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機動戦士ガンダム0080 #2 聖痕 Stigma

1979年に放映された「機動戦士ガンダム」第43話(最終話)のあとに続くお話です。最終決戦の地ア・バオア・クーから脱出を果たしたホワイトベースのクルーたち、中でもアムロとセイラの「その後」を描いた短編です。
ここでは、地球に戻ったセイラとアムロ、それぞれが直面する現実と苦悩を描いています。

 南フランスの都市マルセイユ近郊の町の、小さな湖の畔に、その白い瀟洒な屋敷はあった。16歳のとき、資格を得て<サイド7>に旅立って以来、セイラ・マスがここへ戻るのは2年半ぶりになる。タクシーを降りると玄関の扉が開き、待ち構えていたかのように、養母が彼女を出迎えた。
「おかえりなさい、セイラ」と、養母は以前と変わらないやさしい声音で、まるで学校から帰ってきた子供を迎えるように、彼女を屋敷へ招き入れた。セイラは、その様子に少し安堵した。だが、ここでの暮らしのルールを思い出し、笑顔を見せながら答えた。
「お迎えありがとう、お母さま」
 もちろん彼女は、実の母親ではない。だが、ジオン・ダイクンの娘という素性を隠して祖国を逃れて来た彼女は、ここでは父の支援者につながる名家マス家の娘として、振る舞わなければならなかった。養母は、いつもそうしていたようにセイラをやさしく抱きしめ、中へと導き入れた。
「あなたのお部屋は、そのままにしてあるわ。まずは着替えていらっしゃい」
 使用人が運ぼうとするのを制して、セイラは自分で小ぶりのスーツケースを持つと、玄関ホールの中央の階段を昇っていった。

 彼女の部屋は湖に面して建つその屋敷の正面にある。セイラは窓を開け、部屋の中に、冷たい2月の風を注ぎ入れた。白いコートを脱ぎ、クローゼットに掛ける。そこには、まるで昨日までそこで暮らしていたかのように、彼女の服が並んている。青いワンピースを脱ぎ捨てると、彼女はその中の一つを取って身につけた。ざっくりしたオフホワイトのタートルネックセーターに、タータンチェックのスカート。ここでは良家の令嬢だったわね、と、ふと思い出しくすっと笑う。

 階下へ戻り、居間へ入ると養母は大ぶりのポットに入れた熱い紅茶を運んできた。白磁のティーカップとソーサー。いつも使っていたものが、なぜかとても新鮮に見える。こんな、丁寧な暮らしをしていたのね。
「とっても、驚きました。ジャブローというの? 地球連邦軍本部から連絡をもらって」
 静かな声で、養母が言った。
「<サイド7>は安全だと思っていたけれど、ジオン軍の攻撃を受けて、住民がコロニーを脱出したというニュースがあってから、あなたのことが気が気でならなかったの。無事に避難できたのかどうかコロニー管理局に問い合わせてみたけれど、当局もほとんど機能していなくて、何の情報も得られなかった。<サイド7>を連邦軍の船で脱出して、ジャブローに避難していたんですって?」
 セイラは手にしたカップを置くと、養母の顔を見た。ええ、そうよ。<サイド7>がジオンのモビルスーツに急襲されて、ホワイトベースに逃げ込んだの。そのとき私、兄さんにとてもよく似た人に、出会ったのよ。
 正直に、そう話したくなる衝動をこらえて、セイラは微笑んだ。
「ええ、そうなの。連邦軍の船に何とか避難できてね、そのまま<サイド7>を脱出したの。無事南米のジャブローに降りることができて、戦争が終わるまで、そこで安全に過ごすことができたわ。でも連絡できなくて、ごめんなさい。ジャブローは、とても通信統制が厳しくて」
 いいのよ、無事だったのだから。そう言って養母は微笑んだ。疲れたでしょう、ゆっくり休むといいわ。あなたが望むなら、冬のバカンスに出かけてもいいのよ。
 ありがとう、ゆっくり考えさせて。セイラは言葉少なに答えると、荷物を整理するからと、自室に戻った。

