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機動戦士ガンダム0085 姫の遺言 #3 消せない思い

機動戦士ガンダムで描かれた、宇宙世紀0079の戦争が終結したあとの、ホワイトベースの人々を、アムロとセイラをメインに描いたシリーズ「機動戦士ガンダム After the War 0080」に続くお話、第3話です。
ブライト・ノアからアムロに電話がかかってくる。<サイド3>にいるカイはセイラについての情報を得るが、事態は緊迫の度合いを強める。

 大学の寄宿舎へ戻る途中、携帯端末に着信があった。アムロは、それを取らなかった。誰かと話せるような気分ではなかった。部屋に戻ると、また着信があった。同室の3人は部屋にいて、それぞれがデスクでモニターに向かっている。アムロは着信を無視して、取らなかった。しかし着信音は切れることなく、1分以上も続いている。
「やかましい!」トムが怒鳴った。
「いい加減にしろ、アムロ。出るなら出る、出ないなら切る!」
 アムロはむすっとしたまま、端末の着信を切った。しかし数分後、また着信音がなり始めた。3人が、振り向いた。
「わかったよ、出るよ」アムロはそう言って、端末を取った。
「アムロ・レイ?」
「ええ、そうですが」
「私だ、アムロ。ブライトだ」
「ブライトさん?」早くもアムロは、電話に出たことを後悔し始めた。過去が自分を追いかけてくる。
「何の用ですか?」
「今、どこにいる」
「え? 今? ……地球」
「そんなことはわかっている! 具体的なことを聞いているんだ」
 相変わらずだな、ブライトさん。そう思いながらアムロは答えた。
「大学の寄宿舎に、先ほど戻ってきた」
「お父さんのことは、コーウェン少将から聞いた。本来なら私も葬儀に出席すべきだったのだが、勤務の都合で無理だった。すまない」
「いいんです。そんなこと。それで電話を?」
「いや…」とブライトが一瞬、口ごもった。
「実は、頼みがある。<サイド3>に行ってくれないか」
「え?」あまりにも突飛な言葉に、アムロは思わず聞き返した。
「<サイド3>に? なぜですか」
「10日前、セイラが兄からの招待を受けてズム・シティに飛んだ。3日前には戻る予定だったが、例のクーデター以降連絡が取れない」
 セイラの名を聞いて、アムロは鼓動が早まるのを感じた。動揺を隠して、彼は言った。
「それで?」
「カイが記者として取材に入っているのを、見ただろう。ジオン独立記念日の前日にズム・シティでセイラに会ったらしいが、最後にかかってきた電話によると、どうも監禁されているようだ、と」
 アムロは、端末を持つ手が震えるのを感じた。
「それで、僕に助けに行けっていうんですか」
「そうだ」
「カイがいるじゃないですか」
「ジオンは、国外に向けた通信を大幅に制限していて連絡が取れない。報道関係者が次々に拘束されている、という情報もある」
「だからって、なぜ、僕なんですか。それって警察とか、特殊部隊のやることじゃないんですか?」
「ジオンが今どうなっているか、知っているだろう。軍が全権を掌握している。そのトップが彼女の兄なんだ。現地の警察は動かないし、我々が手出しできる状況にはない」
「気楽で世間知らずな学生なら、この状況でジオンに行っても怪しまれないだろう、って、そういうことですか」
「フォローはしてやる」
 アムロは、どう返事をしていいかわからなかった。
「セイラがどうなってもいいのか」と言われると、わかった、という他なかった。ブライトは、すでに搭乗便を手配していた。彼は、ブライトの知り得た情報と行くべき場所を聞き、それをメモした。

 時間がない。アムロはブライトとの通話を終えると、バックパックに荷物を詰め始めた。手を動かしながらも、頭の中にあふれる言葉が、つい口から漏れ出てくる。
「ちくしょう…」
 一年戦争のとき、戦いの中で自分を一番信頼し、その才能を認めてくれ、そしてともに戦場で戦った人だった。終戦まぎわの頃には、心に通じ合うものさえ感じていた。しかし最後の戦場で、彼は彼女の秘密を知った。モビルスーツを捨て去り、剣を取って互いの命をさえ奪おうとして戦った宿敵ともいうべきその相手、赤い彗星と呼ばれたシャア・アズナブルが彼女の兄だったのだ。
 戦いの後、セイラはすべてを話してくれたが、アムロはそれを受け止め切れなかった。彼女が戦いに身を投じてまで兄の行方を突き止め、戦いを止めさせようとしてしていたそのとき、自分は何も知らず、無邪気に、ただ相手を仕留めようとがむしゃらに戦ってきた。そのことが、彼女をかえって苦しめてきたのではないかと思うと、自分を赦すことができなかった。

 なにが、ニュータイプだ…

 アムロは、その脅威的な予見能力と適合性から自分に張られたレッテルを呪った。先が見える、人と心が通じ合う、などと言われたが、何のことはない。すぐ隣にいて、いちばん分かりあっているはず、と思っていた彼女のことさえ、微塵もわかっていなかった。彼は、そんな自分を恥じた。もう、彼女とは顔を合わせることができない、と思った。
 だから、うれしかったのだ。4年前、ホワイトベースのみんなと顔を合わせることを避けて、集まりの約束から逃げ出していたとき、彼女が自分を探し出してくれたことを。その才能から、パイロットを続けさせたいという軍の思惑から逃げて、自由に生きていい、と言ってくれた、その言葉を。だからそのとき告げられた別れの一言も、彼女の意思として逆らうことなく受け取ったのだ。

