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機動戦士ガンダム0085 姫の遺言 #2 籠の鳥

機動戦士ガンダムで描かれた、宇宙世紀0079の戦争が終結したあとの、ホワイトベースの人々を、アムロとセイラをメインに描いたシリーズ「機動戦士ガンダム After the War 0080」に続くお話、第2話です。
ジオン独立記念日に開催されたオペラ公演の最中、カイは降下してくるモビルスーツを見る。兄キャスバルと再会したセイラは監禁されてしまう。

 ダルシア首相は、官邸のガラス張りの部屋から、外の様子を眺めていた。ジオン独立記念日のこの日、中央の公園には巨大なステージが設置され、夕暮れまで、ロックフェスティバルが繰り広げられている。そして夜には国立劇場で、恒例となっている政府主催のオペラ公演がある。今年の演目は『トゥーランドット』、ダルシア自身が選んだものだ。
 彼は一年戦争終結のため、地球連邦との停戦協定に臨んだときのことを思った。最終防衛ラインと設定された宇宙要塞ア・バオア・クーの陥落が目前だった。そのとき、ジオン公国軍を率いてきた総帥ギレン・ザビ、そしてナンバー2と目されていたキシリア・ザビの命がすでに失われていたことを連邦軍が知っていたら、結末は違ったものになっていたかもしれない。彼はそのことを隠し、地球連邦と対話のテーブルを設けることに成功した。結果として、今がある。ジオン本国は進攻を免れ、首都はその美しい姿をいささかも損なわれることがなかった。

 しかし、ジオンの国民の大半はそのことを知らなかった。その後締結された講和条約で、条件としてジオン領だった月面都市グラナダの連邦への割譲をダルシアが受け入れたことを国民の多くは不服とし、政権は常に世論の逆風を受けていた。グラナダには、ジオンの基幹産業であった宇宙航空産業の拠点があり、ジオン軍の艦艇やモビルスーツも大半がそこで建造されてきた、ということもあった。しかし、ダルシアは連邦が出してきた条件のうち、ジオンにとっては最善のものを選んだという確信を持っていた。他の条件は賠償金請求、または連邦軍の駐留で、賠償金は天文学的な数字であり、連邦軍の駐留はジオン軍の解体を意味していた。

 グラナダには連邦軍の基地が設けられ、<サイド3>ジオン共和国の喉元に突きつけられた刃のようになっていた。国民の不満とは裏腹に、そのことでジオンの再軍備は抑制され、国力の回復をより早めることに成功していた。今、ジオン共和国軍の軍備は主に、残された宇宙要塞ア・バオア・クーに集約されている。
 窓の外の風景が、日没の色で染まってきた。
「そろそろ、ご準備を。下で奥様もお待ちかねです」秘書が声をかけた。
「そうだな」ダルシアは答え、執務室をあとにした。

 ジオン国立劇場のメインホールは、タキシードやイブニングドレスで正装した男女であふれかえっていた。ジオン生誕記念日の公演に招待されるということは、セレブリティの証である。桟敷席のセレブたちは、誇らしげに一般客を見下ろしている。
 プッチーニのオペラ『トゥーランドット』が初演されたのは1925年4月25日のことだった。会場はイタリア・ミラノのスカラ座で、その日はまるでその劇場が世界の中心のようになったという。イタリアの独裁者、ムッソリーニ政権の国家的事業だったのだ。しかし、20世紀最高の指揮者と謳われたアルトゥーロ・トスカニーニは、会場に臨席する予定だった国家元首のためにファシスト党の党歌を演奏することを拒んだ。そのせいで、この事業を企画した国家元首、ベニート・ムッソリーニは歴史的な舞台を観ることができなかった。
 ジオン・ズム・ダイクンはこの旧世紀に生まれた総合芸術を愛していた。中でも『トゥーランドット』はお気に入りの作品の一つだったという。評論家たちは、その作品の中にジオンの理想を見たのだ、と論評した。
 広大な領土を支配する大帝国、中国の美しい皇女トゥーランドットは、求婚者に3つの謎をかけ、答えられなかった者たちを次々に死刑にするという恐ろしい姫だった。そんな彼女の気高い美しさに見惚れたある亡国の貴公子が、姫の謎かけに挑戦し、氷に覆われた彼女の心を溶かしてゆく。

 ジオン・ダイクンはこの物語のトゥーランドットに、地球から宇宙のコロニーを支配するアースノイドを、そして匿名の皇子に、そんな世界秩序を変革しようとする自らの姿を重ね合わせた、というのだ。ジオン生誕記念日のこの日、そんな在りし日のジオン・ダイクンの見た夢をオペラの舞台に花開かせるのも悪くない。そう思ってダルシアは演目を『トゥーランドット』に決めたのだった。
 やがて劇場の照明が落とされ、壮大な舞台の幕が開いた。

  北京の人民よ、これが掟である
  純潔なトゥーランドット姫が花嫁となるお相手は、
  王家の血筋であり 姫が出される3つの謎を解いた者に限る
  ただし、その謎解きに挑戦した者で失敗した者は、
  斧の下にその思い上がった首を差し出すこと!
  ペルシャの皇子は幸福に見放されたゆえ
  月が昇る時刻に首斬り人の手に掛かって死ぬのだ!