 脱ぎ捨てた青いワンピースを拾い上げハンガーに掛けると、セイラはスーツケースを開いて中のものを床に広げた。といっても、入っているのはほんのわずかの衣類と化粧品、衛生用品ぐらいしかない。<サイド7>からの避難時に着ていた服とブーツを取り上げて、彼女はクローゼットに仕舞った。ホワイトベースがジャブローから出港して宇宙へ上がる時、私物はジャブローに割り当てられた個室に置いてきたのだ。おかげで、マチルダさんと撮った記念写真は手元に残ったって、カイは喜んでいたっけ。
 セイラの手元にも、一枚だけ写真があった。終戦のあと、ジャブローに戻ったときにホワイトベースの仲間たちと撮った写真だ。真ん中に立つブライトとミライの少し横にセイラが、そしてセイラの隣にはアムロ・レイが立っている。シャアがセイラの兄だったと気づいてから、彼は彼女を避けるようになっていたけれど、このときは、みんなの戦いが終わってほっとした顔に気持ちがほぐれたのか、自然に隣に並んでいた。そっと、その手に触れたとき、ぎゅっと握り返した、その熱量を今も覚えている。その手を、離さなければよかった。そうすれば、自分の気持ちを伝えられたのに。

 でも、何と? 

「それならそうと、どうしてあの時話してくれなかったんですか、そうすれば、僕だって戦いを止める方法を考えられたのに」

 兄のことを打ち明けたとき、アムロから突きつけられた言葉に対する答えを、ずっと探していたけれど、いまだに見つからない。ただひとつ、わかったことがあった。自分が「大丈夫、あなたならできるわ」と励ました言葉をアムロが信じたほどには、自分は人を信頼してはいなかった、ということが。信じても無駄、きっと裏切られ、愛する人は私のもとを去ってゆく‥‥

負の烙印スティグマね‥‥」

 セイラは、指先でそっとその写真を撫でた。もう、この写真に写った人たちに、会うことはないだろう。とりわけ、アムロには。写真立てに入れて、部屋に飾ろうと思ったけれど、それもやめることにした。軍服姿の自分や仲間たちを、養父母や使用人に見られるわけにはいかない。

‥‥それでも、愛してる‥‥

 ジャブローから飛び立つ飛行機と、彼の乗る機体とが接近した一瞬、耳の奥に小さく響いた彼の言葉。きっと彼も、私を探したりはしないだろう。終わったのだ、すべて、終わったのだ。
 すべての思いを封印するかのように、セイラは写真をライティングデスクの引き出しの奥深くに仕舞った。

 数日の間、セイラは家の者のほかには誰とも会わず、屋敷の中に引きこもっていた。8歳からのおよそ6年間兄妹で暮らしたこの家にいると、そこかしこに懐かしい兄の面影が蘇ってくる。セイラは玄関ホールで、客間で、居間で、屋根裏で、バルコニーで、そして兄の部屋で、その面影と戯れた。記憶の中の兄、キャスバルは利発だが優しい少年で、いつも彼女のことを一番大事にしてくれた。
 
 夕食の時、養父はセイラに言った。どうだ、体の疲れは癒えたかな。ここは君の家だ。ずっと、ここで暮らしていいし、医師になりたい、という夢を叶えるために、大学に進んでもいい。自分の行きたい道を進みなさい、戦争は、もう終わったのだから。
 その言葉には温かみがあったが、セイラは養父母が一言も、兄キャスバルのことを口にしないことが、とてつもなく悲しかった。誰にも憚らず兄のことを話せる存在だった養父母も、そうではなくなっていた。

 次の日、セイラは車を借りて街へ出た。気晴らしに、ショッピングでもしてくるわ。そんな、軽い気持ちだった。それに、兄の思い出が染みついたあの屋敷に、ずっと留まっていたくはなかった。どこかへ向かって、自分も動き出さなければいけない。<サイド7>に向かうときには、確かに医師を目指していた。でも、今もそうなのか、自分の気持ちが見えなくなっている。外に出れば、何かが変わるかもしれない、と思ったのだ。

 訪れたマルセイユの街区は、戦争などまるでなかったかのように、旧世紀から続く街並みをそのまま残していた。港のそばのパーキングに車を入れると、気の向くままにセイラは街を歩いた。戦争の傷跡はないのだろうか、と気がつけば探している。自分や、あのホワイトベースの仲間たちが、あれほどまでに傷ついたというのに、なぜ、ここには何の痕跡もないのだろう。あの戦いは、本当に起こったことだったのだろうか。そんなふうにさえ思えてくる。
 また、気持ちがふさいできた。セイラは目についたカフェで休息を取ることにした。