 それなのに、今になって湧いてくる感情を、彼は押しとどめることができなかった。互いに戦火を交えて戦った、死闘を繰り広げざるを得なかった、その相手であっても、結局兄という理由で赦せてしまい、会いにさえ行くことができるとは。

 ただならぬアムロの様子に、ダビド、ヒロ、トムの3人はそれぞれのデスクからアムロの方を心配そうに見つめている。それに気がつくと、アムロは目をこすって言った。
「ちょっと、出かけてくる」
「そうか…、なんか、辛いことがあったみたいだな」ヒロが言った。
「なんでもないよ」アムロはバックパックを肩にかけた。
「しばらく留守にするけど、気にしないで…」
「おう!」トムが手を挙げた。
「あ、ちょっと待った。おまえにも見てほしいものがあるんだ。端末にデータを送っておくから、もし道中で暇があったら見てくれよな」ダビドが言った。
「元気が出るぜ」
「ありがとう」アムロは手を挙げてそれに答えると、3人に見送られながら部屋を出た。

 もう、帰国予定を3日ほど過ぎている。セイラはずっと、滞在しているホテルの部屋から出られずにいた。執事が食事やその他必要なものはすべて頼めば持ってきてくれ、部屋を清潔にしてくれた。しかし、扉は内側からは開かないようになっており、外には歩哨が立っている。執事を呼んで、扉が開けられた隙に外へ出ようとしたが、取り押さえられただけだった。
 テレビのニュースでは、ジオン国内が平穏を取り戻し、戒厳令が敷かれた中でも市民は日常生活を支障なく送れていることを伝えている。カイ・シデンが特派員としてレポートしていたユニヴァーサル・ニュース・ネットワークなど、地球連邦系のニュースメディアの放送は遮断されているようだった。
 一人で悶々としていると頭がおかしくなりそうだったので、セイラはたびたび執事を呼んで、何が起こっているのかを聞き出そうとした。執事は、何も心配することはない、と言った。お兄様は、父上の遺志を受け継いで、宇宙世紀時代にふさわしい、新しい世界秩序を築こうとしておられるのです。

「あなたは、地球に降りたことはあるの?」セイラは執事に聞いてみた。
「いいえ」執事は答えた。
「しかし戦時中、軍の一員として地球に降下した友人から聞いた話によれば、天候の変化は予測不能、害をもたらす様々な動植物が大量に繁殖していて、とても安心して居住できる環境にはない、と」
「そんなものかしらね、コロニーの人から見ると」
「姫様は、平気でしたか?」
「そうね、確かに驚くことはたくさんあったけれど」セイラは言った。
「変化に富んでいて、まるで心の中の憂いや渇きが、そのまま風景に表されているようだったわ」
 執事には、セイラの言葉が腑に落ちない様子だった。ぜひこれを。そう言って、父ジオン・ダイクンが著したという書物を置いて、出ていった。

 …旧世紀時代、われわれは地球の有限な天然資源を使い果たし、その自然は蝕まれた。スペースコロニーという新天地を得、宇宙での完全な自給自足を実現した今、われわれ人類はその母なる大地をこれ以上蝕むことをやめ、宇宙をこそ居住の地とし、地球を完全なる聖域として宇宙から管理しなければならない…

 セイラは、父の書いたものを読むことを避けてきた。兄キャスバルが地球の養父母のもとを離れて<サイド3>へ行ってしまったのは、それを熱心に読むようになり、何事かに感化されたと思ったからだった。セイラ自身は、父は偉大な思想家でも政治家でもなく、ただ、温かく家族を包んだ父として記憶しておきたかった。父の遺した書物を開いて、たとえ血の繋がりがあったとしても、その思想をまったく受け入れることのできない自分がそこにいることに気づいた。

 カイ・シデンに電話をして助けを求めたあのとき以来、彼女は外部に連絡する手段も取り上げられてしまった。ブライトに、自分の行先を伝えてもしものことがあったら頼りにしたいと言い置いてきたけれど、少しでも自分のことを気にかけてくれているだろうか。

 …もし君が戻らなかったとして、他に誰かそれを気にかける者がいると思うか?

 兄の放った言葉には、言い当てられたくない真実があった。セイラは、アムロのことを思った。出自を隠して孤独に生きてきた彼女にとって、ホワイトベースはただ生き延びる、という共通の目的で人とつながれる不思議な場所だった。最終決戦の場となったア・バオア・クーで船が沈んだあとも、そのつながりはずっと続くと信じていた。だが、そうはならなかった。自分の兄の正体を知ったあと、アムロは彼女と目を合わさなくなった。除隊して養父母のいる南フランスへ帰るとき、見送りに来てくれたホワイトベースの元乗組員の中に、彼の姿はなかった。伝えたかった一言は、結局伝えられることなく二人は離れた。
 結局、私はここにいるしかないのかしら…
 閉じ込められた時間、セイラの心の中に、静かな闇が押し寄せている。