 赤い衣を身にまとった“役人”が高らかに紫禁城の掟を告げ、首に枷をはめられたペルシャの皇子が衛兵たちに連れて来られると、劇場は「死刑! 死刑!」の大合唱に包まれた。

…本艦は、5分後に首都防衛ラインを突破する。モビルスーツ隊は、発進用意。防衛ライン突破30秒後より、順次発進せよ。繰り返す、モビルスーツ隊は、発進用意…

 そのとき、ジオンの主力艦隊が密かにア・バオア・クーを出て首都コロニーを目指していることを、劇場の賓客たちは知る由もなかった。

 首都防衛ラインを越えて多数の艦艇がズム・シティに向かっている、という報告を受けて、基地司令のトワニング少将は青ざめた。首都防衛隊はズム・シティ・コロニーのアンカーポイントに設置されたサテライト・ベースに本体を置いているが、ベース自体には攻撃能力はない。繋留されている護衛艦が2隻、モビルスーツが艦載機と基地待機のものをあわせて30機。それが戦力のほとんどすべてであった。しかし、今は平時だ。ラインを突破して襲ってくる敵があるとは、とても考えられなかった。

 基地全体に、狂ったように警報が鳴り響いている。オペレーターが、ひっきりなしに状況を報告しては指示を求めている。中でも哨戒に出たモビルスーツのパイロットからの報告はトワニングに大きな衝撃を与えた。通常の3倍の速度で飛行する、赤い機体がこちらに向かって来る、というのだ。
「シャ…、シャアだ。シャアが来るのだ」
 トワニングは思わず言った。
「あいつめ、生きていたのか!」
 彼はア・バオア・クーが陥落したあの日、上官だったキシリア・ザビ少将をバズーカで射殺した男のことを思い出した。なぜあの男がそんなことをしたのか、あの状況の中ではまったく理解が出来なかった。あれがあの男の復讐だったと知ったのは、戦後しばらくしてからのことだった。彼は殺された上官が死の直前に命令した通り、ア・バオア・クーで戦っていたジオン軍を降伏させ、のちの運命を敵軍に委ねた。キシリア・ザビは「私が生き延びねば、ジオンは失われる」と言ったが、彼女が死んでもジオンは失われることはなかった。保身を図ったつもりはなかったが、結果的にはそうなった。
「閣下、ご命令を」副官が訝しげな表情で彼を見つめて、言った。トワニング少将は、唇をなめると言った。
「このやかましい警報を、何とかしたまえ」
「は?」
「警報を停めるのだ。我々はこれより、首都を奪還する」

おお皇子たちよ、世界各地から運命を賭けに集まっていらっしゃい
私が貴方がたに復讐をしよう
彼女の純潔さと絶叫と死に対して!
だが決して誰も私を得ないであろう
彼女を殺した者への憎悪は私の心の中に生きている
だめです! 絶対に誰も私を得ません
ああ、私の中には再びあの清らかな純潔の誇りが頭を持ち上げてきた
異邦人の男よ! 汝の運を試すではない
謎は3つだが、死は1つなのです!

 異邦人に陵辱されたロー・リン姫を先祖に持つトゥーランドット姫は、自分自身をロー・リン姫の生まれ変わりと思い、彼女の受けた恥辱と怨みに心を奪われ、そして「婿選び」という手段を用いて復讐を果たそうとしていた。トゥーランドットが高らかにその思いの丈を歌い上げると、貴賓席でダルシア首相は今朝の新聞記事を思い出して、身震いした。ジオンの遺児、キャスバル・レム・ダイクンがジオン革新派の開いたパーティに姿を現した、というのだ。いまだ実現されないジオンの理想のために動き出す、という。その目的は、復讐なのか。

