ、という情報は本当だった。おそらく抵抗らしい抵抗を受けることなく、市街地へ入ることができるだろう。コックピットのナビゲーションパネルに映るクマモト、という地名を見ながら、ドアンは思った。


スタジオにて

トン、コトトン、トン、トトン・・・
 トウシューズが床をたたく、小さな音が、もう一時間近くも続いている。最初はバラバラだったその音が、次第に一つになってゆく瞬間が、ロラン・チュアンは好きだった。自分が音楽と一体になり、そして音楽が人と人とを一つにしてゆくのだ。
 片脚立ちでターンを繰り返すグラン・フェッテ、最後のターンを終えてポーズをとると、先生は珍しく大きな拍手をし、生徒たちを手招きした。肩で息をしながら、少女たちは先生が口を開くのを静かに待った。
 先生は一人ひとりの顔を見回し、やがて言った。
「大事なお話があります。みなさん。実は今日で、私のこのスタジオでのレッスンは最後になります」
 やっぱり、とロランは眉根をひそめる。昨日、市当局から避難勧告が出されてから、周辺はにわかに騒々しくなっていた。阿蘇の高原地帯に降下し、一帯を占領したジオン軍が北上し始めたというのだ。
「避難されるんですか?」同い年のナオミが尋ねる。
「ええ」と先生は表情を曇らせながら、うなずいた。
「みんなもニュースを見て知っていると思うけど、ジオン軍はもう久留米まで進んできている。この街が、次の目標なのよ」
「でも、」とナオミが言葉を続ける。「久留米に住んでいる親戚が、言ってました。降伏して軍に協力したら、何も悪いことはされなかったって」
「そういう作戦なのよ、ナオミ」先生が言葉を返す。「この街の手前に戦力を集めて食い止める、と市長は言っているけれど…」
 先生はそう言うと、そっと目を閉じた。ロランは、先生の夫が市の重役であることを思い出していた。先生は、スタジオの隅の方に置いてあった箱を持ってくると足元に置き、そこから、包みを取り出した。
「これは、私からみんなへの贈り物です。今日まで、よく厳しいレッスンについてきてくれました」
 そして一人ひとり名前を呼ぶと、かわいいリボンのついたその包みを順番に手渡してゆく。ロランも、包みを受け取った。
「開けてみていいですか? 先生」
 先生が、笑顔でうなずいた。包みを開けると、淡いピンクサテンがスタジオの照明でキラキラと輝いている。そこには、最上級のトゥシューズが入っていた。
 わあっ、と声を上げる生徒たちを見つめて、先生が言った。
「スタジオは閉めるけれど、平和が戻ってきたら、必ずここへ帰ってくるわ。そうしたら、また一緒に踊りましょう、ね?」
 ロランは、手にしたトゥシューズをぎゅっと胸に抱きしめた。
「先生はどこへ?」アンナが尋ねる。
「上海へ渡るつもりよ、飛行機は飛ばなくなってしまったけれど、中国行きの船はまだ運行しているから」
「連邦軍が、この街を守ってくれるわ。そうじゃないの?先生」
「みんなも、ご家族とよく相談して、できるだけ早く、船の動いているうちに避難したほうがいいわ」
 ロランはまっさらなトウシューズを抱きしめたまま、大通りに面したスタジオの窓から外を眺めた。ビルの3階から見るその景色はいつもと変わらず、この街にも戦火が近づいてきているとは、とても信じられなかった。


キャンプにて

「まったく、こっちは一日中コックピットに閉じ込められて行軍だ、疲れ切ってるっていうのに、歩哨なんて、輸送班の奴らにやらせておけばいいのにな」
 ハキムの愚痴に無言でうなずきつつ、ククルス・ドアンは彼らのテントのあるサイトへ戻ってきた。二人の足音を聞きつけて、テントの中から顔を出した小隊長のワシルが手招きをする。テントの中に足を踏み入れたドアンとハキムは、声を上げた。
「どうしたんだ? このビール」
「しかも、冷えてやがるぜ…、ワシル、これひょっとして…」
 黒々とした眉を寄せたハキムに、笑いかけるとワシルは言った。
「おいおい、こりゃ略奪品じゃないぜ。ちゃーんと、店に金を払って買い上げたんだ、我らが部隊長様がな。そしたら店主が、お近づきのしるしだとか言って、奥からしこたま、ワインだのウイスキーだの、高級品を出してきやがった」
 ドアンは、ワシルがつかんでいる茶色い瓶を見た。ラベルには、彼らには判読できないこの地の言語が書かれている。スイートポテトで作った酒だそうだ、といっても甘くはないぜ、とワシルとテントの中の住人らはすっかり上機嫌である。ハキムとドアンは缶ビールを手に、その酒宴の輪に加わった。
 ここまで通過してきた小都市では、ほとんど組織だった抵抗らしきものはなく、ドアンは拍子抜けする思いだった。ジオン軍による地球侵攻作戦は着々と進んでおり、もはや地表の半分はジオンが制圧する勢いだ。住民らは、戦ってすべてを失うよりも占領者に従って平穏に生きる方が得策だと踏んだのだろう。ドアンらの部隊は島の北部、日本海に面した港湾都市を目指して進軍していた。敵はこの先、ダザイフと呼ばれる山地に挟まれた狭隘な場所に要塞を築いて進軍を食い止める、という目論見を立てているようだ。だが、司令部の情報によれば、兵力の差はもはや10:1にまで開いている。ここを抜ければ、一気に港にまで雪崩込めるだろうと彼らは見ていた。目指す大都市、フクオカに入れば、もう、野営ともおさらばだ。戦いを前に、彼らはすでに祝杯を上げているかのような気分に浸っていた。
 そのとき、グレイグがテントに転がり込んできた。ワシルは彼にも酒をすすめたが、首を振るとワシルの目をじっと見つめて、言った。
「大変なことになった…、さっき、本部で耳に挟んだんだが…、おまえら、聞いたか?」
 と、テントの中の数人の顔を見回す。
「聞いてるはずないな、もし知っていたら、酒を飲んで騒ぐどころじゃないはずだ」
「何があったんだ、もったいつけずに教えてくれよ」ドアンが言うと、グレイグは彼の方に顔を向けて言った。
「地球方面軍司令のガルマ・ザビ大佐が、戦死された」
「せ…戦死?」
 彼の言葉の意味することが理解できないかのように、ドアンはポカンと口を開けた。ハキムが言った。
「ガルマ様のおられる北米大陸は、完全にジオンの支配下に入っているだろう? なんでも地元の有力者を集めてパーティ三昧だと聞いたが、違ったのか?」
「俺にそんなことが、わかると思うか?」グレイグが言い返す。ワシルが大きく肩を落として言った。
「デギン公王が一番目をかけておられた秘蔵っ子だぜ? 陛下のご落胆はいかほどか…」
 ザビ家の四男、ガルマ・ザビ大佐はその血筋のゆえに、若干二十歳で地球方面軍司令という地位に就いたが、実質的な地球侵攻の指揮は姉のキシリア・ザビ少将が執っており、作戦への影響はそれほど大きくはないはずだ。
 しかし、その端正な容姿と朗らかな人柄で国民的アイドルともいうべき存在だったガルマの死は、別の面に影響を与えるかもしれない。急にしんみりとした空気になったテントの中で、ドアンはふと、そんなことを考えた。