 セイラから連絡をもらったあと、カイは彼女が滞在しているというパレスホテルを訪れてみた。外をぐるっと一周してわかったのは、どの出入り口にも歩哨が立っているということだった。彼はその一人に声をかけた。
「このホテルに友人が宿泊しているはずなんだけど、今、中はどうなっているんですかね?」
「このホテルは、ジオン軍に接収された。宿泊客は別の施設に移送された」歩哨の一人が言った。
「誰がどこに移ったかとか、わからないんですかね?」
 歩哨が、顎を動かして言った。「フロントに聞け」
 はいはい、カイはそう言って、作り笑いを浮かべながらエントランスから入っていった。
 フロント係は暇そうにしていた。入ってきたカイの姿を見て、こちらへどうぞ、と声をかけた。
「宿泊されていたお客様の移送先を、知りたいということですね」
 そうだ、とカイは言って、セイラの名前を伝えた。フロントの男は、端末を調べて言った。
「その方のお名前は、リストにはないようです」
 カイはきょろきょろと辺りを見回しながら、言った。
「軍に接収されたって話だけど、ここに、あのキャスバル・ダイクンっていう男とその妹もいるってことか?」
 フロント係は端末を見つめたまま、低い声で言った。
「あなた、テレビで見ましたよ。ユニバーサル・ニュース・ネットワークの記者じゃなかったですか」
 カイもそれに合わせて、低い声で答えた。
「そうだ」
「やっと戦争が終わってこれからだ、というときに、またこの騒ぎですよ。正直なところ、このままではまた、我々の商売は上がったりです、その兄妹とやらのおかげでね」
 カイが、肩をすぼめた。
「ジオン国民はみな、二人を歓迎していると思っていたが」
「そりゃ、歓迎でしたよ、例の前夜祭まではね。しかしこのやり方はないでしょう。普通に政界に進出すれば、支持は十分だったと思いますが」
 なんとかしてください、ジオン軍には一年戦争時代に味わった一瞬の栄光を忘れられない連中が五万といるんですよ。ちらっと視線を向けながら、小さい声でそのフロント係はカイに言うと、後ろからきた将校たちに聞こえるように、はきはきと話し始めた。
「こちらが、宿泊者の移送先リストです。お知り合いが、その中に見つかればいいのですが」
「ありがとう」
 カイは、フロント係がわざとらしく手渡した紙のリストを受け取ると、ホテルを出た。別にそのリストが必要だったわけではない。しかしそこには手書きで数字がメモされていた。

  3002 セイラ・マス

 どうやら、この世界は決して四面楚歌というわけではなさそうだ。しかし問題は、どうやって彼女を、このホテルから連れ出すか、ということだ。それだけでは終わらない。コロニーから出ることの方が、さらに難しくなるだろう。ブライトには辛うじてセイラの現状だけは伝えたが、救出のために誰か動いているのだろうか。その後の連絡が途絶えていた。
 路駐していた借り物のエレカに乗って出そうとすると、端末が鳴った。ブライトからではなかった。彼の取材レポートを視聴者に届けているユニバーサル・ニュース・ネットワークのジオン支局の支局長からだった。
「カイか、ちょっと来てくれ、大変なことになった」
 カイはエレカを始動させ、連絡元へ向かった。

 ユニバーサル・ニュース・ネットワークのジオン支局の入るビルは、ズム・シティの官庁街の一画にあった。エレベーターを降りると、オフィスは店じまいの様相だった。
「どうしたんですか、支局長」
「ああ、カイ」支局長が顔を上げた。周囲はダンボールの山となっている。
「我々はジオンの暫定軍事政権から、国外退去命令を受けた。どうやら、私たちが全世界に向けて流した君のニュース映像が、キャスバル・レム・ダイクン総統のお気に召さなかったようだ」
「そ…、それで? それだけで?」
「もちろん、それだけじゃない。もしかすると、開戦を企図しているのかもしれん」支局長が言った。
「数日中にも軍事パレードを行って、そのとき総統が演説する、という話だ。それを、連邦側のニュースネットワークに流されたくないのだろう。いずれにしても、すでに放送も通信も遮断されている。ここにいても、何もできん」
「弱ったな。俺はどうすれば?」
「君はフリーランスだ。ここに残って取材を続けるというなら、それもいい。しかし、それを流す手立てはないぞ」
「メディアなら、他にいくらでもある」
「悪いことは言わない。民間機が飛んでいるうちに、出国するんだ」
 ご忠告ありがとう、そう言うとカイは支局を出た。自分一人なら、それもいい。だが、セイラを残していくわけにはいかなかった。