 海からの風が冷たいから、中に入られてはいかが?というすすめを断り、セイラはテラス席を選んで腰掛けた。案内してくれたのは、自分と同じ年頃の女性だった。赤茶けた髪を、長く垂らしている。何となく、見られているのが気になった。
 注文の品をそろえて、またその女性がやってきた。テーブルにコーヒーのカップをおくと、寒いので、もしよかったらこれを、と言って膝掛けを手渡してくれた。
「ありがとう」顔をあげて、セイラが言った。
 その女性が、目を丸くした。
「あら‥‥、あなた、人違いだったらすみません。もしかして、セイラ?」
「え、ええ。どこかでお会いしたかしら?」
「私よ、リセで同じクラスだった、セリーヌ・デュトワ」
 セイラは、息を呑んだ。あまり親しく同級生に関わらなかったセイラが、唯一仲良くしていた友達だった。彼女にも兄がいて、兄同士も同級生だった。セリーヌにとって、兄のキャスバルは初恋の人だったはず。
「帰ってきていたのね、<サイド7>から。無事でよかった、あなたがあそこに移住したってお母さまから聞いていたから」
「え、ええ。セリーヌ、懐かしいわ。どうしてこのお店に?」
「父が経営しているお店の一つなの。手伝いをしているのよ」彼女が言った。セリーヌも裕福な家の娘で、父親はプロヴァンス地方でレストランやカフェをいくつも経営している。
「そうなの、変わったわね、昔は接客業なんて、私は嫌い、なんて言っていたのに」
 すこし照れたような表情を見せると、彼女は言った。
「本当は、一番上の兄が父の事業を継承するつもりで、経営にも加わっていた。でも、あのコロニー落としを許せないって、志願して軍に入って‥‥戦死してしまったの。下の兄は徴兵されて、死にはしなかったけど大怪我を負って、リハビリセンターにいるわ。少し、生きる気力をなくしているみたい」
「そう‥‥そうだったの」
「それでね、父が、事業を継ぐのはおまえしかいないって、何でもいいから店を手伝うようにって言われてね。でも、やってみると、だんだん面白くなってきて」と、明るい調子で彼女は話を続ける。
「パリの大学へ進んで、経営の勉強をしようと思っているの」
 どうぞ召し上がって、このケーキ、久しぶりの新商品なの。やっと食材が、そこそこ手に入るようになったのよ。その口ぶりからは、店の経営を楽しんでいる様子が伺えた。
「セイラ、あなたのお兄様は?」
 自然な流れでそう聞かれたので、セイラは身構えずに答えることができた。
「私より一歩先にコロニーへ移住したけれど、それっきり‥‥行方不明になってしまった」
 つい涙声になってしまったけれど、見るとセリーヌも目を潤ませている。
「セイラはお兄様のこと、大好きだったもの、辛いわね。私の話も、聞いてくれてありがとう。兄のこと、少し話せて、ちょっぴり心が癒された気がするわ」
 じゃあ、ごゆっくり、と言い残して、セリーヌは店の仕事へ戻っていった。
 コーヒーの苦味が、口に残る。何の傷跡もないように見えたこの街にも、大きな傷跡が実はあったのだ。それは決して、目には見えないけれど‥‥

 見えない傷を抱えたままでも、人はきっと生きていけるけれど、
 見えない傷を抱えたままでは、きっと同じ過ちを繰り返す

 どうすれば、癒すことができるのだろう、どうすれば‥‥

 セイラは、まるでそうすれば傷が浮かびあがってくるかのように、手のひらをじっと見ていた。

 それから数日後のことだった。珍しく、マス家に来客があり、養父母と長く話し込んでいた。セイラは来客とは玄関ホールで軽く挨拶しただけで、あとはずっと自室にこもっていた。昔から、来客があったときはそうしていた。
 嫌な思い出があった。前にも一度、来客と養父母が長い時間話し込んでいたことがあった。そのあと、兄が部屋に呼ばれた。その数日後、兄はスーツケース一つで、行き先も告げずに旅立ってしまった。
 今にして思えば、養父母は兄がどこへ行ったか、知っていたことは間違いない。しかし決して、それをセイラに明かそうとはしなかった。誰も私には、本当のことを話してくれなかった。セイラは、そのことが悲しかった。

