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機動戦士ガンダム0085 姫の遺言 #1 兄からの手紙

機動戦士ガンダムで描かれた、宇宙世紀0079の戦争が終結したあとの、ホワイトベースの人々を、アムロとセイラをメインに描いたシリーズ「機動戦士ガンダム After the War 0080」に続くお話です。
北米・ボストンで学生生活を送るセイラ・マスの元に、兄キャスバルからの手紙が届く。それは、二人の祖国であるジオンで再会しようという誘いの手紙だった。期待と不安を抱きながら、セイラはジオンの首都ズム・シティを訪れるが…

プロローグ

 人類がその生活圏を地球上から宇宙へと広げ始めてから、100年余り。地球のまわりには、巨大なスペースコロニーが数百基浮かび、人々はその円筒の内壁を人工の大地とするようになっていた。その、人類の第二の故郷となったスペースコロニーで、人々は子を生み、育て、そして、死んでいった。

 宇宙世紀0079年、地球から最も遠い宇宙都市サイド3はジオン公国を名乗り、地球連邦政府に独立戦争を挑んできた。のちに「一年戦争」と呼ばれるようになるこの戦いに、ある男が復讐のため身を投じた。最終決戦の場となった宇宙要塞で、ジオン公国を支配していたザビ家の頭領は殺害され、男はその目的を果たした。生き延びた男の中には、新たな野心が芽生えていた…。


登場人物

セイラ・マス(アルテイシア・ソム・ダイクン)
キャスバル・レム・ダイクン(シャア・アズナブル)
ブライト・ノア
カイ・シデン
アムロ・レイ
テム・レイ
ミライ・ヤシマ
フラウ・ボゥ
ハヤト・コバヤシ
ジョン・コーウェン少将
トワニング少将
マルガレーテ・リング・ブレア
エイパー・シナプス大佐

<以下、オリジナルキャラクター>
ダビド・ラング(アムロの学友)
トム・オブライエン(アムロの学友)
ヒロ・サイトウ (アムロの学友)
ラガード(セイラの執事)
ジュード・ナセル(記者)
ミランダ・ファレル(連邦軍情報部士官)
サトウ(在ジオン地球連邦大使館員)


 キャンパスの緑の芝生が、真夏の陽光を浴びてキラキラと輝いている。その光に目を細め、思わずセイラはボストンの空を見上げた。「一年戦争」と呼ばれるようになったあの戦いから、五回目の夏を迎えていた。
 セイラ・マスがこの街に来たのは四年前。大学でジャーナリズムを学ぶためだった。戦争中、彼女は現地徴用され軍隊の中で終戦を迎えた。除隊されても、それまで住んでいたスペースコロニー、<サイド7>に戻ることはできなかった。ジオン公国軍の攻撃でコロニー外壁まで達する損害を受け、居住不能となっていたからである。そのため彼女は南フランスに暮らす養父母のもとに身を寄せたのち、単身渡米した。戦前は医療の道に進みたいと思っていたが、従軍体験が彼女を変えた。

 セイラは、はじめて空港に降り立ったその瞬間から、なぜかこの街がとても気に入った。ことにボストン・コモンと呼ばれる公園の周辺に残る、古い街並みが好きだった。北米大陸は、ジオン公国軍による「コロニー落とし」で西海岸を中心に甚大な被害を受け、今も廃墟のまま復興を待つ地域も多い。しかし東海岸一帯は戦災を免れ、旧世紀時代から続く都市景観を今も残している。
 ボストンはかつて、アメリカ合衆国という国の一都市だった。さらに遡れば、そこは大英帝国からの独立を求める市民たちが最初の行動を起こした場所でもあった。そうした歴史は、セイラに亡き父のことを思い出させた。彼の父はジオン・ズム・ダイクン。スペースコロニー<サイド3>の独立運動に身を捧げた人物だった。

 キャンパスを出て、セイラは近くに借りているアパートの自室に戻った。珍しく、郵便受けに手紙が届いている。差出人の名はなかった。不審に思いながら部屋に入り、熱い紅茶を入れ、そして古風な封筒を開いた。

 親愛なるわが妹、アルテイシアへ。

 その宛名を見て、手が震えた。あの戦争で敵味方に分かれて戦った兄の、見覚えのある筆跡だった。兄、キャスバル・レム・ダイクンは最終決戦の場となった宇宙要塞で、図らずも顔を合わせ言葉を交わしたのを最後に、行方不明になっていた。

 私の消息を伝えるのが、これほど遅くなってしまったことを申し訳なく思っている。
 今、私は父の名を冠した都市にいる。
 まもなく父の誕生日、そしてジオン独立記念日だ。アルテイシア、君はこの記念日を祝ったことがないだろう。だからぜひ、父の愛したこのコロニーに君を招きたい。
 ともに、あの戦争を無事に生き延びたこと、そして亡き父の誕生日を祝おうではないか。
 