 トランジットを繰り返し、北米から月面都市フォンブラウン、そして月の裏側にあるグラナダへ、アムロはようやくたどり着いた。グラナダに到着したら、空港ロビーで待て。それがブライトの指示だった。ロビーを包むガラスの向こうには、地球からは見えない月の地平が、そして宙空には<サイド3>のコロニーが光点となって散らばっている。
「アムロ・レイ?」
 近づいてきた制服姿の女性が彼の名前を呼んだ。アムロは立ち上がった。
「ええ、あなたは?」
「私は連邦軍情報部のミランダ・ファレル、少尉です。ブライト・ノア大尉からの指示で、あなたに、これを」
 ファレル少尉は、スーツケースを一つ持っていた。「中を確認してください」と言って屈み込むと、それを開いた。そこには、いつかよく見たジオン軍の制服が一式入っていた。
「ん? 少し違うようだけど?」
「共和国軍になってから、少しデザインが手直しされています。苦労して手に入れたのよ。うまく使って」
 そういうと、ミランダ・ファレルはにっこり笑った。ショートカットの赤毛が、懐かしい人を思い出させる。情報部、というならきっと、自分がかつて軍にいたことも、所属部隊も当然調べてあるだろう。
「一年戦争時に従軍経験がある、と聞いていたけど、そうは見えないわね。本当に普通の学生っぽくて」
「学生というのは本当ですよ」アムロが言った。「むしろあなたのやるべきことじゃないんですか、これって」
「確かに情報収集のために他国に入ることはあるけど、人命救助は任務じゃないの」ファレルが言った。「制服は揃えたけど、武器はなしよ。あなたはあくまで民間人だから、銃器の携行は認められない、自己防衛に徹するように、というのがブライト大尉からの伝言です」
「無茶言いますね」
「それから、このあとあなたが搭乗するグラナダ発ズム・シティ行の便を最後に運行停止になると聞いています。帰国便もこの航路はあと一本になるから、タイムリミットに気をつけて」
「それじゃ、行ったきり帰ってこれないってことになるかもしれないってことですか」
「<サイド6>を経由する便は、まだあるわ。ただ、いずれにしてもジオンの動き次第よ。連邦の大使館に連絡を取って。あと、これを」
 ファレルはアムロに1枚のメモを手渡した。カイ・シデンの連絡先が記されていた。
「ありがとう」アムロは辺りを見回して、言った。
「グラナダからの便、意外に搭乗客がいるんですね」
「終戦後、ザビ家でなければジオンでない、と戦線から戻らず連邦にとどまっていた人が、かなりいるらしいの。それが、このクーデターを機に帰国ラッシュになったというわけ。変に絡まれないように、気をつけて」
 アムロが、うなずいた。
「では、これで」ファレル少尉が姿勢を正して敬礼をした。アムロも手を挙げて、それに応えた。
「その敬礼、やっぱりただの学生じゃないわね」ファレルがまた、笑顔を見せた。
「幸運を祈るわ」

 グラナダからの便が宇宙港を出ると、船長からのアナウンスが入った。

 …本日は、ムーンライト・スペースラインをご利用いただき、ありがとうございます。この船は定刻通りグラナダ港を出港し、ジオン共和国のズム・シティ宇宙港へ向かっています。先日、ジオン共和国で勃発した軍事クーデターの影響で、航路の通過する宙域に、ジオン軍の艦隊が展開しているという情報があります。本船には、地球連邦軍グラナダ基地から軍事境界線まで、艦艇1隻が護衛についていることを、お知らせします。なお、本便の折り返し便をもちまして、当航路は運行が停止される予定となっております。本日のズム・シティの天候は晴れ、今のところ市内は平穏との情報が入っております…

 アムロは、窓の外を見た。漆黒の闇を滑るように、船は進んでゆく。正面の大型モニターにレーダー画像が映し出されていた。グラナダの軍事境界線を越えると、護衛艦から3機のモビルスーツが発進した。前方と両舷を飛行している。
 ふうっとため息をついて、アムロはシートの背に体を預けた。なぜ、ここまで来てしまったのだろう。セイラが助けを求めている、というのは本当なのだろうか。
 アムロは、これまで心の奥に閉じ込めていた、その人のことを思い起こした。いつも冷静で、ときには厳しい言葉を口にすることもあったが、アムロを見る目は優しかった。だが、その目には時折、ふっとうかぶ翳りのようなものがあった。遠くを見る目に、えもいわれない寂しげな色が浮かぶときもあった。彼はその翳りの色に引き込まれた。一体何を思っているのだろう、それとも誰かを? その翳りを消したい、と彼は思った。
 シャアが兄、と聞かされたとき、だからアムロはすべてが腑に落ちる気がした。苦い湯を飲まされたような気分だった。あの翳り、遠くを見るときの寂しげな色。その目が見ていたのは、自分が倒そうとし、また戦いのはじめから自分を仕留めようと執拗に追いかけてきた、あの男だった。しかも、最後は生き別れて、結局生死も不明なままだった。戦争が終わっても、彼女の目から翳りが消えることはなかった。
 もしあのとき、とアムロはたびたび思った。最終決戦の場、ア・バオア・クーで満身創痍となったガンダムの機体を捨て、白兵となってシャアと剣を交えたとき、シャアの命を確実に奪っていたら、彼女はどうしただろう。あの目の翳りは消えたかもしれない。だが決して自分のことを赦しはしないだろう、とアムロは思った。どうしても、自分にはあの翳りを消すことはできないのだ。結局それはセイラ自身がずっと手放さずに持ち続けているものだから。
 そう感じてから、アムロはもうセイラとは目を合わすことさえできなくなった。シャアが兄であることを確かめるため、そして兄とわかったあとは戦いをやめさせるため、自らの命を危険にさらしてまで戦いに身を投じた、それほどの強い思いが、あの宿敵に寄せられ、まだ寄せつづけられている。その感情を言葉で表すならば、嫉妬の一言になるのだろう。自分だけを見てほしい。そうでないなら…