「なぜだ」彼は小さくつぶやいた。
「どうかなさいましたか、総理」
 薄暗い劇場の貴賓席の脇に、男が1人片膝をついて控えている。彼についたシークレット・サービスの1人であった。
「いや、なんでもない」ダルシアが言った。
「何か?」
「は」男は耳元に顔を近づけると、何事かささやいた。さっ、とダルシアの顔色が変わった。
「本当か」
「は」
「赤いモビルスーツが、先陣を切っているというのか」
「おそらく、すでに全軍が掌握されているものと思われます」
「全軍を…掌握?」
 舞台では、匿名の皇子がトゥーランドットの謎掛けに挑んでいる。

 闇夜に虹色の幻が舞う
「それ」は高くのぼり翼を広げる、数え切れない人々の上に
すべての人々は「それ」を呼び求める
だがその幻は夜明けとともに姿を消し、心の中に蘇る
「それ」は夜ごとに生まれ、日ごとに消えていく
「それ」とは何か

 匿名の皇子は高らかに謎の答えを歌い上げる。それは「希望」だと。しかしダルシアの心には、ひたひたと絶望が押し寄せていた。

 カイ・シデンは、今日も独立記念公園にやってきていた。特設ステージでは午前中から、この日を祝ってコンサートが繰り広げられていた。多くの観客がいれかわり立ち替わりやってきて、公園の特設ステージ前は常に満員の人だかりであった。彼はほとんど朝から同じ場所にいた。日が暮れると客層が変わってきた。コンサートが終わり、ステージ上が片付けられると、今度は大きなスクリーンに国立劇場の舞台が映し出された。今夜のオペラ公演が、生中継されるのだ。この中継はもちろん家のテレビでも観られるのだが、こうやって、野外の大スクリーンの前に集まって、わあわあとみんなで盛り上がるというのがジオンの国民性らしかった。
 カイはこの方面にはまったく素養がなく、今日の演目である『トゥーランドット』もどんな舞台か知らずに観劇していた。そのストーリー展開には引き込まれるものがあったが、彼は身勝手で理不尽な姫の態度に終始腹を立てていた。姫が出した3つの謎に見事皇子は答えを出して、誓約通り彼女と結婚する権利を得るが、姫は「そんなの嫌だ」と駄々をこねる。皇子はそんな姫のために、今度は自分から謎を出す。明日貴女が私の名前を言い当てたなら、私は喜んで死にましょう。皇帝は「明日には皇子を我が子と呼ぶであろう」と喜び、会場は群衆たちが皇帝を讃える歌で包まれ、そして第2幕の舞台が終わった。

 オペラの幕間は長い。カイは、この華やいだ首都の夜景を撮影しようと、カメラを搭載した小型の無人航空機を飛ばした。平和な夜だった。昨夜、パレスホテルの大広間で聞いた「ジーク・ジオン」の大合唱は、どこにもない。あのダイクンの遺児を名乗るキャスバル、という男。一体いつ、何をしようというのだろうか。アルテイシア、という名で呼ばれたセイラ・マスも、どこかでこの舞台を観ているのだろうか。
「ん? あれはなんだ」
 無人航空機のカメラ映像を受信するモニター画面に映る国立劇場のエントランス付近に、装甲車が何台か横付けされ、武装した兵士が降りてきた。
「物騒だな、おい」カイはつぶやいた。あの劇場には今、政府要人が一堂に会している。テロ対策の護衛なのだろうか。オペラの終幕後には、花火が打ち上げられるという。それを目当てに、公園周辺には多くの人が押し寄せてきている。カイは不意に、胸騒ぎを覚えた。

 指揮者が舞台に姿を現し、第3幕が始まった。トゥーランドット姫から北京の街に、布告が出される。あの皇子の名前が分かるまで、誰も寝てはならないと。それを耳にした匿名の皇子は、自らの勝利を確信して高らかに歌った。

何人も眠ってはならぬか。
姫よ、あなたもそうだ。
あなたの冷たい部屋の中で 
愛と希望に震える星を眺めているのだ。
だが、私の秘密はこの胸の中にある。
何人にも私の名前は分かるまい。
だが夜が明けさえすれば、あなたの口に震えながら告げてあげよう。
そして、あなたを私のものとするこの沈黙を、
私のくちづけが 破るであろう。
おお、夜よ、失せろ!
おお、星たちよ、沈め!
夜が明ければ、
私は勝つのだ!!!