 愛をこめて
 キャスバル・レム・ダイクン

 手紙には、往復の航空券と予約されたホテルの連絡先が同封されている。信じがたい思いで、セイラは何度も繰り返し兄の筆跡をたどった。兄が生きていた。その喜びは熱を帯びて全身を駆け巡るようだった。
 兄は、父を暗殺したザビ家への復讐を果たすため、シャア・アズナブルという偽名を用いてジオン公国に潜入した。戦争が始まり、いつしか兄は「赤い彗星」の異名をとる撃墜王になっていた。戦場で再会した兄は、以前の優しかった兄とは違っていた。
 彼女はもう一度、その短い手紙を読み直してみた。文面からは、何もわからない。ザビ家への復讐を成し遂げて、もとの兄に戻っているのだろうか。それとも、野心に燃えたシャアという人格のままで、前に進もうとしているのだろうか。
 セイラは顔を上げた。以前、兄に会いたいと切望していたときにはなかった衝動があった。今学ぶ、ジャーナリズムには不可欠のもの、それを人は「好奇心」という。
 「会ってみなければ、わからないわね」セイラはつぶやき、もう一度、航空券の予約された日付を見た。手紙を読むために淹れた紅茶は、すっかり冷めていた。

「面会? 自分に、でありますか?」
 受話器を取ったブライトは、思わず相手に聞き返した。
「一年戦争時、<サイド7>からホワイトベースで脱出した元避難民だということです。応接室にお通ししました」
 誰だろう、と訝りながらブライト・ノアは席を立った。今、彼は地球連邦軍の北米方面司令本部に勤務し、連邦軍艦隊再編のために働いていた。
 一年戦争で、地球連邦軍は多くの艦艇を失った。そして五年という月日は、失った分を再構築するのには十分ではなかった。必要とされるタイプの艦艇が、一年戦争による戦術の変化で大きく変わった。艦艇を揃えそこに人材を充てていく作業から、士官候補生でありながら最新戦艦の指揮を任され、図らずも若すぎる艦長として一年戦争を戦い抜いた彼は、戦時に最前線では学べなかった多くのことを学んでいた。

 応接室に入ると、白い麻のパンツスーツに身を包んだ金髪のすらりとした女性が、背を向けて窓辺立っていた。外の様子を見ているようだった。その姿に、ブライトは息を飲んだ。
「あなたは…」
 振り向いた女性が、にっこりと微笑んで言った。
「お久しぶりね、ブライト」
「こ、こちらこそ、セイラ・マス。ホワイトベースに乗っていた避難民と聞いたのですが、まさかあなただとは思いませんでした」
「そうでしょうね」セイラが言った。
「ミライはお元気?」
 ええ、と答えながら、ブライトはセイラに席をすすめ、自分もソファに腰掛けた。ミライ・ヤシマは彼の婚約者で、<サイド7>から避難してきた住民や除隊した元ホワイトベース乗組員らとともに、東京に開設された避難民居住区で暮らしている。昨年、教師として新たな道を歩み始めたばかりだった。
 そんな互いの近況を話したあと、ブライトは聞いた。
「で、一体今日はどうしたんです?」
「あなたに、見てもらいたいものがあるの」そう言って、セイラはハンドバッグから古風な封筒を取り出した。
「これは?」
「読んでみてほしいの」
 ブライトは封筒を開いて、手紙を読んだ。
「一体、どういうことです? 君の兄からの招待のようだが」
「ええ」セイラがうなずいた。
「兄が、生きていたの」
「シャアが…」
 もう一度、セイラがうなずいた。
「会いに行こうと思っているの」セイラが言った。
「元の兄に戻っているならそれでいいし、もし新しいことを始めようとしているなら、様子を知りたい。ただ、ああいう人だから、何か起こるかもしれない。だから、私の行き先を誰かに知らせておこうと思って。」
「何かある、と思っているのか?」
「わからない」セイラが言った。
「ただ、私が行くことで、良い関係に戻れればいいのだけれど」
 兄のこととなると、驚くほど強くなるな、とブライトは思った。
「わかった。だが、なぜオレなんだ? 他にもっと、力になれる人がいるかと思うが」
「フランスにいる養父母には心配をかけたくないし、それにあなただけなの、私の兄がシャアだと知っているのは」
 そうだっただろうか、と思いつつ、ブライトはうなずき、彼女から旅程と滞在先を記したメモを受け取った。

 その夜、勤務を終えて官舎に戻ったあとも、ブライトはセイラの話のことが頭を離れなかった。何かある、とは思えない。もう戦争は終わったからだ。だが、セイラがホワイトベースの一員として戦っていたあの時、軍を辞めろと金塊を寄越してきた「前科」もある。
 探りを入れておくか…
 彼は受話器を取った。あの男なら、こういうネタに飛びついてくるはずだ。

 さっきから、けたたましく電話のベルが鳴り響いている。穴埋めレポートの催促だ。わかっているから、もう少し待て。そう思いながら、カイ・シデンは映像の編集を続けていた。いろいろ不都合があって、ニュース番組に5分ほど空き時間ができた。何か適当に埋められそうなネタはないか? そういう依頼がよく来る。関係をつなぐため、なるべくいい返事をして要求に応えてきた。しかし最近、どうやら便利に使われているような気がしてならない。

 カイ・シデンもまた、<サイド7>で戦災に巻き込まれ、逃げ込んだ連邦軍の戦艦ホワイトベースで現地徴用された口だった。戦後、軍に残ることをすすめられたが、彼は軍隊の堅苦しさや、どこかの陣営に属する不自由さを好まなかった。バックパッカーとして一年余り、地球の各地を放浪したあと、自由を求めて中立コロニーであった<サイド6>に移住した。そこで通信社の仕事を見つけて働いたのち、独立して今はフリーの記者として、ネタ探しに飛び回っている。