マンションにて

 ロランの家の夕食は早い。腕のいいパン職人で、彼らの暮らすマンションのはす向かいにあるビルの1階でベーカリーを経営する父親が、夜明け前の3時ごろから仕込みを始めるからだ。高校から帰ってきたロランがキッチンをのぞくと、母親がもう夕食の支度をしているところだった。父親はその横のリビングでコーヒーを飲みながらテレビを見ている。
 いつもと変わらないその光景は、むしろロランを困惑させた。途方に暮れた表情で二人を見つめているのに気づいた父が口を開いた。
「どうした?ロラン。何かあったのか?」
 ロランは、どさっとカバンをソファに置くと、父親の隣に腰掛けた。
「明日から、学校は休校だって。ジオン軍が、もうすぐそこまで来ているから、シェルターへ入るか、あるいは東京方面へ避難した方がいいって。バレエの先生は、家族で中国へ避難するって言ってたわ。お父さん、うちはどするの? このまま、この街にいて大丈夫なのかしら」
 父親は、マグカップをテーブルに置くと、言った。
「奴らの目的は、港湾と空港を抑えてここに橋頭堡を築き、中国大陸へ侵出することだ。だから、できるだけ無傷でこの街を占領したいと思っているはずだ。現にここまでのところ、熊本も久留米も、ほぼ無抵抗で降伏を受け入れられた。我々がすべきことは、忍耐して連邦軍の反転攻勢の時を待つことだ」
 ロランは、浮かない顔で視線を落とした。
「父さんの言うことに、納得がいかないか?」優しい口調で、父親が言う。ロランはあまり、自分の気持ちを言葉にするのが上手ではなかった。相手が感情的になると、心を閉ざしてしまう。父親はそんな彼女の性格をよく知っていた。
 父親の方へ顔を向けると、ロランは口を開いた。
「だって、地球にコロニーを落とした、そしてたくさんの人が死んだのよ。あのジオンのギレン・ザビって人、地球連邦をすごく憎んでいるみたい」
「確かにそうだ。だがロラン。たとえ相手がそうだからといって、同じように彼らを憎んではいけない。悪いのは、あの独裁者なんだ。それに敵だって、腹が減る。父さんの仕事は、パンを焼くことだ。相手が誰であろうと、命をつなぐためには必要なものだ」
 そしてロアンの手に、その骨ばった大きな手を重ねると、言った。兵士たちが市街地に入ってきたら、ご近所さんたちと地下のシェルターに入って静かにしていなさい、乱暴をされるといけないから、と。ロランは、その手を握り返すと、表情をやわらげて静かにうなずいた。お父さんと一緒なら、きっと大丈夫。この父の優しさが、敵の心にも届けばいいのに、と彼女は思った。
 彼らはまだ、敵将が戦死したことを知らなかった。


前線にて

 チクシノの山と山の間の2キロメートルほどの平地にバリケードを築いた連邦軍は、ジオン軍の進軍を食い止めるべく、地対空ミサイルや対戦車ミサイルを打ち込んできたが、ミノフスキー粒子により誘導兵器が無効化され、レーダーやGPSにも頼ることができなくなった状態では、そうした遠隔攻撃は恐るるに足りなかった。近接攻撃を試みるべく飛来してきた戦闘爆撃機は、爆弾を投下する前にほぼ、ザクとマゼラアタックの砲撃で撃ち落とされ、連邦の防御擁壁は風前の灯に見えた。
 出撃前、部隊長のリムスキー大佐は全軍を召集し、作戦行動について説明をしたあと、正式に、地球方面軍司令のガルマ・ザビ大佐が戦死したことを明らかにし、言った。
「これは一般国民には公表されない情報だが、ガルマ司令の部隊を攻撃したのは、ルナツーから降下してきた連邦軍の最新鋭戦艦。連邦にはなかったはずの、モビルスーツを搭載していた」
 直立不動で話を聞いていた兵士らは誰一人言葉を発しなかった。だが、言葉にならない衝撃が、その場の空気を変えていた。
「しかし、我々ジオン軍は北米大陸を完全に掌握し、地球で最も広大なユーラシア大陸の中央部から東西へ、その勢力を今もなお拡大している。ガルマ大佐は、日本列島を橋頭堡として中国・東アジア地域へ進出、いまだ連邦軍が戦力の多くを残すヨーロッパ地域を、北米とユーラシアから挟撃し、南米のジャブローを孤立させるよう命じられた。その命令によって立てられた作戦は、今なお進行中である」
 静まり返った隊列の前で、リムスキー大佐は、その声にいつもにはない熱情をこめて語った。
「我々の部隊は、これから目前の連邦軍の防衛隊を突破、一気に北上してフクオカを攻め落とし、その空港と港湾、船舶を確保する。そして、都市を完全に占拠しジオン化する。この都市の住民の命をもってガルマ様の命に対する償いをしてもらわねばなるまい。諸君、この戦闘が、我々のガルマ様に対する弔いとなるだ」
 そして今、ククルス・ドアンはザクIIのコックピットにいた。ザクマシンガンとヒートホークという標準的な装備に加え脚部には三連式のミサイルランチャーを装着していた。さらに「クラッカー」と呼ばれる手投げ式のクラスター爆弾も携行しており、モビルスーツ1機あたりの火力は、これまでの気楽な行軍のときの装備とは段違いになっている。
 彼らの小隊の上空を、長距離ミサイルが爆音を響かせて飛行してゆく。連邦軍のバリケードが突破され、無差別攻撃が始まったのだ。
「ドアン、いよいよおれたちの時代が来たようだな」
 通信回路から、同じ小隊のハキムの声が聞こえた。
「連邦軍も、いよいよモビルスーツを実践投入か。そんなこともあろうかと、モビルスーツ戦を想定した戦闘訓練をしていた甲斐があった。出てきたら、俺とおまえとで星をあげてやろうぜ」
 ドアンは、自分と違って高揚を隠さずにいるハキムに、ヘルメットの中で苦笑した。そこへ小隊長のワシルが割って入る。
「勘違いするな、大佐の演説を聞いただろう? 俺たちの任務は、焦土作戦だ。ガルマ様に対する報復の血だ。そして、あの街を俺たちのものにする。ありったけの弾をぶち込んでやるんだ。いいな?」
「了解!」
 威勢良いハキムとは反対に、ドアンはすぐに言葉を出すことができなかった。報復の血? それを言える自分たちだろうか。すでにコロニー落としで、どれだけの血が流されたか、ガルマ大佐も知らなかったわけではないだろうに。
「わかったか、ドアン」
「…了解」
 重くなった口を開いて、ドアンは一言返答するのが精一杯だった。


ベーカリーにて


 学校が休校になり、昼間一人で自宅マンションにいるのが少し怖かったので、ロランはここ数日、毎日父親の経営するベーカリーを手伝っていた。まだ市街に残っている従業員数人も、子どもを連れて店に出てきている。クム、チヨ、タチという3人の子どもたちの面倒を見るのが、ロランの仕事になっていた。ベーカリーは大通りに面したビルの1階にあり、地階は地下街に通じていた。そこからすぐシェルターへ行けるため、自宅にいるよりいくらか安全だったのだ。
 仕事場では、警報が出たらすぐ避難できるよう、テレビがつけっぱなしになっていた。筑紫野に構築された連邦軍のバリケードはいとも簡単に突破され、撤退してきた連邦軍の戦車や装甲車は、市庁舎とその周辺の防御を固めることに徹したようだった。
 そんなニュースを伝える画面が突然切り替わり、ロラン・チュアンは息を飲んだ。画面中央に、巨大な遺影が映し出されている。やがて壇上に現れた男を、ロランは知っていた。ジオン公国軍総帥、ギレン・ザビ。この戦争を始めた独裁者だった。
 遺影の前で、男が声を張り上げて演説を始めた。その声に、父が作業の手を止めた。ロランは、その画面から目をそらすことができなかった。遺影となっていたのは、優しげな微笑みを浮かべた青年だった。
「ガルマといえば、ザビ家の四男坊だったな」ボソッと呟くように、父親が言った。
「…戦死…したのか?」
 ギレン・ザビの演説は佳境に入り、白い手袋をはめた拳を振り上げて、いよいよ声を張り上げている。

 …ガルマは、諸君らの甘い考えを目覚めさせるために死んだ。
  戦いはこれからである。
  我々の軍備は、ますます整いつつある。
  地球連邦もこのままではあるまい。
  諸君の父も兄も、連邦の無思慮な抵抗の前に死んでいったのだ!
  この悲しみも怒りも、忘れてはならない!
  それを、ガルマは死をもって我々に示してくれたのだ!
  我々は今、この怒りを結集し連邦にたたきつけて
  はじめて真の勝利を得ることができる。
  この勝利こそ、戦死者すべてへの最大のなぐさめとなる。
  国民よ!立て!
  悲しみを怒りに変えて
  立てよ!国民!
  ジオンは、諸君らの力を欲しているのだ。

 テレビの前に立ち尽くし、ロランはその演説を聞いていた。ふと父親を見ると、その顔が真っ青になっていた。

 ジーク・ジオン!
 ジーク・ジオン!