 皇子を演じるテノール歌手の見事な高音が劇場の空気を震わせた。観衆が、思わず息をのんだ。地鳴りのような音とともに、劇場が揺れたのだ。
 ダルシアは、指を振ってシークレット・サービスの男を呼んだ。
「何事だ」
 男が言った。「総理、残念ですがこの劇場はモビルスーツに包囲されています」
「なんだと!」
 劇場の扉が開き、武装した兵士がなだれ込んできた。桟敷席の観客たちが、叫び声を上げた。ざわめきがさざなみのように、劇場全体に広がってゆく。舞台の上では、兵士に捕らえられた皇子の女奴隷リュウが、トゥーランドットから皇子の名前を明かすよう責め立てられている。
 貴賓席のダルシアら、政府要人は武装兵らに銃口を向けられていた。

 ドオン…
 低く腹の底に響くような音がして、観衆の中からどよめきが起こった。花火だろうか、しかしまだ3幕は終わっていない。
 カイ・シデンは上空に目を向けた。
「来た…、来た、本当にあいつ、来やがった!!」
 彼は無人航空機に搭載したカメラを、降下してくるモビルスーツに向けた。3機編隊を組む機体は彼も見慣れたカーキグリーンだった。3機は、赤いもう1機を先導していた。
 モビルスーツは、独立記念公園を中心にして点在する政府機関を取り囲むように、次々と降下してきた。それは異様な光景だった。降りてきた赤いモビルスーツの機体には、鷲をかたどったジオン公国の紋章が刻印されていた。

 ジーク・ジオン…、

 とどこからともなくわき起こったその歓声が、野火のように広がってゆく。

 ジーク・ジオン! ジーク・ジオン!!

 国立劇場の正面に降り立った赤いモビルスーツは、ひざまづくようなポーズを取った。そこから降りてくる人物の姿を捉えようと、カイは無我夢中で群衆をかきわけながら、カメラを近づけた。

 立ち上がったダルシア首相は目を閉じた。いつから、これは計画されていたのだろうか。いつ、彼らは政権を見限って自らの軍事力をもって政権を転覆しようと決意したのだろうか。そもそも、一体誰が…。
 舞台の上では、皇子の名を明かすことを拒んだ女奴隷のリュウが、姫の前で自らの命を絶っている。彼はおそるおそる、目を開けた。兵士たちは銃口を向けることなく、銃身を捧げ持っている。
「ダルシア首相。これまで、この国を預かってくれたことに、まずは感謝したい」
 穏やかだが、冷ややかな音色を持った声がして、彼は顔を上げた。真っ赤な軍服を身に着けた、金髪の男が立っている。
「安心したまえ。私は、私の父の生誕を祝うこの日を血で汚すことはしない」
「私の…父?」ダルシアは思わず、眉根を寄せた。
「そうだ。だが、時は満ちた。この国は、返していただく。連邦のくびきからスペースノイドを自由にするために、我々は立ち上がらなければならない」
「キャスバル・レム・ダイクン、ダイクンの遺児か…」
 キャスバルはふっと笑みを浮かべると言った。
「そう、国民はまだ偉大な私の父こそ、真の指導者だと信じている。栄光の極みだ」
「わかっているぞ。貴様の本当の名前は…」
「それを言い当てたところで、明日より長く生きられるわけではない、と言っておこう。夜が明ければ、私は勝つ」キャスバルが言った。
「今日の演目を決めたのは、私だったはずだがな」ダルシアが、皮肉な笑みを浮かべて言った。
「まさか自分が、出演者の一人になっているとは思ってもみなかった」
「主役でなくてがっかりしたか?」キャスバルが言った。
「残念ながら、貴公の出番は終わった。退出したまえ」
 兵士たちがダルシアを取り押さえ、劇場の外へ連行していった。キャスバルはそれまで彼が座っていた貴賓席につき、匿名の皇子が姫の氷の心を溶かして得た、勝利の喜びを自分のものとした。

 大学のカフェテリアで遅い昼食を終え、通称「オタク部屋」のドアを開けると、住人3人は顔を寄せ合いテレビの画面にかじりついていた。
「ただいま、…何見てるんだ?」
「アムロ!」トムが振り向いた。
「おい、<サイド3>がすごいことになっているぜ!」
「<サイド3>が?」
 ダビドとヒロは、身じろぎもせず画面を食い入るように見つめながら、おおー、とかうわーっとか声を上げている。のぞきこんでみると、そこには赤いモビルスーツが映っていた。
「これは…」
「ジオン軍といえば、戦時中に開発した旧式のポンコツばかりと思っていたけど、ちゃんと新型も開発していたんだな」
 全体的に曲線を多用したその機体は、肩の部分が大きく盛り上がり、コックピットのある胸が突き出た独特の形状にデザインされている。細くくびれた腰から伸びた両足は、かつての名機ゲルググのように膝から足に向かって末広がりになっており、背面には背中、腰、そして人でいえば踵にあたる部分の三箇所に大推力のスラスターが装着されている。右手には巨大なショットガンを装備していた。無人航空機で空撮しているとおぼしき映像は、時折望遠にして、なめるようにその機体の各部を映していた。
「この映像を撮っているカメラマン、よくわかっているな!」ヒロが言った。
「モビルスーツのことを、よーく分かっている」
 やがてその赤いモビルスーツはコロニーの大地に降り立つと、片膝をついたような姿勢を取った。
「誰か、降りてくるぞ」ダビドが言った。赤い軍服をまとった男が、コクピットから飛び降りた。アムロは、息を飲んだ。男はそのまま、兵士たちを従えて劇場とおぼしき建物の中へと入っていく。
 画面がそこで切り替わった。ニュースキャスターが、現地の記者に呼びかける。