 一度切れた電話が、また鳴り始めた。
「もう少しでできる、あと10分待ってくれ」受話器を取ると、カイは言った。
「何が、あと10分なんだ?」声が、いつもの担当ディレクターとは違っていた。
「えーと、どちらさん?」
「オレだよ、カイ。ブライト・ノアだ」
 思わず手を止めて、カイは受話器を握り直した。
「これはどうも。珍しいね。どういう風の吹き回し? 連邦軍の内部情報のタレコミか、それとも例の、ザビ家の何某が生きていた! というくだらない噂話か」
「そんな話が、よくあるのか」
「あるね、コロニーに出てきてみると」カイが言った。
「キシリア・ザビは生きていた、とかドズル・ザビの娘が生きていた、とかいろいろある。だいたいが、どこどこに潜伏していずれジオン〝公国〟を再興する、という奴らの願望につながる」
「オレの話も、その類かもしれんが」と、ブライトは思わず咳払いをする。
「行って、真偽を確かめてほしい。実は、ジオン・ダイクンの遺児がズム・シティにいるというんだ」
「そりゃ、新しいパターンだな。でもなぜ、あんたがそれを気にする?」
「確かな筋からの情報だからだ」
 カイが、作業する手を止めた。
「確かな筋って…、セイラさんか?」
 ブライトが、口ごもる。
「なぜ、そう思うんだ」
「彼女はもともと、ジオンの人間だったそうじゃないか、そうだろう? シャアの妹だ。あんたには口止めされたが、オレは忘れちゃいないぜ」
「行ってくれるか?」
「何がある、と思っているんだ?」
「わからんが、火のないところに煙は立たない、というからな。もし何かあれば」
「スクープになる」カイとブライトの言葉が重なる。
「これも、軍の仕事のうちなのか?」カイが聞く。
「あ、いや…」再び、ブライトは口ごもる。
「そういう面もある。もし戦いの火種があるなら、早いうちに見つけて、消し止めなければならない」
「そうとは思えないけどな、今のジオンの政権は、それなりに安定している」カイが言った。
「でもまあ、面白そうだから行ってみるか」

 受話器を置いたブライトは、ふうっ、と大きく息をついた。カイとの会話は、彼をホワイトベースの艦長だった頃の気分に引き戻した。彼一人で、大丈夫だろうか。何事も、一人よりチームであった方が、対処が広がる。
「保険を、かけておくか」
 ブライトはもう一度受話器を取り、日本にいる恋人を呼び出した。

 夏季休暇中の寄宿舎は、どこかガランとしている。多くの学生が帰省したり、見聞を広めるためとして旅行やキャンプに出かけたりしているからだ。しかし、四人部屋のこの一室だけは別だった。ダビド・ラング、ヒロ・サイトウ、トム・オブライエン、そしてアムロ・レイ。工学とプログラミングをこよなく愛する彼らにとって、日々の課題の山の追撃を逃れる夏季休暇は、絶好の「独自開発」日和であった。部屋には彼らが「発明」した妙なマシンやギミックが満ちあふれ、寄宿舎の他の住民からは「オタク部屋」と呼ばれていた。
 しかし、彼らが夏に帰省しないのは、それだけが理由ではなかった。彼らは、帰るべき「家」をなくしていた。そのことには、言及しない。それが「オタク部屋」の住人の唯一の不文律だった。互いに深入りしない、その学友たちの処し方に、アムロ・レイは魂の安らぎを得た。

 ジオンの攻撃で<サイド7>を追われた彼は、たまたま防戦のためにそこにあった連邦軍の試作モビルスーツ「ガンダム」に搭乗し、ジオンのモビルスーツを撃墜したことから現地徴用され、戦艦ホワイトベースの一員となって転戦することになってしまった。そのとき、彼や仲間たちはまだ高校に入ったばかりだった。終戦とともに軍籍を解かれた彼は、その戦績にふさわしい恩賞を受けたものの、18歳に満たない少年兵に知られざる最新兵器を与え最前線に立たせたことが非人道的だとして非難されることを恐れた地球連邦軍は、彼らの所属する第13独立部隊について外部に公表することはしなかった。彼らの戦いの記録は隠匿され、彼はもとの高校生として、同郷のハヤトやフラウ、ミライらとともに、トーキョーに解説されていた避難民居住区に放り出された。
 そこは、アムロにとってはあまり居心地のよい場所ではなかった。<サイド7>の元住民の多くは、アムロのしたことを知っており、それこそが、今の不遇につながっているのだと信じていた。地球には、幼い頃別れた母がいて戦時中に一度再会していたが、そこに戻るという選択もしたくなかった。彼は二年間をそこで耐え、高校を卒業すると大学で宇宙工学を学ぶため、北米へ渡った。

「オタク部屋」の住人のうち、アムロ以外の3人には共通の趣味があった。それは一年戦争の勃発時に登場した、モビルスーツという新兵器を3Dモデルで再現することである。しかも、彼らはみな地球連邦市民であったにもかかわらず、敵国であったジオンのモビルスーツをより愛した。地球連邦という超大国に挑むにあたり、戦術の変革を来らすことで優位に立った画期的な兵器だから、というのがその理由のようだった。ただ、彼らが地上でジオンにその故郷を占領されていたとき、地上で運用されていた連邦軍のモビルスーツはないに等しかった。連邦軍のモビルスーツ「ジム」が大量投入されたのは戦争末期で、戦場はここから遠く離れた宇宙へ移っていた。