「おおー」と、どこからともなく乗客から声が上がった。どこかに、ジオン軍のモビルスーツが展開しているのが見えたらしかった。正面モニターのレーダーも、そのことを示している。
 自分の気持ちを引き戻すため、アムロはバックパックから端末を取り出した。事前にもらった、ズム・シティの詳細な地図などのデータが入っている。彼は出かけるとき、ルームメイトのダビドが、何かデータを送っておくと言っていたのを思い出し、それを探して開いてみた。
 端末の画面に、見慣れたモビルスーツの3Dモデルが映し出された。
「ガンダム…」
 手に入れたという資料をもとに、3人のルームメイトが作り上げたものだった。
「さすがだな」
 あの図面をよく解析し、ほぼ寸分違わない姿で小さな画面に、かつての愛機が蘇っている。最後は頭部が吹き飛ばされ、片腕を失って無残な姿になってしまった。闘い尽くした自分自身の姿のようだった。
 あの時、自分にはガンダムがあり、ホワイトベースという居場所があった。なにより連邦軍という巨大な後ろ盾があった。戦えたのは自分一人の力ではなく、自分を覆うそうした組織の力があったからだ、と今ならわかる。そして今の自分には、もうそうしたものは何もなかった。だれでもない、ただの青年、アムロ・レイ。彼は自分が、まだガンダムに乗り込む前の自分にまで引き戻されていることに気がついた。

 まもなく、船長からのアナウンスがあった。

 …この船はまもなく、軍事境界線を超えて<サイド3>ジオン共和国の領空に入ります。領空内には、多数の艦艇が展開しているという情報が入ってます。緊急事態に備えて、乗客の皆様はシート下に備え付けてある、ノーマルスーツを着用してください。

 乗務員が客席を回って、ノーマルスーツ着用の指示を伝え始めた。乗客の一人が声を荒げた。
「ノーマルスーツを着用しろって? ジオン軍がこの船を攻撃するとでも思っているのか?」
「万が一に備えてのことです」
 そう応じる乗務員に畳み掛ける。
「俺たちは、そのジオン軍に戻るために、この船に乗っているんだ。ここにいる奴らは、みんなそうだ。ジオンに勝利をもたらすために、母国へようやく戻れるときが来たのだ。ジオン軍のあのパイロットたちもみんな、それをわかっているはずだ。何を恐れる必要がある?」
「そうだ!」他の乗客も立ち上がる。やがて船内は、彼らの発するジーク・ジオンの大合唱に包まれた。
 なんだんだ? アムロはびっくりして辺りを見回した。乗務員が苦笑しながらやって来た。
「ノーマルスーツの着用の仕方は、ご存知ですか? お手伝いしましょうか?」
 大丈夫だ、そう応えてアムロはノーマルスーツを着込んだ。それにしても、とアムロは思った。ジオン軍に戻るという乗客の言った言葉に何か引っ掛かりを感じた。ジオンに勝利をもたらすため、とは一体どういうことだろうか。シャアの目的は、政権転覆だけではないのだろうか。なぜ、セイラを監禁してまで、ジオン国内に留めておこうとするのだろうか。シャアだって、妹を愛しているはずだ。もしそれが、セイラを何かから「守る」ための行為だったとしたら…
 アムロは思わず、息を飲んだ。多分、これは終わりではない、彼にとっては、始まりなのだ。

 執事のラガードから、数日後に大規模な軍事パレードが行われ、その後一旦すべての国際旅客便の離発着が禁止されると聞かされて、セイラは残された時間が迫っていると悟った。執事は、その日が来れば、あなたも自由な行動が許されるでしょう、と言ったが、それは宇宙港が閉鎖されれば、たとえこの部屋から出られたところで、地球に戻ることはできないことを意味していた。セイラの心に、絶望がひたひたと押し寄せていた。
 焦る気持ちは募るが、どうすることもできない。セイラは執事が届けてくれた新聞記事に目を通した。他紙にはなかったが、デイリー・ジオン・サインライズは、軍事クーデターがあったあの日、ズム・シティの宇宙港からコロニー内にモビルスーツを侵入させるため隔壁を開閉する際、コロニー管理公社の職員が命令に応じず抵抗したために射殺される事件があったことを伝えていた。これに対し、コロニー管理職員組合は不服従による抵抗を行う姿勢を軍事政権に表明したという。記事では、一年戦争開戦時にジオン軍が地球連邦に対して、コロニーを占拠し住民ごと地球に落とすという「コロニー落とし」の作戦を決行した際、人が宇宙で居住する場であるコロニーそのものを「大量殺戮兵器」として使用したことに対して非難の声を上げたため、組合の幹部らが拘束されたという過去があったことにも言及していた。

 セイラは、顔を上げた。自分にも何か、できることがあるはずだ。兄とはあれから、一度も話をしていない。彼女は執事を呼んで、兄に会って話がしたいと伝えた。
 間もなく、部屋の電話が鳴った。セイラはテレビ電話のモニターをオンにした。
「総統秘書のマルガレーテ・リング・ブレアです。総統にお会いになりたい、というご要望を承りました。総統は今大変お忙しく、簡単にお時間を取ることはできないと思いますがお伝えします」
「それでは困るわ。私を誰だと思っているの?」
 セイラは、普段は決して取らないような高圧的な言い方を試してみた。
「申し訳ありません、アルテイシア様」秘書は硬い表情で言った。
「なるべく早くお時間が取れるように手配いたします」
「今日中に頼むわ」セイラが言った。
「兄が軍事パレードのあと、一体ジオンの国民にどんなことを訴えるのか、演説の内容を知りたいの」
 秘書の顔に戸惑いの表情が浮かんでいる。セイラは続けた。
「あなたは私の言ったことを、そのまま総統に伝えればいいのよ。私もジオン・ダイクンの血を引く者。そこに参画する立場にあるはずよ」
「承知いたしました」慇懃無礼に秘書は言い、電話は切れた。
 ふう、とセイラはため息をついた。兄は応じてくれるだろうか。会って、何を話せばいいだろうか。そう思うと再び焦燥感に襲われて、セイラは立ち上がり、うろうろと部屋の中を歩き回った。
 ふと、ブーン、という聞いたことのない音が耳に入り、セイラは思わず窓の外を見た。彼女のいるホテルの30階の部屋の外を、無人航空機が飛行しているのが見えた。小さな点のように見えたその飛行物体は建物に近づいてくると、壁面に沿って移動しはじめた。
 何だろう? これは、何かのサイン? それともテロ? 自分への攻撃なのか? セイラは胸騒ぎを感じて窓から下を見下ろしてみた。周辺警備に当たっている兵士たちが、無人航空機を指差し操縦者を探しはじめた。
 無人航空機が、セイラのいる部屋へ近づいてきた。カメラが搭載されているのが見えた。窓辺に立つ彼女の姿を捉えているらしかった。ただのいたずら、盗撮の類なのだろうか。それとも?
 彼女の前で、その無人航空機はホバリングを続けると、やがてくるりと旋回した。後部には何かプレートのようなものが取り付けてあり、そこにマジックの走り書きがあった。