「ユニバーサル通信社特派員のカイ・シデンさん。そちらの様子を伝えてください」

「カ、カイ…」
 アムロはそこにかつての戦友の姿を見つけて、驚いた。彼は昨夜起こった、ジオン共和国の軍事クーデターについて、知り得たことをレポートしている。政府主催のオペラ公演のため劇場に集まった政府要人はおそらく拘束されているらしいこと、軍を掌握しているのはジオン・ダイクンの血を引くキャスバル・レム・ダイクンという人物らしいということ、全コロニーに戒厳令が敷かれ、首都ズム・シティの宇宙港には、国外へ脱出しようとする人々が押し寄せていることなどを端的に伝えていた。
 アムロはそのニュースを聞きながら、呆然と立ち尽くしていた。
「悪かったな、アムロ」ヒロが言った。
「おまえはジオン軍に、相当ひどい目に遭わされたみたいだな」
「そんなことはない、君たちと一緒だよ」そう言うとアムロはふうっ、と息を吐いた。
 キャスバル…レム・ダイクン。
 アムロにとっては、忘れ得ようのない名前だった。その妹だというあの美しい女性を、思い出さずにはいられかった。

 騒然とした街の様子を見たいとセイラはホテルを出ようとしたが、エントランスで軍の兵士に止められ、部屋へ戻されてしまった。前夜祭のパーティのあと、兄キャスバルの姿は見えなくなり、彼女は一人で昼間のフェスティバル会場を訪れたものの、オペラ公演の前にはホテルに戻り、兄がしたことをテレビのニュースで知った。
 翌朝、執事が朝食を運んできたとき、セイラは何が起こっているのかもっと情報が欲しい、と行った。執事は地元の新聞を何紙が持ってきてくれた。記事はどれも、おおむねこの軍事クーデターを、起こるべくして起こったものと、どちらかといえば好意的に受け止めているようだった。ジオン・ダイクンの遺志を継ぐ指導者に寄せる期待の大きさをセイラは感じた。だが一体何を期待しているのか、記事を読んでもさっぱりわからなかった。唯一、目を引いたのがデイリー・ジオン・サンライズの記事だった。記者は、ジオン国民があまりにも「強いリーダーシップ」に慣れすぎてしまっている、と指摘していた。強い指導者の語る、強い国家像を受け入れ、ただ追従していさえすれば、我々は強くなれるはずだ。そうした盲従こそが先の戦争を招いたのではないか?と。
 コーヒーを飲みながらその記事を読み終えると、セイラは立ち上がり、スーツケースを開けて帰り支度をはじめた。
 ノックの音がして、セイラはドアを開いた。赤い軍服姿の兄が、護衛の兵を従えてそこにいた。
「兄さん! 一体これはどういうことなの?」
「まず、中に入れてくれないか」キャスバルが言った。
「私もゆっくり、話がしたい」
 セイラは兄を招き入れた。キャスバルは部屋に入り、ソファに腰を下ろした。
「昨夜のショーを、楽しんでくれただろうか」
 その問いには答えず、セイラは言った。
「私、地球に帰るわ」
「私の時は、まだ始まったばかりだ」
「私が、こんなやり方を認めると思って?」セイラは思わず声を上げる。
「政権を取りたいなら、この国の法に則ったやり方でやればいいのよ。兄さんなら、できるはず。なぜ、こんなやり方でなければいけないの? どうして、こんなやり方が受け入れられるの? 私にはわからない」
「困ったものだ」キャスバルが言った。
「ジオンの姫君には、私を補佐してもらわねばならないと思っているのだがね」
 セイラは口を閉じて、じっと兄の目を見つめた。
「悪いけど、それは無理。兄さんとは考え方も価値観も違う」
「そんなことは、ないはずだ」
「違うわ。私、子供の頃は自分が姫、と呼ばれることに何の疑問も抱かなかった。でも、考えてみて。地球で姫、と呼ばれる人は歴史の中か、おとぎ話の中にしかいない」
「地球連邦では、そうだろう。しかし、我々は違う。ジオンの血を引く者には、特別の存在意義があるのだ。ニュータイプ提唱者として、人類を革新していかねばならない」
「革新って、一体なにを?」
「宇宙に上がることで、我々はより進化した種になるのだ。先の戦争で我々は、ニュータイプ能力の発現を見た。地球に居住することのリスクを理解して、コロニーに移住する者も増えている。我々は人の先駆けとして、すべての人類を宇宙に上げて、種の進化を促す使命を帯びているのだ」
 セイラは、眉根を寄せて兄の話を聞いていた。話し終わると、首を振って言った。
「兄さんは、そういう考えなのかもしれない。でも、私は違うわ。ジオンの国民でもない。名もない地球の一市民として生きてきたし、これからも、そう。兄さんのために出来ることは、何もないわ」
「そうかな」とキャスバルは笑みを浮かべる。
「君にはジオンの血を残す、という使命がある」
「何ですって?」
 キャスバルは、立ち上がった。
「我々の計画は第二フェーズに入った。地球の居住者を宇宙に上げるためには、再攻撃も辞さないつもりだ。わかるだろう、アルテイシア。地球の愚民どもとともに滅んでもらっては、困るのだ」
 セイラは、兄の顔をまじまじと見つめた。そこには、どんな表情も浮かんではいない。
「マス家の養父母には、アルテイシアはジオンに移住すると伝えておいた。もし君が戻らなかったとして、他に誰かそれを気にかける者がいると思うか?」
 セイラは兄を押しのけて部屋を出ようとしたが、腕をつかんで引き戻された。
「わかるだろう。他には誰もいないのだ。アルテイシア。私とともにここにいるのが、結局は君にとっても益となる」
 全身の力が抜けたようになり、セイラはその場に座り込んだ。