「よう、アムロ」デスクに向かう彼に、ダビドが声をかけた。
「前に、なぜ連邦軍のモビルスーツを作らないのか、って聞いたよな?」
「あ、ああ」
「ジムぐらいしか、ろくなモビルスーツがないっていうことだったんだが、ちょっと面白いものを見つけた」
 振り向くと、彼は何やらモビルスーツの図面らしきものを持っている。
「R Xー78。試作段階のプロトタイプだ。開発関係者の間では、ガンダムって呼ばれていたらしい」
 細いラインで描き出されたその機体の設計図は、アムロにとっては懐かしさを覚えるものだった。
「なんでも、連邦軍はようやくジムに代わる新型の開発に着手するらしい、その土台になるって話だ」
 話を聞きつけて、他の二人が集まってきた。
「おおっ、おれはすごい」ヒロが言った。
「ジムより、こう、シュッとしているな」
「それに、なんだよこれは。目が二つある」
「武器はないのか、武器は」
「見ろよ、こいつ、5倍以上のエネルギーゲインがある!」
 資料を見ながら、三人はそのスペックが思いの外高いことに、驚きを隠せないようだった。
「…おれ、このモビルスーツ、見たことあるよ…」ヒロが言った。
「あの頃住んでいた町の近くの砂丘に白い、木馬みたいな戦艦が降りてきて、ジオンの最前線基地を叩いていったんだ…」
「そんなわけ、ないだろ」ダビドが言った。
「こいつは試作機で、実戦に投入されたっていう記録はないと、書いてある」
「だけど、見たんだ…」消え入るような声で、ヒロが言う。
「あー」トムが声をあげた。
「こいつが、ザクと戦うところを見たかったなあ~」
「見たいものは、作ってみればいいじゃないか」ダビドが言った。そんなやりとりを、アムロは不思議な面持ちで聞いている。
「なんだ、アムロ。おまえもなんか言えよ」ヒロが言った。アムロは三人の顔を見回すと、言った。
「ここはやっぱり、安らぐな」
「なに、おっさんくさいこと言ってるんだ」

 朝、出かける前にブライトから電話をもらったミライは、その夜、近所に暮らすフラウ・ボゥを夕食に誘った。二人とも、元はホワイトベースの乗組員だったが、今は避難民の居住区にいて、ミライは教師、フラウは保育士として働いている。互いに仕事をし始めたばかりで、他に知り合いもなく気心の知れた間柄だったので、折をみてはこのように食事をともにしていた。
 もともと、この居住区にはフラウ、ハヤト、アムロもいたが、今見知った仲間は彼女だけになっている。高校を卒業するとハヤトは軍に戻り、今は新造された護衛艦のオペレーターとして勤務しているという。そういえばそのことで、卒業前にフラウはハヤトと大げんかしていたっけ。みんな、自分から離れて行ってしまうの、どうして? 彼女は、そんなふうに思っているようだった。
「こんばんは、遅くなっちゃって」
 ミライはドアを開き、フラウを招き入れ、ふたりは食卓についた。
 
 今日会ったことや互いが仕事で関わる子供たちの様子などを分かち合いながら食事をすますと、ミライは食後のコーヒーをすすめながら、要件を切り出した。
「実は今日は、ブライトから頼まれたことがあって」
「ブライトさんが? 何かしら」
 ミライはコーヒーカップを置くと、言った。
「あ、あの…フラウはアムロの連絡先、知っているわよね?」
 さっと彼女の表情が曇る。
「ええ、一応聞いてはいるけど」
「ブライトが、アムロに連絡を取りたいから、教えてもらえないかっていうの」
「それは構わないけど」とフラウは言った。
「つながるかどうか、わからないわ。電話には出ないし、何度メールを送っても、梨のつぶてなんだから」
「そうなの?」
「どうしてなのかしら。まるでみんなのこと、避けているみたい」
 ミライは、フラウから連絡先のメモを受け取った。
「ハヤトとは、どうなの? ちゃんと仲直りはできたの?」
「わからない、彼はグラナダ基地に配属になったらしくて。遠いわよね、月の裏側なんだもの」
 それより聞いて、私、休みの日に赤十字のボランティアに行っているんだけど、そこに来ている人の中に、すごくいい人がいるのよ…。少し頰を赤らめて話す彼女を見て、ミライはようやくフラウも幼馴染みのことを吹っ切れたのだと感じた。

 人類が宇宙に巨大な人工島、スペースコロニーを造営し、移民を始めてから80年余りが過ぎようとしていた。スペースコロニーは、地球と月の重力の平衡点である5つのラグランジェ・ポイントの周囲の、8つの安定疑似軌道上に建造されたものである。各ポイントに建造されたコロニー群の集合体を<サイド>といい、宇宙世紀0079年までに7つのサイドが造営された。
 そのうちの一つ、<サイド3>は地球から最も遠い、月の裏側に位置するポイントに建造されたコロニー群である。宇宙世紀0079年、<サイド3>は「ジオン公国」を名乗り、地球連邦に戦いを挑んだ。今でいう「一年戦争」である。レーダー類を無効にするミノフスキー粒子の散布と、電波妨害の激しい環境下で有視界戦闘を行うための人型兵器、モビルスーツの導入により圧倒的な国力差・戦力差をなきものにすることに成功したジオン公国は、宣戦布告の直後に地球にコロニーを落とすという無差別攻撃によって地球連邦に対し圧倒的優位に立つと、地球に降下、大陸の半分を占領するに至った。しかし地球連邦側がジオン公国軍の保有するモビルスーツの性能を上回る新型モビルスーツの開発・量産に成功し、戦線に投入されるようになると形勢は逆転。ザビ家による独裁体制が崩壊したジオン公国は戦争継続が不可能となり、地球連邦との間で停戦協定を結んだ。以来、<サイド3>はダルシア政権のもとで民主化を果たし、ジオン共和国として独立を維持している。