 もう少し待て
 必ず助ける
 カイ

 セイラは思わず、窓ガラスに額をあてて外を見下ろした。カイが、あの取材撮影用の無人航空機を操縦しているのだ。兵士たちは、操縦者を見つけて捉えようと右往左往していた。セイラは遠ざかっていく無人航空機に微笑みかけると、窓から離れてソファに腰掛けた。
 電話が鳴った。秘書のマルガレーテからだった。
「今から総統が、そちらへ向かわれます」
「わかったわ。ありがとう」

 間もなくしてドアが開き、兄キャスバルが入ってきた。赤い軍服ではなく紺のスーツに赤いネクタイを合わせている。セイラは立ち上がって、兄を出迎えた。
「私を、執務室に呼んでくれてもよかったのに」
「君は私のただ一人の妹なのだ。そんなぞんざいな扱いはしないさ」
 キャスバルは、ソファに腰掛けると言った。
「私に話がある、ということだが」
「ええ、聞きたいことがたくさんあるわ。私はいつまでここに閉じ込もっていなければいけないのかしら。いい部屋だけど、もうここにいるのは飽き飽きしたわ」
「それは、君次第だ。ジオン・ダイクンの娘としてここで私とともに生きていくというなら、いつでも君は自由になれる」
 セイラは、首を振って言った。
「そんな自由なら、私はいらない」
「私も、随分と嫌われたものだな」キャスバルが眉を上げて言った。
「君は連邦軍に入ったことで、すっかり変わってしまった。彼らの唱える自由とか民主主義とかいう虚構に毒されて、私に対して強がってばかりだ」
「軍に入ったこと、私は後悔していないわ」セイラが言った。
「そうでなければ、何も知らずに兄さんの言いなりになる人生だった」
 キャスバルは、笑みを浮かべて言った。
「いずれにせよ、あと二日辛抱すれば、君も自由に出歩けるようになる」
「ラガードも、そう言っていたわ」セイラが言った。
「これから国を閉ざして、一体何をするつもりなの?」
「わかっているだろう、アルテイシア。それについては、前に話したはずだ」
「戦争を始めるつもりなのね?」
「戦争ではない」キャスバルが言った。
「我々は革命を成し遂げる。それだけだ」
「自分の国を、ではなく地球連邦を変えようとしているのでしょ? 武力をもって。それが戦争でなくて、一体何なのかしら」
「どんな手段を取るかは、問題ではない。結果がすべてだ。私は地球連邦を解体し、スペースコロニー連合による新しい世界秩序をつくる。そして我々が、その盟主となる。腐敗した連邦政府の統治から解放されれば、結果的に連邦市民も幸福になる」
「兄さんにとっては、世界のすべてが自分の手の上にあるようなものなのね」セイラが言った。
「でも、どうやってその革命とやらを起こすつもりなの?」
「それについては、ギレン・ザビが先例を示してくれた」キャスバルが顎をなでながら、言った。
「まだ地球に落とすものは、たくさんある。例えばルナツー、ア・バオア・クー」
 さっと、顔から血の気が引く音がしたかのように、セイラは青ざめた。
「なぜ? 地球連邦はジオンの何倍、何十倍もの損害を受けながら、結局ジオンの独立を認めたじゃない。これ以上、なぜ地球の人々を苦しめる必要があって? まだ荒野のまま、復興もままならない街がたくさんあるのよ」
「だからだよ、アルテイシア。連邦が弱体化している今だからこそ、事を起こす千載一遇のチャンスだということが、わからないのか」
「わかりたくないわ、そんなこと!」
 セイラは自分の声が震えているのを感じた。立ち上がって、兄に背を向けた。
「私の気持ちを汲んでもらえず、残念だ。しかしこれから起こることが分かれば、ずっとここにいたいと思うようになるだろう」
 セイラは、振り向くと言った。
「いいえ、こんな独裁の片棒を担ぎながら安穏と暮らすより、むしろ地球にいて自由のために滅びる方が、ずっとましよ」
「地球にいて、それほど幸せそうにも思えなかったが」キャスバルは、薄ら笑いを浮かべている。
「アムロ・レイはどうしたのだ」
「知らないわ」セイラが言った。
「一体何の関係があるの?」
「結局彼も、君を幸せにはできなかったようだな」
「何もかも、知っているかのように言うのはよして。彼は私と会わないことが、私にとっては幸せなのだと思っているのよ。自分を責め続けて…、私の兄さんだった人を殺そうとしたことも、その人の恋人を殺してしまったことも」
 セイラは、アムロから聞いた兄の恋人のことを思わず口にした。ララァ・スンという少女で、そのニュータイプ能力が買われて戦場に駆り出され、そして、シャアとともにアムロと刺し違えることになった。
 キャスバルは立ち上がると、胸のポケットから取り出した黒いサングラスをかけた。
「一思いに、消し去ってあげよう、そんな過去など重力の井戸の底に沈めてしまえばいいのだ」
 キャスバルが部屋を出て行ったあとも、セイラはその場に立ち尽くし、震える拳を握りしめていた。兄の意図を知ってしまった以上、もしカイがここから助け出してくれたとしても、先に待つ戦いから逃れることはできないのだ。
 どうすれば、あの男を止めることができるのだろうか。セイラは自分の無力さを悟った。流れ落ちる涙をどうすることもできない。
「取らないで」震える声で、彼女はつぶやいた。
「これ以上、私から大切なものを取らないで」