 けたたましい歓声が響き渡ると、ロランは思わず身震いをした。父親が、テレビの電源を切り、仕事場は静寂に包まれた。
「まずいことになったな」父親が言った。
「どういうこと?」
「デギン公王の愛息子が、連邦軍に殺されたんだ。これまでのように、無血開城というわけにはいかないだろう。きっと怒りにまかせて、この街も報復攻撃にさらされる」
「殺したのは、私たちじゃないわ」
「敵にとっては、同じことだ」
 そういうと、彼は数人の従業員を呼び集め、家に戻って地下街のシェルターへいつでも避難できるよう準備するように言い聞かせた。
 その日の夜、ロランは初めて砲撃の音を聞いた。


大通りにて

 モビルスーツ部隊はついに、海に面したこの島最大の都市、フクオカの中心市街地へ入った。陸戦部隊が到達する以前に、すでに数回の空爆を受けた市街地には、ところどころに崩壊し、あるいは火災に見舞われた建造物が見えた。道路には、目前に現れたザクの姿を見て停車し、あるいは方向を変えて逃げ去ろうとする車両があふれていた。道ゆく人はその巨体を指差し、叫び声を上げている。
 ククルス・ドアンのザクIIを先頭に、彼らの小隊は隊列を組んで大通りを市の中心部へ向かって進んでいた。ザク頭部を狙って、ビルの窓からバズーカ砲を構える連邦軍兵士の姿が見える。メインカメラを破壊することで、ザクの動きを止めようとしているのだ。そんなことをしても無駄だ、やめてくれ、とドアンは心の中で叫んでいた。ハキムのザクがそれを見つけて、ザクマシンガンを撃ち込んだ。兵士は命中して砕け散ったビルの壁面とともにどこかへ消えた。
「気をつけろ、ドアン。相手は建物の中からでも、俺たちを狙ってくる。容赦なく撃つんだ」
 ワシルが言った。
「そうだ、ドアン、こんなふうにな!」
 そう言うとハキムは、通りの左側に立ち並ぶビルやマンションに、マシンガンを撃ち込んでゆく。すると彼らを狙って迫撃砲が飛来し、落下点に大穴を開けた。彼らの小隊は、ところ構わずマシンガンを乱射し始めた。市街地のあちこちから、もうもうと煙が上がり、火災の中を人々が逃げまどっていた。
 ドアンは、通りの向こう側から連邦軍の61式戦車がやってくるのを見て、ようやく落ち着きを取り戻した。宇宙での戦闘では、砲弾を撃ち込む先はもっぱら宇宙戦艦で、そこに乗り組んでいる人間の姿を見ることはなかった。いたとしても、それは正規の軍人のはずだ。だからドアンは躊躇する必要を感じなかった。だが、ここでは違う。目の前に広がっているのは人々が働き、買い物を楽しみ、寝食をともにする生活の場なのだ。その場を占領するため戦わねばならないにしても、せめて彼は敵の兵器を狙いたかった。
 彼は脚部のランチャーから、ミサイルを放った。

 敵のモビルスーツが、ズーン、ズーンと足音を響かせながら大通りを歩き始めたとき、ロランは父のベーカリーで、焼きあがったパンを梱包する作業を手伝っていた。シェルターに避難した人たちに何か食べるものを提供したいと、父親はギリギリまで作業を続けていたのだ。
「ここはもういい、ロラン。クムとチヨ、タチを連れて、地下のシェルターへ避難しなさい」
「わかった」
 ロランは家から持ってきた避難用のリュックサックを背負うと、仕事場にいたチヨの手を取った。だが、クムとタチが見当たらない。
「ねえ、チヨちゃん。クムとタチはどこへ行ったの?」
「あのね、危ないからダメって言ったのに、二人はお外へ出てっちゃったよ! モビルスーツが見たいからって!」
「なんてこと!」
 そう言うと、ロランは慌てて仕事場からガラス張りの店内を通り抜け、ベーカリーに面した歩道へ飛び出した。あとから、チヨもついてくる。
 クムとタチは、店から数メートル先の街路樹の下で、向こうからやってくるモビルスーツを見ていた。思わず、ロランは声を張り上げた。
「タチ! クム! 何やってるの! 早くこっちへ!」
 ロランが二人に駆け寄ったとき、ゴウッと耳を擘くような音がして、路上を低い弾道で、砲弾が飛んでいった。ロランはありったけの力で子ども二人を抱きかかえ、建物の方へ飛び退さった。彼女のあとを追ってきたチヨが、必死で彼女のTシャツの裾をつかんでいる。それに続いて爆発音が響き、彼女は爆風が巻き上げた砂埃が吹き飛んでゆくのを背中で感じた。
 ギン!
 近づいてきたジオン軍のモビルスーツの頭部のモノアイが、怪しい光を放っている。強くしがみついてくる子どもたちをかばいながら、ロランは恐る恐る顔を上げた。その瞬間、彼女はそのモビルスーツと「目」が合った。そのモビルスーツは、武器を持っていない方の腕を、前後に動かした。まるで、逃げろと言っているかのようだった。

 ドアンがザクIIの脚部から放ったミサイルは連邦軍の戦車に命中し、彼らの小隊はその攻撃を免れた。だが、後続がやってくる。それに、高層ビルから打ち下ろしてくる砲撃が厄介だった。頭部のモノアイが破壊されたり、脚部に損傷を受ければ行動不能になる。その場合はその場で「砲台」になれ、と部隊長から指示があったが、そんな事態は避けるにこしたことはない。
 そのとき、彼の目に公道脇の歩道でうずくまる子どもたちの姿が映った。後続のハキムやワシルは容赦なくザクマシンガンを撃ち込んでいる。前方からくる連邦軍の戦車、高角度から打ち込まれる迫撃砲に被弾する恐れもある。
「に、逃げろ、早く!」
 思わずドアンは叫びながらザクの手で合図を送った。あの戦車がこちらを砲撃する前に仕留めなければならない。ドアンはとっさに、そうすれば子どもらを向こう側の砲撃から守れると思った。そして、無我夢中で、向こう側から押し寄せてくる戦車群に、ザクマシンガンを撃ち込んだ。
「そうだ、ドアン! やれ、動いているものは全て撃て!」小隊長のワシルが、通信回路の向こうで叫んでいる。その言葉が彼の心を動揺させ、彼の手元を狂わせた。ドアンのザクが放った砲弾は、通りに面した店舗に飛び込み、その建物をめちゃくちゃに破壊した。

 

廃墟にて

 日が暮れて、夜になった。敵モビルスーツの砲撃でめちゃくちゃになった父のベーカリーに、ロランは身を潜めていた。クム、タチ、チヨの3人の子どもも一緒だった。一度爆撃されたところに、もう弾は飛んでこないだろうと思ったからだった。
 爆風で飛んできた破片で切り傷を負ったほかは、ほどんど怪我をしなかったことが奇跡に思えた。ロランはベーカリーだった場所の瓦礫の中に飛び込み、父と母の姿を探した。しかし什器の下敷きになった姿を見つけ出しただけだった。3人の子どもたちの親も、変わり果てた姿でそこにいた。あまりのことに、呆然として涙も出なかった。
 頼れる人が、誰もなくなってしまった。ロランはどうしていいのかわからず、途方に暮れた。 シェルターに行くべきだったが、行きたくなかった。そこに入れば、二度と地上に戻ってこられない気がした。それに、父と母の骸をそのままにして、立ち去ることも気が引けた。
 まだ、爆撃の音が散発的に続いている。目の前の大通りには、ザクの隊列がそのまま留まっていた。降りてきた兵士たちは、今夜はここでビバークするようだ。人気がなくなり、爆破を免れた通り沿いの店に入っていき、そこで手に入れた食料品や酒類で、彼らの勝利の宴が始まっていた。
 もし、ここにいることがわかれば、敵に殺されるかもしれない。ロランは父の仕事場の床に落ちていた包丁を見つけると、その柄をぎゅっと握りしめた。

 ドアンらの小隊は、占拠した大通りで補給車両を待ちつつ夜を明かすことになった。伝令のグレイグが軍用エレカでやってきて、彼らに現況と明日の作戦行動について説明していた。意外にも連邦軍の抵抗は激しく、市の中心部から港湾方面への防御ラインを突破するのに手間取っているという。それに、補給部隊の車両が市街地内で渋滞していた。海に近づくにつれ、多数の河川が集まってくることをコロニー育ちの彼らは知らなかった。川に架かる橋のいくつかは落とされ、行き詰った車両が立ち往生していたのだ。
 夜が深くなっていた。補給を待ちくたびれた兵士たちは、やがて略奪品を集めてそこかしこで飲み食いをし始めた。ドアンはその輪には加わらなかった。自分の放った流れ弾によって爆破されてしまったあの店が気になって仕方がなかった。すぐそばにいた子どもたちは、どうなっただろう。
 彼は自分の機体のそばから離れて、爆撃の跡を見に行った、店舗は廃墟と化していた。通りには、兵士らの他に人影は見当たらない。彼はガラスが割れ、壁が崩れ落ちたその店舗の中へ足を踏み入れてみた。
 店は手前に売り場とイートインがあり、奥に調理場があるパン屋のようだった。ドアンは、そこに誰もいなかった、という安堵感を得たかった。店舗部分の崩れた瓦礫の中には、人がいた形跡はなかった。彼は足元の瓦礫を乗り越え、その奥の調理場に懐中電灯の明かりを向けた。
 静まり返った廃墟に、ザッ、と人が身動ぐ音が響く。ドアンははっと息を飲んだ。見たくないものを見てしまった。そこには何体かの遺体が横たわっていた。それだけではなかった。生きている者の呼吸音が聞こえた。ドアンが向けたあかりの向こうに、ナイフを握りしめた少女と子どもたちがいた。
「…何しているんだ、こんなところで」
 言葉に窮したドアンは、そんなことしか言うことができなかった。
「来ないで!」
 少女が低い声で叫んだ。ナイフを握る手が、震えている。ドアンは腰をかがめて体を低くすると、言った。
「ここにいてはいけない。夜のうちに、逃げるんだ」
 少女は、身じろぎもせず彼を見つめている。少女にしがみついていた男の子が、そばに落ちていた瓦礫の破片を彼に投げつけ、ドアンの頰を傷つけた。彼はもう一度、繰り返した。少女はゆっくり、やがて激しく首を振った。
「ジオンは敵だ、あっちへ行け!」男の子が叫ぶ。その横で、女の子がしくしくと泣き始めた。少女がかすかな声で言った。
「どこへ行けっていうの? 父と母がまだここにいるのに。この子たちの親も…」
 その言葉で、ククルス・ドアンはすべてを悟った。瓦礫の中から引きずり出されたその遺体は、彼らの家族だったのだ。
 力なく腕を下ろした少女の手から、ドアンはナイフを奪うと、もう一度繰り返した。
「夜のうちに、逃げるんだ。…明日、この一帯が掃討される前に」