 考えすぎて疲れた彼女は、ベッドに横たわり、寝入ってしまった。何度めかの、ノックの音で目を覚ましてようやく起き上がり、ドアを開けた。使用人が、階下で各人が私を呼んでいる、という。慌てて身なりを整えると、セイラは階段を降りていった。
 客間には、テーブルを挟んで養父母と一人の男性が向かい合って座っていた。男性はセイラが入ってくると立ち上がり、深々と頭を下げると、言った。
「姫様、お待たせしました。ようやく、父君の建てられた祖国へお戻りいただく準備が整いました」
 セイラは驚きのあまり身じろぎした。姫、という呼びかけが、ホワイトベースでランバ・ラル隊と繰り広げた白兵戦の記憶を呼び戻す。あのときは、咄嗟に「姫と知って、なぜ銃を向けるか」などと叱責の言葉が出てきたけれど。
「何の、お話でしょうか」
「<サイド3>のことです。姫様。ザビ家一党の勢力は敗戦により完全に排除されました。どうか、祖国へお帰りください。父上に付き従ってきた者どもが、お待ち申し上げております」
「ジオンへ、今更戻れと?」そう問いかけるセイラの声は震えていた。
「父も、母も、兄さんも、もう誰もいないのよ。そんなところへ行っても‥‥」
「父上の友らが、待っておられるのですよ。それに、マス家の方々も、あなたをジオンに帰国させるために、こうして今まであなたを匿ってこられたのです」
「私を、脅す気ですか」
 その強い語気に、養父母が驚きの表情を見せている。
「そうやって、あなた方は兄をザビ家への復讐に駆り立てて、懐刀として遣わせたのね。自分たちの手を汚すことなく。でも、違うわ。ザビ家の支配するジオンを倒したのは、連邦軍なのよ。連邦軍の、名もない兵士たちなのよ」
 客人は、口を閉じて養父母に顔を向けた。養母が言った。
「この子は開戦前に安全な<サイド7>へ移住させたのですが、そこもジオン軍の攻撃を受けて避難を余儀なくされ、ジャブローで幽閉されていたのです」
「お母さま、違うわ。移住したのは私の意思だし、幽閉もされていない」
 客人はうっすらと笑みを浮かべると、言った。
「さすが、ジオン・ダイクンの血を引くだけあって、強い意志を持っておられる。ただ少し、地球連邦の気風に染まりすぎのようですな。では、私はこれで」
 養父母が、立ち上がった。客人は二人に挨拶をすると、セイラの方を向いて言った。
「姫様、私どもはいつまでも、あなたの帰国をお待ち申し上げております」

 自室に戻ったセイラは、全身が怒りで震えるのを感じていた。父を支持するダイクン派の人々にとっては、私たち兄妹もまた、父の名を冠する国家の支配を自らの手に取り戻すための、道具にすぎなかったのか。
 セイラは、ライティングデスクの引き出しから、ホワイトベースで撮った写真を取り出した。私の帰るべき場所は、ここではなかった。本当に信じていいのは、この仲間たちだったのに。

 ここへ出て、どこへ行こうか。
 スティグマの疼かない、どこかへ。


 また、ここへ来てしまった。
 アムロは曇天の空と、それと同じくらい暗い色をした海面を見つめた。トーキョー・ベイに面したそのエリアには、旧世紀時代に海を埋め立てて造られた埠頭が、海岸線に連なっている。ダイバと呼ばれるその地区は、かつて鎖国をしていた日本に開国を迫ってアメリカの艦隊がやって来るのを見越し、防御のために砲台を並べたことに、その名の由来があるという。台場は海岸沿いだけでなく、湾の中にも造られた。今も小島のように、緑をたたえてそこにある。
 夕暮れ時、橋に点滅する航空障害灯がきらめきを放ち、車のヘッドライトがキラキラと光りながら、埠頭の間をつないでゆく。その光景を見るのが好きだった。誰もが、どこかへ帰ろうとしている。帰る場所を失ったアムロにとって、それは、ささやかだけれど胸を焦がすような光景だった。