 <サイド3>の首都コロニーであるズム・シティが近づいている。セイラ、いや、アルテイシアにとって、15年ぶりの帰郷だった。父ジオン・ズム・ダイクンの不審死をきっかけに、兄とともに父親の側近に引き取られたのが8歳のとき。素性を隠すため、アルテイシアという名を封印し、養父母に迎えられてセイラ・マスとして人生を歩むことになったとき、それは一時的なものだと思っていた。だが、父の同志だったデギン・ザビが公王と称して王座につき、国民が「ジーク・ジオン」と叫びながら軍の総帥となったその息子、ギレン・ザビを歓喜で迎えるのをニュース映像で見た瞬間、アルテイシアはもうそこへ戻ることはできないのだと悟った。彼女は地球連邦の一市民として生きていこうと決意し、開発されたばかりのコロニー、<サイド7>に移住した。
 しかし、兄は違った。兄はザビ家一党が父を亡き者にしてその独裁体制を築いたものと信じ、復讐を誓って単身、ジオン公国へと渡った。彼がシャア・アズナブルの偽名を名乗り、モビルスーツのパイロットとして「赤い彗星」の異名をとる活躍をしている、と知ったのは、図らずも戦場で相見えることになったときだった。兄は、アルテイシアが知っていたキャスバル兄さんとは別人のようになっていた。過去を捨てた男、と彼は言った。
「それなのに、なぜ…?」
 シャトルは<サイド3>の首都であるズム・シティの宇宙港へと入っていく。セイラは心が緊張で強張ってくるのを感じた。

 それでも、宇宙港からコロニー内につながるエレベーターから、父の名を冠した都市の街並みが見えてくると、セイラは思わず「わあっ」と声をあげた。20世紀のヨーロッパを模して建設されたその都市は、洗練された重厚さを持った建築物と、みずみずしい緑でコロニーという人工物の内側を覆い尽くしている。地球連邦軍との宇宙での最終決戦は熾烈を極めたが、ジオンは最終防衛ラインと定めた宇宙要塞ア・バオア・クーで連邦軍の進攻を食い止めたため、<サイド3>の領域は、戦火にまみえることなく終戦を迎えた。侵されなかったその街に、五年前の戦争の傷跡を見つけることはできそうにない。
 やがてエレベーターは市の中心部につながるステーションに入った。滞在先として、兄がパレスホテルを予約している。セイラはひとまずチェックインしようと、タクシーを探した。そのとき、背後から彼女を呼ぶ声がした。

 セイラが見たのと同じ光景を、カイ・シデンは苦虫を噛み潰したような表情で眺めていた。ブライトからの、歯の奥にモノが挟まったような電話は正直なかったことにしてもよかったが、その情報の「確かな筋」と呼ばれたセイラ・マスのことが気になった。ジオンの英雄、シャア・アズナブルの妹らしい、とブライトから密かに耳打ちされたとき、不思議なこともあるものだと思っただけだったが、昨今記者として各地を取材する中で、ことに<サイド3>関係者から聞く「ウワサ」があった。あの、赤い彗星の異名をとったシャア・アズナブル、彼こそジオン・ダイクンの遺児だというのだ。
「そうだとすれば、彼女もジオンの…」
 だったら、どうだというのだ。ホワイトベースでともに戦った彼女には、敵に通じているかもしれないと思わせるようなところは微塵もなかった。しかし一方で、真相を知りたいという強い思いも芽生えている。記者となった彼にとって、それは当然すぎる欲求だった。ただ、彼には信条があった。あの戦争でともに戦った仲間のことを、決して世間の好奇にさらすようなネタにはしない、と彼は自分に誓いを立てていた。
 宇宙港から出たエレベーターが、ステーションに着いた。カイはレンタカーを借り、街に出て取材拠点にふさわしいチェーンホテルを探した。 

「アルテイシア様、こちらでございます」
 ステーションで声をかけてきた黒いスーツの男に案内されて、セイラはパレスホテルの豪奢なエントランスに入った。男がフロントで一声かけると、さっとベルスタッフがやってきて、二人を先導して最上階の一室へ通した。ホテルの中でもかなり格式の高いとおぼしきスイートルームで、リビングルームとダイニングルーム、それにベッドルームの横には書斎まで備えられている。
 古典的なヨーロッパスタイルの豪華なインテリアで揃えられたその部屋に、しかしセイラはどこか懐かしさを覚えた。それにしても、とセイラはリビングルームに備え付けられた大きな鏡に映る自分の姿を見た。淡いピンクのサマーセーターにスリムジーンズ、白のスニーカーという装いは、気軽な旅行と思ってのことだったが、この部屋には場違いすぎる。
 ノックの音がした。慌ててセイラは、ドアを開けた。グレーのスーツに鮮やかなブルーのネクタイをあわせた、スラリとした男が立っていた。
「よく来てくれたな、アルテイシア。この部屋を、気に入ってくれるといいのだが」
「兄さん!」
 そこには、やわらかな笑みを浮かべた金髪の男が立っていた。戦場で再会したときの鋭い眼光や、体から立ち上るような殺気はそこにはない。
「キャスバル兄さん…」
 セイラは、アルテイシアと呼ばれた頃に自分が呼び戻されてゆくのを感じた。自分に背を向けて去っていった、あの優しいキャスバル兄さんが戻ってきた。
「長く待たせて、すまなかった」兄が言った。セイラは、かつてアルテイシアだった自分がそうしたように、兄の胸に飛び込んだ。
 兄は、妹の頭をやさしくなでると、やがて体を引き離し、頰に流れ落ちる涙を指でぬぐって、言った。
「さあ、久しぶりに会ったんだ。君の話を聞かせてくれないか」