 飛ばしていた無人航空機をなんとか着陸させ回収すると、カイは機材をエレカの助手席に乗せて発進した。幸い、警備していたジオンの兵士たちは、無人航空機には気づいたが、操縦者の居場所を突き止めることはできなかったようだ。それでも念入りに、後ろを気にして右折、左折を繰り返しながら数ブロックエレカを走らせたあと、ステーションの近くに取ってあるホテルへ向かった。ハンドルを握りながら、彼はひとりつぶやいた。
「この手は、使えるんじゃないか?」
 そのとき、端末に着信が入った。
「アムロ? アムロなのか? 今、どこにいるんだ?」
「今、ズム・シティの宇宙港に着いて、ステーションに向かっているところだ」
「ちょうどいい、ステーションで待っていてくれ、迎えに行くから」
「わかった」
 一人では荷が重かったが、二人なら作戦が立てられる。カイはエレカをターンさせて、アクセルをぐいっと踏み込んだ。

 ステーションのタクシー乗り場の外れに、カイは立っている赤毛の男を見つけた。カーキ色のアウトドアジャケットに色あせたジーンズ、黒のバックパックという出で立ちで、片手に持つシルバーのスーツケースがその服装から妙に浮いていた。
 カイは、アムロの前にエレカを横付けすると、右手を挙げた。
「助手席の荷物を、後ろにやってくれ」
「ああ」
 アムロは助手席にあった機材を後ろのトランクに入れ、自分の荷物も放り込むとシートに座った。
「久しぶりだな。…除隊以来じゃないか?」カイはエレカを発進させると、言った。
「そうか…この間ニュースでレポートしているのを見て、びっくりしたよ。すごい仕事をしているんだな」アムロが言った。
「そうでもないさ」カイが肩をすぼめた。
「それにしてもおまえは、なんか、普通だな」
「多分それでこういう役目に声がかかったんだろう」
「ブライトさんから?」
「そうだ。カイさんのことも、ブライトさんから聞いた」
 カイは、エレカをステーションからメインストリートに向かう途中にあるチェーンホテルの前に止めた。
「俺はここに宿を取っているんだ。おまえも、そうしろ。詳しい話はチェックインしてから聞こう」
 アムロは、カイが拠点にしているホテルに部屋を取った。カイは機材を抱えて自分の部屋へ戻ると、アムロの部屋へやってきた。アムロは窓から外の景色を見ている。
「あれが…シャアのモビルスーツ?」
 クーデターの夜以来、コロニー内に降下してきたモビルスーツはオペラ公演のあった国立劇場の周辺に屹立している。その中の赤い機体をアムロは指差した。
「な、わかりやすいだろ?」とカイは笑った。
「さ、時間がない。早速ブリーフィングだ。まず、俺のつかんでいる情報について話そう。セイラから最後の連絡があったのが1週間前。パレスホテルの3002号室にいることを、さっき確かめた」
「どうやって?」
「ホテルのフロント係が口の軽いやつでね。それとなしに探りを入れたら、彼女の部屋番号を教えてくれた。で、俺の使っている取材用の無人航空機を飛ばして、カメラで撮影した、というワケ」
 そう言うと、カイは端末を取り出し、先ほど撮影した映像を画面に映した。そこには、窓際に立ち毅然とした表情を見せる、あの美しい人がいた。