 逃げるんだ、そう言う敵兵の言葉に、なぜかはわからないが、ロアンはこう言い返していた。
「あなたは、どうするの?」
 兵士が、口を閉じた。
「あなたは、どうするの? 明日この街を、仲間と一緒に焼き払って、残っている人たちをみんな殺してしまうの?」
 敵兵は首を振ると、言った。
「おまえには関係ない」
「じゃあ、なぜ私たちに逃げろ、なんて言うの?」
 敵兵は、黙っていた。ロランはじっと、その目を見つめた。勝ち戦を戦っているとは思えないほど、悲しい目をしている、と彼女は思った。
 やがて敵兵は口を開いた。
「おれは、女や子どもを殺すために地球へ降りてきたんじゃない。だが、命令が出ているんだ。逆らうことはできない」 
 ロランはふと、床の方に視線を落とした。産卵した瓦礫にまじって、父親たちが焼いたパンの袋が散らばっている。彼女は立ち上がると、その一つを拾って敵兵に手渡した。
「なら、あなただって、逃げてもいいんじゃない?」
「そうはいかない」敵兵が言った。「脱走兵は、死刑ときまっている」
 暗闇の中に、沈黙が沈んでいった。敵兵は、手渡したパンの袋をじっと見つめていた。
 静かな声で、ロランは言った。
「同じことじゃない、あなたにとっては。逃げて死刑になることも、明日私たちを命令通りに焼き払うことも」
「何を言っているんだ」敵兵が言った。
「とにかく、逃げろ」
「あのね、私が言いたいことは、あなたが逃げないでいると、生きていても魂が死んじゃうってことよ」
 敵兵が、立ち上がった。ロランは、もう何も怖くない、という気持ちになっていた。敵兵は外へ出て行き、息をひそめるようにしていたクムとタチ、チヨがふうっと安堵のため息をついた。
 敵兵が、また中に入ってくると、ロランに言った。
「エレカの運転、できるか?」
「え、ええ。街のシェアカーみたいなやつなら」
「それで十分だ。表に軍用エレカが停めてある。それに子どもと乗って行け。南の方へ行ってはいけない。北側の、港の方角を目指すんだ」
「…でも」
「おれは、ザクで後をついていく。それでいいか? 地理がよくわからないんだ。案内してくれ。いいな?」
 ロランが、うなずいた。

 小隊の連中は、夜の帳に包まれて、酔いつぶれ眠りこけていた。ドアンはザクIIを起動させ、足元を走り出した軍用エレカに続いて進み出した。問題は、港の方角を連邦軍がいまだ防御を固めていることだ。だが少女は都市高速にエレカを乗せた。高架になったその道路には、車も戦車も見当たらず、いくつかのゲートを越えて、港湾の埠頭の近くへ降りてきた。高架の上からは、宝石を散りばめたように街の明かりが光って見えた。ただ彼らの進軍してきた方向だけが、暗闇に包まれていた。


後編:島へ


埠頭にて

 貨物船のブリッジから、双眼鏡で周囲を見ていた船長のナガクラは、不意に埠頭に現れた1機のザクにど肝を抜かれた。積み込むはずの荷物は見当たらず、港湾作業員も姿を消したままで、まったく状況がつかめない。この港も、もはやジオン軍の手に落ちてしまったのだろうか。事前の情報では、九州中央部を占拠していたジオン軍の大部隊が北上し、福岡攻略をめざして進軍中と聞いていた。それに対して連邦軍が艦隊を派遣し、海から援護するのではという憶測も流れていたが、彼は博多港への航路の途中で、連邦軍の艦艇を一隻も見なかった。
 おれの故郷も、とうとうジオンの軍門に下ることになったか…。
 関門海峡が封鎖され、海峡を渡る橋が落とされたことで、ほぼ孤立状態に陥っていたことはわかっていたが、連邦軍がこうもあっさりと極東地域を見捨てようとしていることに、ナガクラはショックを受けていた。
 しかし埠頭にはザクが1機だけ、ほかに軍用エレカが1台見えるだけというのも腑に落ちない。
「どうします? 船長。敵が港を占拠する前に、とっととここを出てしまう、ってのが得策じゃないんですかね?」
 落ち着かない様子のホセに、ナガクラは双眼鏡を手渡しながら、言った。
「そう慌てるな、あれを見てみろ」
 目に双眼鏡を当てながら、ホセは言う。
「あれがザクってやつですかね? ジオンのモビルスーツ。パイロットが降りてきている」
「足元にエレカが停まっているだろう。あそこに乗っているのは…」
「大きい娘が一人、小さい子どもが3人…」
 二人は顔を見合わせた。
「どういうことです?」
「わからん。だが見過ごしにはできん」ナガクラがぶっきらぼうに答える。「様子を見てくる」
 ホセが、肩をすぼめて言った。「相変わらず、お人よしだな、船長」
「言っただろう、ホセ。ここは俺の故郷なんだ。好きにやらせてくれ」
 ホセが、懐から何かを取り出してナガクラに向けて放った。彼は右手でそれをつかんだ。拳銃だった。
「安全装置を解除するのを、忘れずにな」
 にっと白い歯を見せて、ホセが言った。

 数多い埠頭の一つに軍用エレカを停めたロランは、運転席から背後にそびえ立つザクを見上げた。コックピットハッチが開き、昇降用のハンガーロープを使ってパイロットが降りてくる。父のベーカリーだったあの廃墟で声をかけられた敵兵だ。ロランも子どもたちも、まだ彼の名を知らなかった。
「車から出ちゃダメよ」
 ロランは子どもたちに言い聞かせると、エレカから出た。男がロランの方へやってくる。ジオン軍の制服姿だったが上着を脱ぎ、左手で肩にかけていた。
「私の名前はロラン・チュアン」小さな声で、彼女は名乗った。「…あなたは?」
「ドアン、ククルス・ドアン」男は軍人らしい短髪の、大柄でがっしりした体格をしていた。その表情は硬い。ふと、背後でエレカのブレーキ音がしたかと思うと、ドアンがゆっくりと両手を挙げた。
「大丈夫か、お嬢さん」
 年配と思しきしわがれた声に振り向くと、白い開襟シャツ姿の男がドアンに銃口を向けて立っている。
「あっ、この人は」慌ててロランが答える。
「悪い人じゃない…と思うわ」
 ドンドン、と横で音がする。見てみると、エレカに乗った子どもたちが窓ガラスを仕切りに叩いていた。ロランがドアを開けると、子どもたちが「はあー」と大きなため息をつく。
「一体どうしたの?」
「あのね、チヨがこれを見つけだんだ、なんかわからないけど、書類」と、クムがフォルダを手渡す。
「ジオン語・・・・で書いてあるみたいなんだよね、ちょっと僕、読めなくてさ」
「ジオン語?」
 ナガクラが、フォルダを開いて書類を見た。ジオン公国軍の紋章の入った、公文書だったが、別にジオン語・・・・で書かれているわけではない。さっと書類に目を通したナガクラは、フン、と鼻を鳴らすとドアンを睨みつけた。
「こんな紙切れ一枚で、この港の船を全部、接収しようっていうのか?」
 ドアンはナガクラから、その書類を受け取った。車から降りてきた子どもたちが、彼の周りを囲んで見上げている。ドアンは顔を上げると、言った。
「これは伝令の車で、この子らが見つけたものだ。車を盗んで、ここまで逃げてきた。この子らの住んでいた街は、もう安全に暮らせる状態ではない。だがジオン軍は足止めを食らっている。補給が間に合っていないんだ。まだ、フクオカは落ちていない。あんたは、あの船の船長か?」
 ドアンが、背後の巨大な貨物船を指差す。ナガクラが、うなずいた。
「なら、あんたも、他の船も、この港がジオン軍に落ちる前に退避するんだ」
「逃げろというのか?」
「ジオン軍のために働きたくないのなら」ドアンが言った。
「わからないか? ジオン軍は海が苦手だ、宇宙に住んでいるんだから。侵略の片棒を担がされたくなかったら、逃げるんだ、海へ」
 夜が白み始めていた。日の出が近かった。ドーン、という砲撃音が遠雷のように聞こえてくる。その音を聞いて、ナガクラの顔色が変わった。
「お願いだ、この子たちを船に乗せてやってくれないか、そして逃げるんだ、今すぐ」
 すると、大人たちの顔を見上げて聞いていたクムが、ナガクラのシャツを引っ張ると、ドアンを指差して言った。
「このおじちゃんも、一緒に」
 そのときだった。ゴウッという轟音につづいて、地割れのような足音が響いた。ザクがもう1機現れたのだ。
「船長、早く船へ!」ドアンは叫ぶと、ザクに向かって駆けてゆく。ナガクラはロアンに、子どもをエレカに乗せてついてこい、というと、自分も乗ってきたバギーに飛び乗って船へ向かって走り出しながらインカムでホセに叫んでいた。
「ハッチ開け、おれともう一台のエレカを乗せたら、エンジン全開だ!」