 ソファに腰掛けると、兄は慣れた様子で受話器を取り上げた。そんな様子を、彼女は不思議な面持ちで見つめている。
「ん? どうした?」兄が言った。
「この部屋には何か見覚えがあるの。私たち、ここへ来たことがあったのかしら」
 兄が、うなずいた。
「ここは、父さんがズム・シティに私たちを連れてきてくれたとき、宿泊した部屋だよ、アルテイシア」
「ああ、やっぱり」
「故郷の家は残念ながらもう人の手に渡ってしまっているが、せっかく君が来るからには、父さんのことを思い出せる場所で出会いたかった」
「ありがとう、兄さん」
 ふいに、ノックの音がした。兄が立ち上がってドアを開けると、黒い制服に身を包んだホテルのスタッフが、コーヒーを運んできた。
「君の世話をしてくれる、執事だ」
「ラガード、と申します。以後、なんでもお申し付けくださいませ、姫様」
「まあ、姫はやめて」セイラが言った。
 執事が出ていくと、彼女は兄の方に向き直った。
「兄さんは今、何をしているの?」
「私は故郷のゾーマ・コロニーに戻って、弁護士をしている。父が殺されたあとの数年間を地球です過ごし、そのあと戦火を避けて月の都市、フォン・ブラウンへ移住した。そこでロースクールを卒業し、故郷へ帰ってきた。それが、キャスバル・レム・ダイクンという男だ」
 セイラは、舞い上がっていた心が次第に沈んでくるのを感じた。
「シャア、という人がいたわ。戦場で出会って、私に軍を辞めるようにすすめた。あれは、あれも兄さん、あなただったわ、そうよね?」
「彼は、死んだ」兄キャスバルが言った。
「死んだ、というのは正確ではないな。戦闘中行方不明になって、それきりだ」
 セイラは、口をつぐんでじっと、兄を見ている。
「君もだ、アルテイシア。君は私とともに地球に降り、南フランスでマス家の養女となって、そこで終戦を迎えた。ジオン・ダイクンの二人の遺児は、戦争中は身を潜め、ザビ家残党が一掃されてようやく、無事に母国に帰還することができた」
「それが、あなたの作ったストーリー、なのね」
「そうだ」兄キャスバルが言った。
「私はともかく、君については本当のことを知られたら、決して好意的には受け止められないだろう。ジオンの遺児でありながら、公国の兵士に銃口を向けたのだからな。そんな過去なら、ないほうがいい」
「わかったわ。ここにいる少しの間は、そういうことにしておくわ」セイラが、肩をすぼめた。
「ところで兄さん、このホテル、宿泊代もバカにならないと思うけれど、弁護士って実入りがいいのね?」
「私を誰だと思っているんだ?」ふふふ、と笑って兄は言った。
「もちろん、それもある。が、それだけではないんだよ、アルテイシア。我々には支援者がいるのだ」
「支援者?」
「今夜、夕食をともにすることになっている。そのとき、紹介しよう」
 兄キャスバルは立ち上がると言った。
「アルテイシア、君はジオンの姫君だ。それらしく頼むよ。念のため、クローゼットに合いそうなものを揃えてある」
 その言葉に、セイラは思わず眉をしかめる。キャスバルはまた、笑顔を見せた。
「では、またあとで。夕方6時に、迎えに来よう」

 長い夜だった。ホテルの部屋に戻ったときには、もう夜半を過ぎていた。セイラは細いヒールのパンプスを脱ぎ捨て、裸足になった。足を包み込むカーペットの感触が心地良い。夜会の装いには、地球から持ってきた母の形見の青いドレスを選んだ。その彼女の姿は、在りし日の母の生き写しのようで、母をよく知る支援者たちを大いに感動させたようだった。
「疲れた…」
 ベッドルームでそのドレスを脱ぎ捨てると、セイラはそのままベッドに倒れこんだ。兄は辣腕弁護士で、父ジオン・ダイクンの遺志を都合とザビ家独裁体制の敷かれたのちも潜伏しながら活動してきた派閥の支援者たちの支持を得て、政界に進出しようとしているらしい。
 ジャーナリスト、として見るには興味深い動きなのだろうが、今の自分は離れた位置から客観的に俯瞰できる立場にはいない。むしろ、ジオンの遺児として祭り上げられようとする意図を感じて不快だった。
「明日は、ひとりで出かけてみよう」
 気分を変えるため、セイラはそうつぶやいた。