 終戦を迎えジャブローに帰還してから、アムロが除隊しトーキョーに来るまで、3ヶ月ほどの時間を要した。<サイド7>がジオン軍に襲撃されたとき家族を亡くしたフラウ・ボゥやハヤト・コバヤシと違って、アムロは父も母も存命だった。そのため<身元引受人>の照会に手間取ったのだ。アムロはそのときはじめて、行方不明だった父と<サイド6>で出会ったことを、軍の担当者に打ち明けた。担当者は調べて連絡を取ってみると言ってくれたが、結局父のその後の行方はつかめなかった。母には戦争中、アムロの故郷でもあるサンイン地方の難民キャンプで出会ったが、そのキャンプはすでに引き払われ、母は別の男と結婚してヒロシマに住んでいることがわかった。そのときはじめて、アムロは7年前に両親が離婚していたことを知った。母は<身元引受人>になってもいい、と返答したが、アムロはそれを断った。そして、フラウ・ボゥやハヤトの後を追って、トーキョーのベイエリアに開設された避難民居住区で暮らすようになった。

 海辺の公園で浜風に吹かれていると、遠くから、耳慣れない音が聞こえてきた。周囲を歩く人たちがざわざわし始め、周辺のビルの窓からも、たくさんの顔が通りを見ている。

 ‥‥ズゥン、ズゥン‥‥

 アムロにとっては、それは決して耳慣れない音ではなかった。モビルスーツが、地上で歩行前進するときの音だ。通りをゆく人たちが、音がする方向へ、駆け出した。逃げるのではなく、近づいている。何だろう、とアムロも引き寄せられるように、近づいていった。


 地球連邦軍のモビルスーツ、ジムが、警護車両に先導されながら、公園沿いの道路を歩いている。聞けば、終戦記念に連邦軍の勝利の象徴となったこのモビルスーツの実機が、公園の一角に展示されるというのだ。
 展示会場で直立不動のポーズで停止したジムからパイロットが降りてくると、見物に集まった人々から、歓声が上がった。会場のアナウンサーが、パイロットは5機撃墜のエースであると伝えている。手を振るパイロットはフラッシュライトに囲まれ、次に、集まった人たちとの記念撮影が始まった。
 群がる群衆に混じって、アムロはそれを不思議な気持ちで見ていた。本当なら、喝采を浴びながら降りてくるパイロットは自分だったかもしれなかった。だが、連邦軍はそのことを公にすることを好まなかった。18歳未満の少年少女を最前線に送り出すことは、人道上問題があったと批判されることを恐れたからである。アムロたち<サイド7>からホワイトベースに乗り組んだ現地徴用兵は、ジャブローに避難し、終戦までそこで過ごしたととされていた。ホワイトベースやガンダム、ガンキャノンの戦闘記録は、非公式のうちに埋もれたのである。
 
 物珍しさに集まってくる人の群れから離れようと後退りしたとき、アムロは横にいた人に体をぶつけてしまった。
「す、すみません」
 相手は自分と同じぐらいの歳に見えた。熱心にカメラのレンズを会場のモビルスーツに向け、撮影している様子だった。
「いえ、大丈夫です」と振り向いた少年が、じっと彼を見て言った。
「あれ、君‥‥アムロっていったよね、同じクラスの」
「あ、ああ、えーと?」
「あはは、覚えてないか。ヒロ・サイトウっていうんだ。よろしく」
 にこにこと笑いながら、彼は言った。
「アムロも、こういうのが好きなのかい?」
「えっ?」
「あのモビルスーツを見に来たんじゃないのか」
「あ、ああ‥‥、たまたまこの辺に来てただけなんだけど、‥‥なんだか、すごい騒ぎだね」
「地球連邦軍が、ジオン軍に対抗してようやく完成させた、初めてのモビルスーツだからね」とヒロが、得意げに答える。
「このジムが量産化されたことで、地球連邦軍は反転攻勢に出たんだけど、主戦場が大気圏外に移ってしまったこともあって、実機を見る機会って、全然なかったんだ」
「ふーん」
 群衆の中から、わあっ、とまた歓声が上がった。求めに応じて、パイロットがジムにポーズを取らせているのだ。
「あ、じゃあ僕はこれで」
 カメラを手に、ヒロが駆け出してゆく。アムロは小さく手を振ると、ダイバの公園を後にした。