 地球連邦の在ジオン共和国大使館は、連邦系コロニーや地球へ帰国しようとする人でごった返していた。カイはまだ取材を続けるつもりでいたが、セイラのことが気になった。大使館職員の説明によれば、連邦系コロニーや月面都市を往復する民間機は、今のところ運行を続けているが、月面都市グラナダ、そして<サイド6>へ向かう主要2航路のジオン領空には艦隊が展開しており、軍事的緊張が高まっているという。
「あなたのレポートは、テレビで拝見しましたよ」大使館職員のサトウが言った。
「我々としては、一日も早く出国されることをおすすめしていますが、報道関係者としては、そうはいかないでしょうね」
「おれは<サイド6>の住人なんでね、なんとかなると思っているんだが、地球から来た知り合いと、連絡が取れなくなっているんだ。実際のところ、どうなんだ? まさかジオンはまた、戦争を始めようとしているんじゃないだろうね?」
「どうでしょうか」サトウはにこやかに言うと、声を低めて答えた。
「グラナダ航路は、あと数日もすれば飛ばなくなるかもしれません。この軍事政権に何か目的があるとすれば、グラナダの奪還ではないか、と」
 カイが、肩をすぼめた。続けて、サトウが言った。
「お知り合いが帰国者リストに入っているかどうか、調べてみましょう。お名前を教えていただけますか」
 そのとき、カイの携帯端末の着信音が響いた。彼は手を挙げてサトウを制し、回線を開いた。
「カイ、どこにいるの?」
 電話をかけてきたのは、セイラだった。カイはサトウに指で丸を作ってサインを出し、電話に応答した。
「今、地球連邦の大使館にいる」
 電話の向こうで、すすり泣く声が聞こえる。
「どうしだんだ、セイラさん」
「私、閉じ込められてしまった」セイラが言った。
「ここから、出られないのよ」
 そこで電話が切れた。掛け直したが、もう、つながらなかった。

 アムロのもとに父、危篤の知らせが届いたのは、<サイド3>で発生した軍事クーデターが大きなニュースになってから3日後のことだった。メールの差出人は、ジョン・コーウェン少将。 今はアナポリスにある連邦軍の士官学校で教官をしている、ということだった。

 君のお父さん、テム・レイと私は、<サイド7>で共に連邦軍のV作戦、ガンダム開発計画に携わっていました。

と、そのメールには書かれていた。

 サイド7がジオン軍に急襲された後行方不明になっていたテムは、<サイド6>で発見され、保護されました。残念なことにテムは酸素欠乏症の後遺症で、認知症の症状が現れていました。今彼は、軍の医療施設で療養生活を送っています。
 テムは心臓も患っており、2週間前に倒れてからは寝たきりに近い状態になっています。私はできるだけ見舞いにいくようにしていますが、会うたびに彼は、息子に会いたいとしきりに言うようになりました。そこで私は君のことを調べて、こうしてメールを送ったのです。