 ブライトの言葉に乗せられてここまで来たものの、コロニーに入ったところで、何かが聞こえてくるわけでもない。ひとまず、街をぶらついてみるか、とカイ・シデンはカメラを手にズム・シティの中心部へやってきた。
 ジオン独立記念公園と名付けられた広大な緑地の向こうには、逆三角形に翼を生やしたような奇怪な建造物が見える。かつてはジオン公国の総統府だった建物で、今は国会議事堂となっている。“スペース・コロニアル様式”とも“脱重力主義”とも呼ばれる建築様式で、基礎部よりも高層部が重く大きく張り出したデザインは、地震や洪水などの自然災害が起こり得ない、宇宙都市ならではのものだった。
 公園は、かなりの人出でにぎわっていた。中央にジオン・ズム・ダイクンの銅像が建っており、ジオン・ダイクン生誕記念日が近いせいなのだろう、回りで記念写真を撮るカップルやグループが絶えなかった。濃い口ひげと顎ひげをたくわえたジオン・ダイクンはフロックコートを身にまとい、右手を挙げ、宙空を指さした姿で屹立していた。碑文には、この像は宇宙世紀0081年のジオン・ダイクン生誕記念日に除幕された、と説明がある。カイはその銅像をしげしげと眺めた。
「なんか、変な感じがするんだよな」
 おそらく、銅像のフロックコートに刻まれた鷲の翼の文様のせいだ。それはジオン・ダイクン暗殺後に権力を握ったザビ家が定めた紋章で、彼が生きていた頃にはまだなかった。その銅像は、ジオン・ダイクンの理想にザビ家の資金、そして戦争という現実的手腕をまとわせて辛うじて独立を勝ち取ったジオンの民の苦渋を刻み込んでいるように見えた。
「で、ブライトさんよ。そのジオンの遺児っていうのは、どこに隠れてるんだ?」
 その小さなつぶやきは、彼を呼ぶ声でかき消された。
「カイ、ひょっとして、カイ・シデン?」
「ビンゴ!」
 振り向くと、声の主は眉をひそめて言った。
「どうしてここに?」
「あんたこそ、なぜここにいるんだ、セイラさん」
 ジーンズにコットンのセーター、というラフな格好でも、いや、だからこそだろうか、久しぶりに会った彼女は輝いて見えた。
「そうね、夏の休暇なの。生まれ故郷がどうなっているのかと思って、来てみたの」
 セイラの青い目が、一瞬、射抜くような光を放つ。
「知ってるんでしょ? 私が<サイド3>の出身だってこと」
「あ…ああ」カイは微妙に返事を濁した。
「おれは、あれだ。ニュースのネタ探しってとこだな。こんなウワサがある。ジオン・ダイクンの子息が生きているらしい、ってな」
 ふふふ、とセイラが笑った。
「せっかく再会したのだから、もしお時間があるなら、一緒にお茶でもいかが?」
 いいね、そう言うと、二人は公園に面したカフェに入った。

 互いの近況を聞き合ったあと、カップを置くと、セイラが言った。
「それで、どうなの。ウワサの真相はつかめて?」
 カイは、大げさに肩をすぼめてみせた。
「さあね、何しろ昨日、このコロニーに入ったばかりだ」
「私の声を聞いて、ビンゴ、と言ったわ」
「あれ、聞いてたの」
「どういう意味なの」
「いや、何か知っていそうな人に会えた、ってね」
「ブライトに、聞いたのね」
 カイが、うなずいた。「何か、知っているのか」
 セイラが、視線を落とした。
「言わなくていい」カイが言った。
「おれがここへ来て、最初に聞いたウワサはこうだ。赤い彗星と言われたシャア・アズナブル。あの男が実はジオン・ダイクンの息子だった。それが本当なら、あんたとつながる」
 はっ、とした面持ちでセイラが顔を上げた。
「心配すんなって。おれは決めているんだ。あの戦場を生き抜いた昔の仲間を、ネタにはしないってな」そう言うと、カイはカップを手に取り、冷めかけたコーヒーをすすった。
「夜になれば、すべてがわかるわ。パレスホテルで、前夜祭と称してジオン・ダイクンのかつての同志の会合があるの。取材に、入れるかもしれない」
 真剣な面持ちで、セイラが言った。
 ひょっとしてセイラさん、あんたもそこへ? そう聞こうとして、カイは口をつぐんだ。夜になれば、すべてがわかる。彼女がもしそうなら、それも明らかになるとことなのだろう。
「わかった」
「一つだけ、言っておくわ。そのとき何を見て何を聞いたとしても、私はあなたの知っている通りの、変わらないままの私だから。私は地球連邦の市民で、夏の休暇でここに来て、1週間後には地球に戻る。お願いカイ、私を信じて」
「悪いようにはしないさ」会話がすっかり重くなってしまった。話題を変えようとして、彼は言った。
「ところで、アムロとはどうなんだ?」
「アムロ?」
 セイラは、虚をつかれたようだった。
「どうしているのかしら。私は知らない」
「あのとき、トーキョーで別れて、それっきりだったのか? 俺はてっきり、あんたら二人は付き合っているものと思っていたんだけどね」
「そんなふうに、思われていたのね」とセイラは笑みを浮かべる。
「何もなかったのよ、本当に」
 だがその視線が、ふと遠くをさまようのをカイは見逃さなかった。