 コックピットハッチを閉じると、もう追ってきたザクは目前に迫っていた。
「探したぜ、ドアン」
 通信回路から、聞き慣れた声が聞こえてくる。小隊長のワシルだ。
「どういうつもりだ、ドアン。勝手に戦線を離脱するとはな。脱走兵がどうなるか、おまえも知らないわけはないだろう。今なら、まだ赦される。戻ってくるんだ。そうでなければ、おまえを撃つ」
 ドアンは、彼のコックピットに狙いを定めたマシンガンの銃口を見つめた。彼のザクも同じものを手にしていたが、ドアンは昨日のうちに撃ち尽くしたまま補給がなかったため、そこに残弾がないことを知っていた。マシンガンを捨てることに、何の躊躇もなかった。
 ザクの手を離れたマシンガンが落下して、大きな音を発した。それに気を取られた一瞬の隙に、ドアンはワシルのザクへ急接近し、左手でマシンガンの砲塔を払いのけると、右手でその胴部に正拳突きを食らわせた。
 ドウッ
 大きくよろめいたザクの頭部を狙って、ドアンは拳を振り下ろした。
「なぜだ!」とワシルが叫ぶ。
「市民に銃を向けるのが、怖いのか。嫌なのか。自分だけは正しいと思いたいのか。この腰抜けの偽善者め!」
 頭部のカメラが破壊され、視界を失ったワシルのザクが、力なく倒れる。そのとき、背後で重低音が響わたった。

 ボーッ ボーッ

 ドアンが生まれて初めて耳にする、船の汽笛の音だった。ドアンはザクを振り向かせ、港を出ていく、その貨物船の姿を見送ろうとした。
 甲板の最後尾に見える小さな人影が、しきりに手を振っているのが見える。別れの合図だろうか。手を振り返して見せようとした次の瞬間、彼はマシンガンの発射音を聞いた。半身に体を起こしたワシルのザクが、視界のないまま闇雲に撃ったのだ。
「逃すか!」
 そう叫ぶと、ワシルはコックピットハッチを開き、ザクをそのまま立ち上がらせようとしていた。このままでは、あの船をさえ狙い撃ちされてしまう。しかし武器はもう臀部に取り付けたヒートホークがあるのみだ。
 ドアンは、それをザクの手に握らせると、ワシルの「脚」を狙って投げつけた。左脚部を大きく損傷したワシルのザクは、再び大きな音を立てて崩れ落ちた。
 再び、汽笛が鳴り響く。ドアンはもう一度振り返った。小さな人影が、何か叫びながら大きく手を前後に振っている。船長と、あの少女…ロアンだ。声は彼の耳には届かなかったが、その手の動きで彼はその思いを察した。
 ワシルのザクは、動かない。彼はそのザクに背を向けると、あの船の甲板をめざし、出力をあげて彼のザクを大きく飛び上がらせた。


ブリッジにて

 船長のナガクラに連れられて貨物船のブリッジにやってくると、クム、タチ、チヨの3人はわあっ、と歓声をあげて前方の大きな窓ガラスに駆け寄った。外には、青い海と青い空が広がっている。
「ここへ来てもらったのは、大事な話があるからだ」
 ナガクラは、ロラン・チュアンに向き合って、言った。
「ロラン、と言ったな、船は佐世保に向かっている。そこで君たちが入れる難民キャンプを探すつもりだ。戦災で親を亡くした子どもの面倒を見てくれるボランティアがいるはずだ」
「ありがとうございます」静かな声で、ロランが言った。
「あの人は、どうなるんですか?」
「あのジオンの男か。連邦軍に投降すれば、捕虜としてどこかの収容所へ送られることになるだろう、が」と、ナガクラは肩をすぼめた。
「どうも、その気はないようだな」
 ロランは、じっと船長を見つめた。ナガクラは尋ねた。
「何があったのか、話してくれないか」
 ロランは、海を見ている子どもたちに目を向けた。
「私の父は、福岡市内の大通り沿いでベーカリーを経営していました。そこに、ジオン軍の、あの…モビルスーツの部隊がやってきたの。そのとき、父とあの子のお母さんたちは、店で、シェルターに避難している人たちに配るパンを梱包していた。私も手伝っていたんだけど、あの3人の子どもを連れて、父はシェルターに避難しなさいって言ったの」
「それで、君たちだけ助かったのか?」
 ロランが、首を振った。
「シェルターに行こうとしたら、クムとタチが外に、敵のモビルスーツを見に行ってて…、ほら、男の子って、ロボットとか、好きじゃないですか。危険ってわかってたと思うんだけど、珍しくて見たくなってしまったんでしょうね、それで、連れ戻そうとして店の外に出たら、爆弾が飛んできて…、お店の方に…」
 そこまで話すと、ロランは言葉に詰まった。ナガクラは、漏れ出てくる嗚咽を聞いた。彼女は両手で顔を覆い、肩を震わせ始めた。ナガクラは彼女を椅子に座らせると、ホセに言って温かいココアを持ってこさせた。
 カップを手渡すと、ロランは顔を上げ、小さな声で「ありがとう」と言った。
「私たちは、そのあと店に入って、ずっとそこに隠れてた。あの人は…、夜になって攻撃が止んだあと、店の中に入ってきて、私たちに、逃げろって言ったの。明日になれば、この場所はもっとひどくなるからって…」
 ナガクラは、顎に手を当てた。あの男は、追ってきた友軍のはずのザクを倒した。脱走兵に違いない。だが、本当にそうだろうか。この船を奪うための作戦ではないのか。
 急に険しくなったナガクラの顔を、ロアンが不安そうに見つめている。
「大丈夫だ」ナガクラが表情をやわらげた。ロアンは、彼の考えを察したように、言った。
「あの人が私たちを逃がしてくれたのは、普通の人を殺したくなかったからだと思う。そうしろって、命令されていたんだって」
 ナガクラは、うなずいた。いずれにせよ、敵の兵器を積んだまま港へ入ることはできまい。佐世保までの航行の3時間の間に、決着をつけねばならない。彼はロランと子どもたちを休ませるため、休憩室へ案内すると、ザクのある甲板へ上がっていった。