 その夜、アムロはなぜか目が冴えてなかなか寝付くことができなかった。久しぶりに、モビルスーツの起動音を聞いたからだろうか。降りてきたパイロットが、英雄のように出迎えられるのを見たからだろうか。
 胸の奥にひりひりと、刺された傷が疼くような痛みを感じる。そして瞼の裏に、あのときの光景が浮かんでは、彼を責める言葉が響いてくる。

‥‥シャアを傷つける、いけない人!
‥‥あなたを倒さねば、シャアが死ぬ!
‥‥なぜなの?なぜあなたはこうも戦えるの? あなたには守るべき人も守るべきものもないというのに!
‥‥私には見える、あなたの中には家族もふるさともないというのに!

 戦闘の中で突然突きつけられたその言葉は、今もアムロの心をえぐり続けている。その一つひとつが、自身の現実を、あまりにもあからさまにしているからだ。あのとき敵のモビルアーマーを操っていたあの少女、ララァと、覚醒したニュータイプ能力によって、互いをわかりあうという稀有な体験をしたはずなのに、そのわかり合えた一瞬の恍惚では癒やし難いほどに、その前に伝わってきた剥き出しの敵意が、その心に突き刺さって抜けずにいるのだ。

‥‥あのとき‥‥
‥‥あのとき、彼女が言うように戦うのをやめていれば‥‥ララァは死なずにすんだ‥‥
‥‥おまえが、ララァを殺したのだ、おまえが、ララァを‥‥

‥‥あのとき、死んでいたのが彼女でなく自分だったら‥‥
‥‥死んだのが僕だったなら、誰も、悲しむことはなかったのに‥‥
 
 頬を伝う涙で枕を濡らしながら、静かに、眠れぬ夜が更けてゆく。


 週明け、いつものように始業ぎりぎりの時間にハイスクールの教室へ入ったアムロを、あの日公園で出会ったクラスメイトが見つけ、空いていた隣の席へ手招きした。
「大丈夫? 目が腫れぼったいみたいだけど」
「うん、‥‥ときどき、変な夢ばかり見て、眠れなくなるときがあるんだ、それだけのことだよ」
「心療内科に、行ってみるといいよ。PTSDかもしれないから」
 アムロは、宇宙要塞ソロモンからジャブローへ向かう船の中で過呼吸に陥ったとき、同じことをサンマロが言っていたのを思い出した。
「あ、ごめん、気を悪くしたのなら‥‥、でもアムロ、あれだけの戦争があったんだ、恐ろしい目に遭った後、不調になるのは少しもおかしなことじゃないよ」ヒロが言った。
「ありがとう」アムロが言った。
 いつの間にか、授業が始まっていた。ヒロ・サイトウは、コンピュータの画面を立ち上げてはいたが、授業の内容ではなく、何か別のことに取り組み始めたようだった。
 アムロは横目で、彼のモニターをちらりと見た。彼は先日ダイバの公園に展示された、例のジムの画像から、3Dグラフィックスを起こしているようだった。見た通りのジムの形が、画面の中に再現されている。だが、彼はそれだけでは、まだ満足していないようだった。データに修正を加え、そのデザインを少しずつ変化させている。
 その様子を見ていたアムロは、彼がジムだったものの頭部に2本のアンテナを取り付け、顔面のメインカメラをのっぺりしたゴーグル型からシャープな二つ目に変えたとき、アムロは鼓動が早くなるのを感じていた。どうして、試作機だったガンダムを、彼が知っているのだろう?
 アムロの視線に気づいて、ヒロが言った。
「どう? こうした方が、かっこいいと思わない?」
「そ、‥‥そうだね」
「だろ? でも、これ僕が考えたデザインじゃないんだ」
「えっ?」
「誰に言っても信じてくれないんだけど」とヒロは肩をすぼめる。
「あの量産型のジムってやつが出てくる2ヶ月か3ヶ月前だったと思うけど、僕、見たんだ。こんなのを」
「どこで?」
「ここよりずっと西側の、僕の住んでた町の近くで」
 アムロは、彼の顔をまじまじと見つめた。もしそれが本当なら、それは自分が操縦していたガンダム以外にないはずだ。しかしアムロは、すべてを話してしまいたい衝動をぐっとこらえて、言った。
「僕は、信じるよ。きっと、それは試作機か何かで、テストしていたんじゃないかな」
「ありがとう、アムロ」ヒロが言った。
「おまえ、思ったよりいいやつだな」
「ん? それ、どういう意味?」
「言った通りの意味さ」ヒロはそう言うと白い歯を見せた。
「今日の夜は、よく眠れるといいな」