 その夜、パレスホテルの大広間は、明日のジオン生誕記念日、そしてジオン独立記念日を祝う前夜祭に招かれた賓客で溢れかえっていた。かつてジオン・ダイクンとともに同志として活動していた、という人々が、次々に壇上に立って、国父とともにいかに苦難の道を歩んできたか、そして地球連邦から勝ち得た「独立」の二文字の素晴らしさについて、滔々と語っている。
 セイラは、大広間に張り出した二階のバルコニーの、奥まったところで、その話に耳を傾けていた。娘の立場からすれば、生前の父の功績や、人々に与えた影響について聞くことができるという意味ではよい機会だと思っている。ただ、彼らの語るジオン・ダイクン像は、セイラにはいささか理想化されすぎているようにも感じられた。志半ばで倒れた政治家として、尊敬を集めていることはわかる。だが、彼らは尊敬を通り越し、崇拝しているようにさえ見えた。そして地球連邦と和平交渉にあたり、講和という結果を持ち帰った現政権のダルシア首相に、大いに不満があるようだった。
「もうすぐ、だな」
 背後から、兄キャスバルが声をかけた。黒いタキシードを着こなして、まるで貴公子のように見える。とんだ茶番だわ、とセイラは思った。自分まで、ここに顔を出して名乗りをあげる必要はないわ、と何度も兄に訴えたが、キャスバルは聞き入れようとしなかった。父の支援者はみな、君のことも覚えている。私の横にいて、ただ笑っていればいいのだ。
 司会者の声のトーンが、跳ね上がるのがわかった。「今日みなさまに、特別ゲストをご紹介できることをうれしく思います。ジオン独立記念日の前夜祭に、これほどふさわしいゲストがいるでしょうか!!」
「さっ、行こう。会衆が我々を待ちわびている」
 兄がセイラの手を取り、彼女はしぶしぶ立ち上がった。

「まったく、とんだ茶番だな」
 プレスルームと称して報道陣が押し込められた部屋で、カイはふてくされていた。セイラから得た情報をもとにパレスホテルに押しかけたのはいいが、取材を許されたのはジオン国営放送と一部のニュースメディアだけで、他の大半の記者は、前夜祭のパーティ会場に入ることは許されず、プレスルームでモニター越しに宴の様子を眺めている。
「ここの取材は初めてなのかい?」
 隣の席の記者が言った。ジュード・ナセルと名前を記したデイリー・ジオン・サンライズのIDカードを首から下げている。
「ああ、普段は<サイド6>を拠点に連邦側の動きを追いかけている」カイが答えた。
「あんたは地元の記者のようだけど、それでも中には入れてもらえないんだ?」
「記者を、選んでいるのさ。何事においても迎合的で、批判記事を書かないような従順な記者だけをね」その記者、ジュード・ナセルが言った。
「ザビ家の独裁が終わっても、こういうところはちっとも変わらねえ」
「へぇ」カイが思わず、声を上げる。
「戦時中は、さぞひどい目に遭ったんだろうな」
「軍の広報が出す資料を書き写すだけの仕事だった」ナセルが言った。
「本当のことを書いた、という理由で、社主は投獄されてしまったしな。それに比べれば、多少はましになったかな」
 ジオン・ダイクンを懐古する人々のスピーチは、入れ替わりたちかわり、もう2時間近くも続いている。セイラから、夜になればすべてが明らかになる、という一言を聞いていなければ、他の記者らと同様、取材をあきらめて早々にこの場を立ち去っていたに違いなかった。
 ふいにモニターから、拍手とともにけたたましい歓声が湧き上がる。カイは目をこすりながら、画面に映し出された人物を眺めた。
「我らの指導者、革新者ジオン・ズム・ダイクンの血を分けた二人のご子息が、今我らのもとに、帰ってきたのです。キャスバル・レム・ダイクン、そしてアルテイシア・ソム・ダイクン、どうぞこちらへ!!」
 カイは、大広間のバルコニーから中央へつながる階段で、正装した男女が降りてくるのを見た。二人の顔がクローズアップされている。肩を出した赤いロングドレスの女、それは今日、昼間彼が親しく会話していた彼女だった。
「アルテイシア…、ソム・ダイクン、だって??」
 司会が、二人のこれまでの消息を読み上げている。ジオン・ダイクン暗殺後密かに地球に逃れ、戦時は潜伏していた、という。しかしカイは、それが真実でないことを知っていた。
 激しい拍手と歓声は、なかなか止むことがなかった。司会に促されマイクを取ると、キャスバルと名乗る男が口を開いた。
「今、諸君の前にこうして立つことができることを、うれしく思う。ザビ家一党の激しい迫害に耐え、今まで私の父、ジオン・ダイクンの掲げた理想を受け継いできてくれたことに感謝している」。
 ざわついていた会場が、水を打ったように静まり返った。
「…申し遅れたが、私の名前は、キャスバル・レム・ダイクン。父ジオン・ダイクンが暗殺された後、同志の助けで密かに国外に脱出し、これまで生きながらえてきた。その間、父の理想にどうすればたどりつけるのかを、考えつづけてきた」
 キャスバルはそう言うと、一息おいて会場を見渡した。
「今こうして同志諸君に迎え入れられることをうれしく思っている。ザビ家によって汚され、連邦政府の犬に成り下がった穏健派によって骨抜きにされたわが祖国。私はジオンを、父の名を冠するにふさわしく蘇らせ、父が理想とした人類の革新を現実のものとするために、今日、この日から動き出すつもりだ」
男の静かな語り口とは裏腹に、会場の熱気は頂点に達していた。最後の言葉を語り終えると、うおーっという歓声が起こり、次々に会衆たちが立ち上がってゆく。その様子を、カイ・シデンは呆然と見ていた。

「ジーク・ジオン(ジオンに勝利を)」

 誰かが言った。たちまち、そのシュプレヒコールは会衆全体に広がっていく。

 ジーク・ジオン! 
 ジーク・ジオン!!

「うへえ、たまらんな、これは」ナセル記者が頭を抱えている。先ほどまで沈滞ムードに覆われていたプレスルームはにわかに活気付き、今語られたことを記事にしようと、記者たちが動き始めていた。
「なんだ?ジオンの理想って。動き出すって、どういうことだ?」
 カイはひとり、訝しんだ。キャスバルという男の横で青ざめるセイラの姿が、目に焼き付いていた。



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