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【随筆】【文学】善蔵を思う(四・最終回)

 余談である。蛇足である。
 葛西善蔵は「雪をんな(ニ)」で、「雪をんな」の作品背景について次のように説明している。「空知川の上流ぱん溪川より溯つた百個村それから深山五六里を雪の山路をは入つたやうなところを、背景にした」。「歌志内から雪の山越えをして、また吹雪の中を歌志内まで帰ってきた」。
 当時、歌志内から山越え→赤平・空知川左岸→渡船で空知川右岸(百戸)→芦別・下班渓(常磐町)という開拓道があった。降り積もる雪が股まで達し、少年の日の善蔵が命がけで越えたこの歌志内-赤平の雪道は、遡ること10年、すなわち国木田独歩(1871年~1908年)が1895年、新天地を求めて「空知川の岸辺」を目指した熊笹の道である。詳しくは拙稿「空知川の岸辺の憂鬱」をご参照下さい。


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