 その日から、アムロはヒロと親しくなり、ホワイトベースの仲間だったミライやフラウ・ボゥ、ハヤトとはあまり話さなくなった。何も知らない彼といると、何もかも忘れて無心になれる気がした。そうすれば、心の疼きにも鈍感になれた。

 それでもときどき、自分自身を思い出すように、彼は別れの近づいていたあの日、ホワイトベースの仲間たちと撮った写真を見返した。あのとき、自分の隣に立ったセイラさんが、そっと触れた手をアムロは思わず握り返した。あのとき、何を伝えようとしていたのか、とふと思う。自分にも、伝えたいことがあったはずだ。だがあの時はまだ、自分がしてしまったことの重荷を、この手が覚えていた。ア・バオア・クーのあの一画でシャアと生身で対峙したとき、手にした剣で彼の額を貫いた、そのときの感触を。
 今、その手をアムロはじっと見つめていた。触れた手の、思いがけないか細さを、まだ覚えている。そして、気づいた。剣で刺し通した、そのときの重みが、今はもう消えていることに。

 春が、近づいていた。ヒロ・サイトウが、完成したよと言って、ジムをベースに制作したモビルスーツの3Dグラフィックスを見せてくれた。それは、驚くほどガンダムに似ていた。
「すごいな」アムロが言った。
「見たのはちょっとの間だったんだろ? それなのに、よくこんな細部まで覚えるもんだね」
 ヒロはいつものように、にこにこしながら頷いた。
「そうなんだ。誰も信じてくれないけど、それでもいいんだ。このモビルスーツが来てくれた、と思うだけで、失ったものが取り返せた気がするんだ」
 アムロは、そっと右手を握りしめた。あのとき触れたセイラさんの手を、忘れずにいよう。そうすれば、心の疼きも、乗り越えられる。

 そうすれば、自分の中の負の烙印を、消せるかもしれない。
 あの人と同じ空の下で、自分も生きていていいのだ、と思い続けられるかもしれない。


〜Fin〜


<ちょっとしたあとがき>

本作を、最後までお読みくださりありがとうございます。
テレビ版「機動戦士ガンダム」を最終話のあとの、アムロとセイラに起こったことを短編で書いたあと、また、その続きを書いてみたくなり、セイラがマス家の養父母に帰り、アムロがジャブローを出たあとのお話を書きました。
続編であるΖガンダムでは、ホワイトベースの活躍は世に知られて、アムロやカイ、ブライトらは英雄視されるようになるものの、その能力や存在感が危険視されるようになり、アムロは地球連邦軍にそのまま残って7年にわたる軟禁生活を送り、セイラは我関せずと世捨て人のように暮らす、という設定になっていました。
かりにも主人公であるアムロと、ヒロインのセイラさんの扱いが、ぞんざいすぎて泣いてしまいました。
なので、ちょこっと私風に変えています。
彼らは英雄にはなりませんでした。危険視もされていないかわりに、ホワイトベースの戦績自体が、闇に葬り去られてしまいました。自分たちの体験した戦い、そしてその中で感じた苦しみや悲しみを、だれにも知られず、分かち合うことができない、それほど苦しいことが、あるでしょうか。

でも、アムロとセイラはそれぞれに、乗り越えてゆく道を見出します。
その先にきっと、素敵な再会があるはずです。

最後までお読みくださり、ありがとうございます。 ぜひ、スキやシェアで応援いただければ幸いです。 よろしければ、サポートをお願いします。 いただいたサポートは、noteでの活動のために使わせていただきます。 よろしくお願いいたします。