 アムロは、父が<サイド6>にいたことを知っていた。一年戦争の時、彼が搭乗していた強襲陸揚艦ホワイトベースが補給のため、<サイド6>に立ち寄ったことがあった。その時、街中で父の姿を見かけて、後を追ったのだ。父はジャンク屋に間借りして生活している様子だったが、コーウェン少将からのメールには、そのことは何も書かれていなかった。
 近況報告のあとに、父の入院している病院の所在地や、父の病状の詳細が書かれていた。

 アムロはメールをもらうまで、父のことなどすっかり忘れていた。<サイド6>で出会った父は、すでに後遺障害が現れていて、アムロの知っていた父とどこか少し、違っていた。そんな父を見るのは悲しくて、アムロの中では、もう死んだことにしておきたかったのだ。もし、何もない平和な日々が続いていたなら、見舞いに行こうなどとは思わなかったかもしれない。しかし<サイド3>の政変から、アムロは何か、過去から呼び立てられているような気がしてならなかった。
 明日、出かけよう。
 そう決めて、アムロはコーウェン少将に返事を書いた。


 翌日アムロは軍の医療施設を訪れた。テムは一人部屋の病室に入っていた。室内は窓からの光で明るかった。アムロは病室に足を踏み入れ、父の横たわるベッドに歩み寄った。
 テムはまるで死んだかのように眠っていた。アムロはそっとその手に触れてみた。もともとほっそりとした体格だったが、今はさらに痩せてその手はすっかり骨張っていた。だが、温かかった。静かな寝息も聞こえている。アムロはベッドの傍らにある椅子に腰掛け、力を込めてその手を握ると、耳に顔を近づけて声をかけた。
「父さん、僕だよ」
 テムが、うっすらと目を開けた。「アムロ?」
「僕のこと、覚えていてくれたんだね」
 テムは目をはっきり見開くと、アムロの手を握り返した。
「…おお、アムロか。やっと、来てくれたな」
「ごめんよ、父さん。父さんがこんなになっているなんて、知らなかったんだ」
「ジョンが、知らせてくれたんだな」テムはゆっくりと体を起こすと、肩で息をして、大きく咳き込んだ。弱々しく片手を上げて、大丈夫だ、と合図する。
「もう私は、そう長くない。死ぬ前にどうしても、おまえに会っておきたかった」
 アムロが、うなずいた。
「おまえに、言っておかないといけないことがある」
 そういうとテムは、もう一度苦しげに咳をした。アムロは彼が落ち着くのを待って、言った。
「無理しないで、横になった方がいいよ、父さん」
 そうだな。テムはうなずくと、そろそろと体を横たえた。
「それで、話というのは?」アムロが言った。
 テムは視線を落として、大きくひとつため息をついた。言いにくいことなのかもしれない。アムロはそんな父親から目をそらした。窓の外には青空が広がり、川の向こうのチェサピーク湾までを見渡すことができる。川沿いには、アナポリス士官学校のキャンパスの緑の芝生が見える。川面には、たくさんのヨットが浮かんでいる。もともとここには旧世紀時代、アメリカ軍の海軍兵学校があったのだ。
「アムロ、おまえに謝らなければ」不意にテムが口を開いた。アムロは彼の方に視線を戻した。
「謝る? 謝るって、何を」
「私は、ダメな父親だった。おまえに宇宙開発の現場を見せたいといって、母親から引き離してしまった。おまえの気持ちも考えず。まったく、自分勝手な父親だ…」
 父の言葉は、予想もしないものだった。アムロは横たわる父の体に手を置いた。テムの目が、心なしか潤んで見える。
「そんなことはない。父さんは僕に、いろんなことを教えてくれた。機械の設計とか、修理とか、宇宙での暮らしとか、自活する方法とか、好きなことに打ち込むのはいいことだ、ってことも…」アムロが言った。
「僕は父さんに、感謝しているよ」
 テムの口元が、かすかに動いた。笑顔を見せようとしているらしかった。長い間、笑うことも忘れていたのだ。今さらながらにアムロは、心に痛みを覚えた。
「…あのとき、僕がもっと上手く戦えていたら、父さんはこんな病気に苦しむこともなかったのに…」
「ア…アムロ」突然はっきりした声で、テムが言った。
「あのときおまえは、自分にできる最善の道を選んだのだ。そのことで、自分を責めるな。あのとき、おまえ以外に誰も、ガンダムを動かして戦おうとはしなかった。おまえだけだったのだ、あの場にいた人の命を救おうとしたのは。そしてあの戦争を最後まで戦い抜いたのだ、あのガンダムでな」
 そう言うとテムは、腕を伸ばしてアムロの頬に触れた。涙が父の指を伝って落ちる。
「アムロ、おまえは私の誇りだ」
 アムロは生まれて初めて、父親の胸に抱かれて泣いた。テムは息子の頭に手を置いて言った。
「私から、最後の頼みだ。カマリアを…、おまえの母を、赦してやってくれ…」
 その日の夕方、テムは一人息子に看取られて天に召された。