甲板にて

 ククルス・ドアンはザクのコックピットにいた。ナガクラが、ザクの横たわる甲板に現れると、ギン!とその頭部のモノアイが光り、コックピットハッチが開いた。
「ちょうど良かった。頼みがある」
 中から体を乗り出して、ドアンが言う。
「なんだ、頼みとは。投降する気になったか」
「いや…、ザクのナビゲーションシステムで地図を調べていた。この先の海域には、小さな島がたくさんあるようだな」
「ああ、旧世紀時代は人の住む島も多かったが、今はほとんどが無人だ」
「ちょうどいい。ポイント305の島に潜伏したい。近くを通ってくれないか?」
「無人島に潜伏だと? バカを言え。ロビンソン・クルーソーじゃあるまいに、地球のことを何も知らないおまえが、生きていけるような場所ではないぞ」
 ナガクラが、眉をしかめて言った。
「なぜ、投降しないのだ」
「おれはジオンの大学で、生物学を専攻していたんだ。投降してどこともしれない収容所で集団生活を送るより、ここでしか見られない自然の生態系の中で過ごしたい」
「はあ?」
「それに、おれはもう脱走兵としてマークされているはずだ。投降しようがどうしようが、彼らは赦さない。おれを必ず殺しに来るだろう」
「…それが理由か」
 ナガクラはインカムでブリッジのホセを呼ぶと、ポイント305の場所を調べさせた。
「無人の島だが、遺跡がある。観光船が停泊する桟橋があるようだから、救命艇を出してやれば上陸できるんじゃないか?」
 ホセの返答は的確だった。だがナガクラはドアンに背を向けると、声をひそめてヘッドセットのマイクに話しかける。
「ヤツは、ザクで出て行くつもりだ。こっちとしても、あれを残して行ってもらっては困る」
「あのザクってやつは、泳げるのかな?」ふざけた調子で、ホセが言った。おそらく海図を調べているのだろう。
「できるだけ近づいて、あとはヤツの好きにさせるってことでいいんじゃないか?」
「そうしよう」
 ナガクラはそう言うと、ドアンの方に向き直った。
「君のいうポイント305方向に向かうよう、航海士に指示を出した。接岸はできないが、近いところまで寄せてやろう」
「すまない」ドアンが言った。
「もう一つ、確認したい。あの子どもたちのことだが…、行くところはあるのか?」
「今は何も情報がない。佐世保に入港したら、連絡を取って難民キャンプに引き渡すつもりだが、福岡とそう離れてもいない場所だ、いつまで安全かどうか、ジオン軍次第だな」とナガクラは肩をすぼめる。
「まあ、今となっては地球上、どこにも安全な場所なんてないさ、なんせ、敵は宇宙から降りてくるんだから」
 ハハハ、とナガクラは声を出して笑った。ドアンは笑わなかった。なんて悲しい目をしているのだろうと、ナガクラは思った。


船室にて

 ロランと3人の子どもたちは、二段ベッドのある船室へ案内された。船長は、港に入るまで3時間ほどあるから、しばらく休むといい、と言ってくれた。確かに、昨夜から一睡もしていない。子どもたちもくたびれ果てているようで、二段ベッドを珍しがってわあわあ言っていたと思ったら、あっという間に寝息を立てている。
 ロランも、ベッドに横たわって眠ろうとしたが、眠れなかった。目を瞑ると、昨日大通りで聞いた爆発音と、崩れ落ちた店の中で見た光景が、まぶたの裏によみがえってくる。船長は佐世保に行くと言っていたが、そこなら安全なのだろうか。ジオン軍は、もう九州の半分を占領してしまっているのだ。彼らがその港町に来るのも時間の問題ではないか。
 ロランは、船室の小さな窓から外を見た。船は博多湾をあとにしていた。福岡の街は、もう海の向こうに霞んで見えなくなっている。しかし小さな島影が、そこかしこに見えていた。
 ふと、温かい人肌が触れるのを感じて横を見ると、クムとチヨが起き出して、彼女に体をくっつけて、自分も外を見ようとしきりに背伸びをしていた。ロランはチヨを抱き上げると、窓の外の景色を見せてやった。クムの下から、背伸びをして覗き込んでいる。
「海だね…」クムが言った。「広くて、静かだね…」
 眠っていたタチも起き出して、一緒に窓の外をのぞいている。子どもたちもみな、眠りは浅いようだった。眠れば怖い夢を見てしまうのだろう。
「ねえ、ロラン」とチヨが言う。
「あのおじさんは、どこにいるの?」
「おじさん? 船長のこと? それとも…」
「助けてくれた人、えーと」
「ドアンね、ククルス・ドアン」
 ブリッジで船長と話したとき、彼は投降する気はないようだ、と言っていた。では、どうするのだろう。自分たちを助けてくれたとはいっても、彼はジオン軍の兵士なのだ。きっと、ただではすまないだろう。
「船長に、聞いてみようか」ロランは言った。船室の壁にかかっている受話器を取ると、ブリッジにいる通信士のシェイファーが出た。ロランは船長に代わってもらい、子どもたちがドアンに会いたがっている、と言ってみた。船長は、彼は甲板のザクのところにいる、人をやるから、連れていってもらえ、と言ってくれた。しばらくすると、甲板員のフェンが船室にやって来て、彼らをドアンのいる所へ案内した。


船上にて

 甲板に出ると、ドアンが横たえたモビルスーツのコックピットハッチのあたりに腰掛けているのが見えた。わあっ、と子どもたちは声を上げて、その方向へ駆け出してゆく。ロランもその後を駆けていった。
「すごーい、モビルスーツ!」
「大きいなー」
「ねえねえ、触ってもいい?」
 無邪気な様子の子どもたちに、ドアンが口を開いた。
「触っても大丈夫…だが、怖くないのか?」
 クムが、ドアンを見上げて言った。
「怖くなんかないよ! だってこのモビルスーツは、僕たちを助けてくれたじゃないか」
「これからも、僕たちを守ってくれるんだろ?」タチも続ける。
「もう、僕たちの味方じゃないか」
 甲板員のフェンが、向こうから代車に乗せた箱を運んできて、ザクの傍に寄せた。
「船長が、あと1時間ほどでポイント305の沖合だから、準備しとけって言ってる。これは、おれたちからの餞別だ。あんたの、そのモビルスーツに荷物が積めるんなら、まだいくらでもある、持っていけって、船長が」
 ドアンが箱を開けると、そこには食料品と飲料水のボトルが入っていた。
「悪いな」
 どういたしまして、とフェンが肩をすぼめた。そのやりとりで、ロランは急に不安になった。
「これからどうするの? ドアン」
「この先にある無人島に、おれは潜伏するつもりだ」
「船を降りるの?」
 ドアンが、うなずいた。
「君たちのことは、船長が面倒を見てくれると言っている」
「知ってるわ」ロランがつぶやく。
「行くのは難民キャンプだって」
 クムとタチが、二人の顔を交互に見ている。
「行っちゃうの? ドアン」チヨが言った。
「ドアンはね、島に降りるんだって」
 ロランがそう言うと、子どもたちは一斉にロランの顔を見た。
「えー、それなら一緒に行きたい」
「誰もいない島なのよ」
「だったら、敵も来ないし安全じゃないか」
 ドアンは、子どもたちに背を向けた。自分を追って、必ずジオン軍はやって来るはずだ。一緒に来て安全なはずがない。
 すすり泣く声が、耳を打った。いたたまれなくなり、ドアンはコックピットハッチを開くと、ザクのシートに身を隠した。そこは、外の世界から切り離された空間だった。ドアンは暗闇の中に光る、コンソールパネルの点滅を見ていた。

 …この腰抜けの偽善者め!

 埠頭まで彼を追ってきたワシルの言葉が、頭の中にこだましていた。これほど、今の自分を的確に言い表す言葉がほかにあるだろうか、とドアンは思った。あの子どもたちを難民キャンプへと追いやったのは、自分自身ではないか。
 彼はザクのコンソールパネルからナビゲーションシステムを立ち上げ、船長の言ったサセボという都市を検索した。大きな港があった。しかもそこは、フクオカとは違い、軍港だった。間違いなく、彼らはここを手に入れようとするだろう。その港で船を下されたら、あの子どもたちは再び戦火に巻き込まれるかもしれない。
 ドアンは、ハッチを開け、甲板員のフェンを呼んだ。


渚にて

 寄せては返す波が、白い砂をますます白く洗いつづけている。丘陵に挟まれたその静かな渚に腰を下ろして、ロランは波の音に耳を傾けていた。市街地の騒乱が、まるで夜に見た夢のように思えた。
 明日にはもっと、ひどいことになる。ククルス・ドアンはあの廃墟でロランにそう言った。今日、両親やあの子どもたちの親が亡骸となって横たわっていた店、あの大通りに面したマンションやビルは、破壊され尽くしているのだろうか。地下シェルターの人々は、どうなったのだろうか。