「問題は、どうやってこの部屋へアプローチするかってことだ。ホテルをぐるっと周ってみたが、どの出入り口にも歩哨がいるし、彼女の部屋の前にも、当然いるだろう」
「これがある」とアムロは持ってきたスーツケースを指差した。
「ブライトさんが、連邦軍の情報部に掛け合って手配してくれたらしい」
「秘密兵器ってか?」
 アムロが、スーツケースを開けた。カイは中のものを認めると、ニヤニヤと笑いながらそれを取り出した。
「確かにこれは、ちょうどいい。これを着ていれば、歩哨を気にせず堂々と表玄関から入っていけるな」
「そ、そうだな」アムロが言った。
「カイさんがこれを着て…」
「いや待て、俺に策がある。まずアムロ、これを着てみろよ」
 アムロは渋々、下着姿になって、スーツケースからそのジオンの制服を引っ張り出すと、着込んでみた。サイズはちょうど良い。軍靴ブーツを履いてヘルメットをかぶると、一端のジオン軍兵士に仕上がった。五年ぶりに着た詰襟の服で、アムロは首が締まりそうだった。襟を指で広げる仕草を見て、カイがゲラゲラと笑い出した。
「まあ、いろいろと不満はあると思うが、すべては我らがセイラさんのためだ。我慢できるだろ?」
 アムロが、肩をすぼめた。
「で、策というのは?」
「俺が、無人航空機を操縦して、兵らの気を引く。あそこにいるモビルスーツの周りを、舐めるように飛ばしてやるのがいいだろう。あいつら、俺が映してニュースネットワークに流したクーデターの映像に激怒して、俺の契約主だったニュースメディアの関係者を国外退去処分にしやがった」
「それで、続報が何も入ってこなくなったのか」
「それより先に放送も通信も遮断しちまったからな、で、俺が無人航空機で騒ぎを起こして…」
「その隙に、突入する」
「そういうこと!」カイが言った。
「外は俺が受け持つ。アムロはホテルの中をなんとかするんだ。彼女を外に連れ出して、ここで合流する」
「わかった」
「で、そっちの情報は?」
「僕は、グラナダからの民間航路で来たが、グラナダからジオンの間の空域には、もうジオンの艦隊が展開していて、民間機に護衛がついた。到着便の折り返し便を最後に、この航路は閉鎖される」
「予想以上だな。最後のグラナダ行きはいつ出るんだ?」
「明日、15時」
「ギリギリだな」
「これを逃すと、後がない。ズム・シティの国際旅客便の離発着が停止されるらしい」
「やはり、そうきたか」カイが言った。
「遅くとも14時には宇宙港に入りたい。しかし、早すぎてもまずい、追っ手に時間を与えることになる」
「12時決行、でどうだろう」
「よし、そうしよう。もう一台車があったほうがいいな、明日の朝、借りてこよう」カイが言った。
「ちくしょう、久々になんかこう、背中がゾクゾクするな?」
 カイは興奮気味だったが、アムロは浮かない表情のまま、着ていた制服を脱いで元の服装に着替えた。
「何か、気になることがあるか?」
「…いや、なんでもない」
「アムロ、おまえは知ってるのか? セイラさんのこと」
「ああ、大体のことは」俯いたまま、彼は答えた。
「そうか」
 カイはベッドの縁に座って、足をぶらぶらさせている。ジオン独立記念日の前の日、カフェで話したときのセイラは、アムロとは何もなかったと言っていた。その言葉は、半分は真実なのだろうが、半分は嘘だろう、とカイは思った。何もない、ということの中に、むしろ複雑な感情があるような気がした。
「クーデターが起こる前の日に、俺は街中で偶然彼女に出会った」カイが言った。
「そのとき、こう言ったんだ。ここで何を見て何を聞いたとしても、私はあなたの知っている通りの、変わらないままの私だから、ってな。俺はその言葉を信じているから、彼女を助ける。おまえにとってはもっと複雑な思いがあるのかもしれないが、今は単純にその言葉を信じて、力になってやってくれよな」
 アムロが、顔を上げた。カイは彼の腕をポン、と叩いて言った。
「頼んだぜ。じゃ、そろそろ街に繰り出して晩飯とするか。なんぜ戒厳令だ、どこの店も夜8時になると、追い出されてしまうんだ」
 二人は立ち上がった。

 夜が明けた。いつもより、ひときわ長く感じられた夜だった。セイラはそのほとんどを泣き明かし、夜明け前に、泣き疲れて浅い眠りについただけだった。
 7時になった。いつものように、執事のラガードが朝食を準備して入ってきた。
「ありがとう」とセイラはソファに腰掛けたまま、言った。
「せっかくだけれど、食欲がないの。今朝はコーヒーだけいただくわ」
「お疲れのご様子ですね」執事が言った。
「明日に備えて、今日はゆっくりとおくつろぎください」
「明日?」
「閣下からお聞きになりませんでしたか? 明日の観閲式とパレードに、姫として列席するように、とご指示がありました。のちほど、ご用意しました衣装をお持ちします」
「列席ですって? 冗談じゃないわ」
 セイラが、ムッとした表情で答えた。執事は何も言わず、一礼すると出て行った。
 執事の淹れたコーヒーが、今朝はひときわ苦く感じられた。
 しばらくすると、また執事が大きな箱をかかえてやってきた。彼女の座るソファのそばにその箱を置くと、そこから、特別に誂えられた衣装を取り出した。鮮やかな青の、カスタムカラーのジオンの軍服だった。揃いのコート、そして軍靴ブーツも誂えられている。
「ありがとう。兄の気持ちはよくわかったわ。あとでクローゼットにかけておくから、そこに置いておいて」
 セイラがそう言うと、執事は「きっと、よくお似合いですよ」と言って、出て行った。セイラは、その衣装を手に取って、そっとソファの背にかけた。兄のしていることが、連邦軍に入ってジオンと敵対した自分への復讐のように思えた。
 ふと、執事がコーヒーと一緒に持ってきた新聞に目が留まった。明日軍事パレードとともに行われる、キャスバル・レム・ダイクンの演説に注目が集まっていた。兄は父の成し遂げようとした革新を引き継ごうとしている。それを実現させるために、彼はジオン・ダイクンの名と、ザビ家の培った軍事力を用いようとしていた。自分は、どうか。この兄を止める手立てがあるとしたら…。
 セイラは、奥まった部屋のデスクの引き出しから、ホテルに備え付けられたレターパッドを取り出した。


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