 父テムの葬儀は、ジョン・コーウェン少将の計らいで、アナポリス士官学校の構内にある礼拝堂で行われることになった。アムロは急いで誂えた黒のスーツに身を包んで、葬儀が始まる前の礼拝堂に入っていった。十字架が掲げられた祭壇の前に、棺が安置されていいる。アムロは会場の準備をしている人に頼んで、棺の蓋を開けてもらった。
 テムは、生前にはほとんど見たことのないような安らかな顔で永遠の眠りについていた。アムロは冷たくなった亡骸に触れると、持ってきた勲章をポケットから取りだし、その胸に置いた。棺の蓋を開ける手伝いをしてくれた若い士官候補生が、それを見てはっと息をのんだ。アムロが棺に入れたのは、地球連邦軍の中で最も名誉とされる勲章、メダル・オブ・オナー。一年戦争の戦功によって連邦軍から授与されたものだ。士官学校の学生なら、その価値についてはよくわかっているだろう。アムロ自身は、それほどの名誉を少しも感じていなかった。しかし、死の前に父がかけてくれた言葉を聞いて、それを父にと思ったのだ。彼と最後まで一年戦争を戦った愛機RX-78は父の設計したもので、アムロは幾度となくその性能に助けられてきた。だからこの勲章は、自分が持っているより父に捧げた方がいい。父の労に報いるために、できることはもう他になかった。

 葬儀に参列した人数は決して少なくなかったが、棺の埋葬まで立ち会ったのは、ほんのわずかだった。父の友人だというジョン・コーウェン少将は、最後まで付き添ってくれた。アムロはこの日初めて出会ったのだが、彼の方はアムロのことを良く知っているようだった。
 コーウェン少将は埋葬が終わると、アムロに握手を求めてきた。
「君のことは、かねてから聞いていた。一度話をしたいと思っていたのだ」
「ありがとうございます」
「あの、テムの胸の勲章は、君が?」
「ええ、そうです」アムロが言った。
「父は死に際に、僕のことを誇りに思うと言ってくれました」
「そうか、それは良かった」コーウェン少将が言った。
「テムはいつも、私に一人息子のことを自慢していたよ」
「そうですか」アムロが言った。「僕に、何か?」
「大学を卒業したら、何かしたいことがあるのか?」
「まだ、具体的にどうしようとは決めていませんが」アムロが言った。
「しかし、いずれは宇宙へ帰りたい、と思っています。放棄されている<サイド7>をなんとかしたい、という思いもあります」
「<サイド7>か」コーウェン少将が言った。
「地球連邦は、なんとかジオンの地球侵攻を食い止めはしたが、独立を認めざるを得なかった上、その損失は計り知れない。連邦軍の再建も急務だが、人材が払拭している」
 アムロが、肩をすくめた。
「そこで、君だ。一年戦争であれほどの戦績を残した君を、私としては埋もれさせたくない。君が望むなら、いつでも士官学校に入学させるつもりだ。宇宙へ帰りたくないか、モビルスーツで」
 しばらくの沈黙のあと、アムロは口を開いた。
「正直なところ、自分にはよくわかりません。軍人になれるのかどうか。あのときはただ、無我夢中でした。生き延びるために必死でした。モビルスーツを操縦することや、宇宙を飛ぶことは単純に好きだったかもしれません。でも、それだけでは…」
「それだけではない。君にはその場、そのときに判断して最善と思うことを実行する勇気があった。そうじゃないか? それは訓練すればどうにかなる能力とは違う」
「父も最期に、僕にそう言ってくれました」
 コーウェンはうなずき、アムロの肩に手を置いて、言った。
「やがて、嵐が来る。我々は備えをしなければならない。君は連邦軍で最初に、モビルスーツに搭乗して戦った人間だ。たとえ市民がそれを知らなくても、我々は知っている。宇宙に帰る気になったら、いつでも気兼ねなく連絡してほしい」
 去っていくコーウェンの背中を見ながら、アムロは<サイド3>で起こったクーデターのことを思い、唇を噛んだ。

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