 自分だけ、逃げてきてしまった…

 ここは安全だ。それは彼女にとって安心できることのはずだったが、心は少しも落ち着かなかった。逃げてきたことで、自分が他のすべての人を見捨ててきてしまったような気がした。そう思うと、涙がこみ上げてくる。
 まさかドアンが、子どもたちの「一緒に行きたい」という声に反応を示すとは思わなかった。むしろ、その声を遠ざけるかのように、モビルスーツのコックピットにこもっていた。だが、ハッチを開けた彼は言った。一緒に行きたいなら、船長を呼べ、と。
 なぜだ、と問いかけた船長に、ドアンはこう言っていた。佐世保に行ったところで、安全とは限らない。あの子たちがまた戦火に巻き込まれるくらいなら、島に行ったほうがいくらかましだ、と。
 そのあとは、無我夢中だった。ロランと子どもたちの乗った救命艇が、ビルのような高さの船腹から海面に降ろされると、彼女は救命艇の操縦席に座り、船長が教えてくれた通りに操作した。海は穏やかだ、今ならこのまままっすぐに、あの島の渚へ行けるだろう。フェンが、自分たちはまた佐世保の港で買い足せるから、と、食料品を箱につめて持ってきてくれた。最後に船長が耳打ちした。こっちが無事だったら、救助要請を出してやる。それまで、生き延びるんだ。

「ロラーン!」
 その声に、慌てて彼女は涙をぬぐった。振り向くと、クム、タチ、チヨがこちらへ駆けてくる。息をはずませながら、クムが言った。
「ロラン、この先をちょっと登ったところにね、ちょうどいい家があったよ」
「そうそう、キッチンも、寝るとこもあって、ちょっと散らかってたり、屋根のないところもあるけど、なんとか暮らせそうだよ!」とタチも声をはずませる。
「行こ、行こ、ロラン」とチヨが手を引っ張った。ロランは立ち上がるとパンパン、と両手で履いていたジーンズのお尻を叩いた。
「ほら、こっちこっち!」と先をゆくクムが得意げに手招きする。子どもたちの、ちょっとはしゃいだ様子がロランには救いだった。
 渚から、草の生い茂った斜面を登っていくと、車一台が通れるかどうかというほどの道に出た。すると、わっと視界が開けた。道の向こう側には、まるで大きな階段のように段々畑の跡がある。そしてその斜面の上の方に、赤茶けた古い建物が見えた。
「あっ…」
 ロランは小さく声をあげた。アーチ型の入り口、赤煉瓦のその建物の上に、十字架が見える。自分たちのほかには誰もいない、文明から切り離されたようなその島で、それは人々がここで生きていたことを証ししているように見えた。
「こっちだよ、ロラン」
 足を止めた彼女に、タチが呼びかける。斜面が平らになった木立の中に、彼らが探し当てた家があった。木造の小さなコテージだった。戦争が始まるまでは、この自然に包まれた遺跡のある島で、休日を過ごすためにやってくる人がいたのだろう。
 中にはキッチン、リビング、寝室があり、そこらじゅう砂でざらざらしていて、虫の死骸が落ちていたり、ゴミが散らばっていたりしたが、確かに、うまくすれば少しの間暮らすこともできるだろう。子どもたちは、コテージの中を走り回ったり、戸棚を開けて探ったりしていたが、しばらくすると声が聞こえなくなった。寝室の埃だらけのベッドの上で、彼らは寝息を立てていた。あのジオン軍に壊された廃墟を出て以来、ようやく安心して眠れる場所を得た、とロランは思った。
 ロランはコテージを出て、渚の方へ下って行った。モビルスーツを隠せる場所を探してくる、と言って山の方へ向かったドアンが、戻ってきているかもしれない。それに、救命艇から下ろした食料品の箱も、持ってこなくてはならない。
 渚に戻ってみると、シャリ、シャリ、と砂を踏む音を立てながら、向こうからドアンがやってきた。ミリタリーバッグを背負っている。彼女の姿を見て、手を振った。ロランは子どもたちがしたように、砂に足を取られそうになりながら、ドアンの方へ駆け出していた。


陣営にて

 ククルス・ドアンの抜けたワシルの小隊は、まだあの大通りから進めずにいた。脱走兵を出したことで戦列からはずされたのだ。ようやく追いついてきた補給部隊から武器弾薬の補給は受けられたものの、任務は残敵の掃討から脱走兵の追跡へ変更された。しかもドアンに倒されたワシルのザクを回収するのに、丸一日かかってしまった。脚部を損傷し頭部のモノアイを破壊されたそのザクは、当分修理もままならない。
 本営から戻ってきた小隊長のワシルは、テーブルの上に地図を広げると、ハキム、グレイグ、コルサコフ、アーロンで結成された討伐隊を前にして言った。
「ドアンが飛び乗った船は、オーシャン・アロー。情報部が収集した追跡データによると、ハカタ港を出てサセボ港へ向かった。だが、サセボに入港した船の中に、ザクを搭載したものはなかった」
「海に投棄したんじゃないのか? あれがなければ、ヤツを探し出すのは相当難しくなる」グレイグが言った。
「もう1機ザクがあるなら、それもできないではないがな、1機じゃ無理だ。それに、もし可能だとしても、あいつがザクを捨てられるとは思えないな」とハキムが肩をすぼめる。
「そういうものなのか?」
 グレイグはもともとワシル小隊の隊員ではなかったが、酔い潰れて陣営に戻らなかった挙句に軍用エレカを乗り逃げされたことで咎めを受け、この討伐隊に加えられたのだ。
「そういうものさ、モビルスーツ乗りっていうのはな」コルサコフが言った。
「で、サセボにいなかったとなると、どうなる? ヤツはどこか洋上で船から降りたとか考えるべきじゃないのか?」
「その通りだ」ワシルが言った。「追跡データによると、オーシャンアローはこの島を回り込んだ辺りで、速度を落としている。おそらく、この近辺の島に上陸し、潜伏していると思われる。一番怪しいのは」
 アーロンが、地図を指差して言った。「ポイント305だ」
「だが、どうする。陸戦部隊なんだぜ? おれたちは」ハキムが口を開く。「あいつはうまく逃げ切った、ってことにしておけないのか?」
「そうはいかん」ワシルが強い口調で言った。
「部隊長は、捜索にルッグンを出すと言っている。おれたちは飛行場に移動して、報告を待つ」
 四人がザッ、と背筋を伸ばして敬礼した。

里山にて

 島には旧世紀時代のいつ頃かまでは、人が定住して農業が営まれていたようだった。斜面に石垣で段を作り、耕作していた段々畑の痕跡が残っており、それは遺跡として、開戦前まで人々が訪れる場所になっていた。斜面を登る道沿いの水路には、山から降りてくる水が流れている。生い茂る雑草、木々が風にざわめく音、そして突然現れた珍客を遠くから見ている野生の鹿。その何もかもが、ククルス・ドアンには新鮮だった。彼は<サイド3>のコロニーで生まれ育ち、すべてが人造のコロニー内の環境しか知らなかったからだ。
 山の方へ行くと、ジリジリ、と奇妙な音がそこかしこから聞こえてきた。これは何の音だ?とたずねると、3人は顔を見合わせ、ケラケラと笑って言った。
「セミだよ、セミ! そんなことも知らないのかよー」
「コロニーには、いないからな」
 その言葉ですっかり得意になった彼らは、あちこちから昆虫やカエルを捕まえてきては、ドアンに見せるのだった。
「ドアンは、大学で生物学を勉強してたって、言わなかったっけ?」
「そうだ、だがスペースコロニーに生息している生き物は種類が限られているし、それに、勉強していたのは生物学といっても分子生物学だからな」
 やがて、ドアンの関心を引くことに飽きてくると、3人は、今度は探検と称して森の中へ入っていった。思いがけない、夏休みのキャンプだ。そんなふうにはしゃいで見せることで、きっと彼らは親を失い、住処を失って街を追われた悲しみと不安とを、頭から追い出そうとしているのだろう。
 ドアンは引き返し、コテージのそばの高台から海を見ているロランのところへ来ると、傍に腰掛けた。
「何か見えるか?」
 ロランは首を振ると、言った。「驚くほど静かね、何もなかったみたいに」
「まだ聞いていなかったんだが…、あの子どもたちと君は、きょうだい?」
 ロランが、また首を振った。
「みんな、別々の家の子よ、あの子たちのお母さんが、父のベーカリーで働いてて、たまたま子どもたちも一緒にいたの、親と一緒に避難できるようにっていうことで」
「あの子たちの父親は?」
「軍に召集された。戦争が終わったら帰ってくるかもしれないし、戻らないかもしれない」
 たじろぎもせず、海を見たままロランが言った。
 風にのって、波の音が小さく聞こえてくる。ドアンは、その少女の細い肩を見た。耳の下あたりで二つに分けてくくった髪が、肩の下まで下がっている。何か言うべきことがあるはずだったが、何も言葉が出てこなかった。
 やがて、ロランがドアンの方に顔を向けると、言った。
「ねえ、ドアン。あの教会のところに行ってみたいんだけど、一緒に来てくれる?」
「教会?」
 ロランの指差す方向に、赤茶けた古い遺跡があった。この島の規模には不相応なほど、大きく見える。
「昔、ここに住んでいた人たちが建てたのよ、きっと」彼女はそう言うと、立ち上がった。


聖堂にて

 島の斜面の中腹に、その教会は建っていた。会堂の前からは、一面に広がった海が見える。渚に打ち寄せる淡い色が、徐々に濃くなっていくそのグラデーションを、ドアンは見ていた。
 会堂の扉には鍵がかかっていた。ロランは建物の横を通り、裏の方へ回った。
 しばらくすると、ギーッと背後で音がして、表の大きな扉が開いた。顔をのぞかせたロランが言った。
「裏の扉は、鍵がかかってなかったの。入ってみて、とてもきれいよ」
 ドアンは立ち上がると、陽光のまばゆい高台から、その会堂のアーチをくぐり、扉の中へ足を踏み入れた。板張りの床が、ギシっと音を立てる。アーチをくぐった瞬間、目の前が真っ暗になったが、建物の中に入ると、窓から陽の光が差し込んできて、前に立つロランのシルエットを浮かび上がらせる。左右の窓には、赤や青で模様が描かれたステンドグラスになっていて、会堂の中はやさしく色づいた光で満ちていた。
 ロランは突然、履いていたスニーカーを脱ぎ捨てると、裸足で床の上に立った。その足を左右まっすに開くと、すっと背筋を伸ばし、腕を広げる。
 トトトン!
 小さな足音とともに彼女が、まるで羽のように軽やかに跳躍した。爪先立ちでくるくると体を回しながら、会堂の奥へと舞いながらら進んでゆく。脚をまっすぐに、高くあげてポーズする、その彼女は今まで見たことのないような柔らかさをまとっていた。
 彼女の踊る姿を見ていたドアンの目に、正面の祭壇に掲げられた十字架が飛び込んできた。そのとき、またあのときのワシルの声が、頭の中にこだました。

 …この腰抜けの偽善者め!

 そうだ、おれは偽善者だ。ロランや子どもたちを安全なところに連れてくれば、それで自分の犯した過ちが帳消しにされるに違いない、と思っている。子どもたちを船長に任せて自分だけ船を降りようとしたことも、彼らの行先も安全とは限らないと知った途端に子どもたちを一緒に連れてくることにしたのも、結局は自分を正しい者としたいため、それだけではないのか。

 ロランは、時を忘れて無我夢中で踊り続けている。その姿はあまりにも儚げで、ドアンはその場に居続けることができなかった。
 会堂のアーチを抜けると、まるで陽光が目に突き刺さるかのようだった。彼は会堂の前、海に向かって開けた高台に立つ十字架の台座の足元にうずくまるように座った。
 しばらく、そうしていると、ロランがやってきて傍に立った。
「ごめんなさい、あまりにもきれいだったから、つい夢中になっちゃって…」
「バレエを…習っていたのか?」
「うん」ロランがうなずく。
「とっても厳しいレッスンだったんだ、でも、先生はスタジオを閉めて中国へ避難しちゃった。あなたたちも早く逃げなさいって、先生は言ってくれたんだけど…」
 ロランは、座り込んだままのドアンを見て、はっと息をのんだ。
「ドアン…、どうしたの?」
 彼は両手で頭を抱え、顔を膝の間に埋めるようにしていた。
「ごめんなさい、あなたを責めてるわけじゃなかったんだけど…」
 ドアンが、首を振った。
「すまない、…俺が…やったんだ」
「えっ」
「俺が撃った弾が、直撃したんだ、君のお父さんの店を…、そして殺した…、俺が殺したんだ、君の両親とあの子たちの母親を…、俺が」
 ロランは、唇をかみしめると、その顔を海に向けた。男の低い嗚咽が、風の音にかき消されてゆく。
 長い沈黙があった。ドアンは顔を埋めたまま、動かない。やがて、ロランは言った。
「…知ってた」
 ドアンが、ゆっくりと顔を上げた。
「だってあのとき、大通りの歩道にいた私たちを、あなたはモビルスーツから見てたでしょ? 目が合った。そして手を動かして、逃げろって教えてくれた。夜、あのお店の中に入ってきて、また言ったでしょ、逃げろって。私たちが無事だったかどうか、見に来てくれたんだなあって、そう思った」
 そう言うロランの目も、涙で光っている。
「…お父さんはね、街から逃げないで、やってきたジオン軍の兵士たちを出迎えてやるって、そう言ってたの。同じ人間、彼らも腹が減るはずだ、って。お父さんは死んじゃったけど、それであなたが、これ以上殺すことを止められるなら、今、きっと喜んでくれてるんじゃないかな」
 ドアンが見上げたその顔に、出会ってからはじめて見る笑顔が浮かんでいた。
「ドアーン!」
 遠くから、子どもたちが駆け寄ってくる。屈託のない笑顔を見せながら、クム、タチ、チヨの3人は次々にドアンの体に飛びついてきた。
「ドアン、おれたちの秘密基地、できたんだよ。見てくれる?」
「こっちこっち!」と、ドアンの手を取って引っ張り始める。その様子にロランがくすくすと笑うのを見て、ドアンは救われた気がした。
 その時だった。

 …ゴーッ…

 遠くから、航空機の飛行音が近づいてくる。ドアンと子どもたちは、反射的に身を低くして草陰に隠れた。
「じっとしているんだ」ドアンが言った。ジオン軍の戦術偵察機、ルッグンに違いなかった。ルッグンは高度を下げて島の上を数回旋回すると、遠ざかっていった。彼らが来たということは、おそらく、この島に潜伏しているであろうと気づいている、ということだ。
 ドアンにすがりついていたタチが、彼のシャツを引っ張って言った。
「ドアン…、また僕たちを助けてくれるよね?」
 ドアンは頷くと、腕を広げて子どもたちを抱き寄せた。


来襲

 子どもたちが、管理棟のような別の小屋から道具を見つけ出してきたので、彼らは雑草を抜いて土地を耕してみることにした。蒔くような種はなかったが、船を降りるときもらった食料品の中にあったじゃがいもが使える、とロランが思いついた。収穫できる数ヶ月後まで、この島で生きることができるとは思っていなかったが、それでも、種いもを飢えることはロランの心に希望を生み出した。
 ドアンは、ジオン軍の偵察機が上空まで来たことで、備えをしなければならないと考えた。ザクIIが1機あるものの、マシンガンもヒートホークも、埠頭での戦いで使い果たし、武器弾薬は皆無となっていた。この狭い島で、相手がザクなら格闘戦に持ち込めばなんとかなる。だが、空から来る敵には対処しようがなかった。
 ドアンは、歴史好きの同僚、ハキムが、もし武器弾薬がなくなったらどうするか、という話題が出たとき言っていたことを思い出した。古代世界では、石を投げて武器とするための投石機なる兵器があったという。島には、石なら無尽蔵にあった。ドアンはそれらを武器として使えるように、選んで浜辺に集めた。

 ルッグンが上空を旋回した翌日のことだった。再び、上空に機影が現れた。だが、ルッグンではなかった。ドアンが初めて見るタイプの、連邦軍の戦闘機だった。ドアンは子どもたちに身を隠すよう指示すると、海岸に近い森の中にある滝の裏側に隠していたザクに乗り込んだ。
 戦闘機は低空で島の上空を旋回し始めた。ルッグンと同様に、何かを探しているようだった。だが、ザクの姿を認めると、彼らは機銃で攻撃してきた。
 ドアンは、ザクの投石で反撃を試みた。2発目の投石が機体に接触し、バランスを崩した機体は海岸へ不時着した。
 ドアンは、その戦闘機の乗員を殺すつもりはなかった。だが、この島のことを知られたくもなかった。衝撃で動けなくなっている彼らを、ドアンはシートに縛り付けた。折をみてザクで沖へ引いていき、海に流すつもりでいた。

 海辺に放置されたその戦闘機から、緊急信号が発せられた。受信したのは、ちょうどその頃九州上空を飛行していたホワイトベースだった。通信席に座るフラウ・ボゥからの報告を受け、艦長のブライト・ノアは、ガンダムの空中換装の訓練中だったアムロに、コアファイターでのパトロールを命じた。アムロはガンダムを地上に降ろし、四つん這いの格好でコアファーターを離脱させた。
「まったく…、ガンダムのこんな姿は見たくもないな」
 リュウのつぶやきをあとに、アムロは緊急信号の発信地、ポイント305へ向かって行った。


機動戦士ガンダム15話「ククルス・ドアンの島」
前日譚「逃れの海」完
初出:2022年11月1日


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