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最初の試練は自分の意思をはっきり言うこと Ja oder Nein muss man klar sagen

オーペアとしてドイツ・ミュンヘンにやってきた私だが、言葉の壁はもちろんのことだけど、最初に苦労したのが

Ja oder Nein(Yes or No)をはっきり言うこと。

ホストファミリーのお母さんであるウズラはドイツ人とニカラグア人のハーフで、どちらからと言えばラテン系の気質が強いタイプ。
欧米人は、そもそも自分の意見をはっきり持っていって、言葉ではっきりと表現する。でも、ウズラはそれを上まる正直さ?があり、私に対しても意見・意思をはっきり述べるように要求してくる。

コーヒーにする?お茶にする?

の質問にその時点で飲みたいという欲求がなかったとしても、親切心に応えようとしたり、相手の飲みたいものに合わせようとする日本のいいメンタリティが裏目に出てしまう。
“ウズラも飲むなら“、とか“どちらでもいい“とかの曖昧さは受け入れられず、

“飲みたいの?飲みたくないの?Ja Oder Nein???“

“はっきり言わんかー!!!“

という圧がかかってくる。

イギリスにいた頃も苦労した“No“の壁。

そう、イギリス留学中、この“NO“の壁で大バカなことをしたのだ。

それは、友人がホームスティしている素敵な家族から夕飯に招待された時のこと。
食前酒から始まり、前菜、そしてメイン料理が出た時に“冷や汗💦“が。
それは、ムール貝のワイン蒸し。山盛り皿に乗せられたムール貝が私の目の前に。
日本で何度か食べたことがあるムール貝。
でも、毎回、病院に運ばれるほどのすごいアレルギー反応を起こす代物(前回はあたりが悪かっただけだ、今回は大丈夫!と2回目も同じ目にあい、もう2度と口にしないと決めていた)。

出された時に、

“アレルギーがあるから食べれないの。ごめんなさい“

と言うだけでよかったのに、どうしても招待していただいた家族に喜んでもらいたい一心で、嬉しそうに食べてしまったのだ。

そう、その2時間後、私は地獄の苦しみを味わったのでした。。。(家に帰ってからだっったから、招待してくれたファミリーには知られずに済んだけど)。

今思えば、本当にバカな話ではあるけれど、私にとってはそれくらい“NO“と言うことが難しく、日本では、“どちらでもいい“とか相手に合わせたりしていた。

それは、でも、ウズラの前ではそんな私は許されず。

ウズラとハイキング後の休憩

言っておくが、ウズラが私に対して意地悪心で接していたわけでは決してない。
日本に留学経験があり、日本人をよく知っていて(旦那さんの武さんは日本人のハーフだし)、日本語も話すウズラだけど、曖昧さが受け入れられない性分なのだ。それに、ドイツ(ヨーロッパ)で生きていくには、自分の意思をはっきり言うことはとても大事なこと、だからそれを私に教えてくれていた。

実際、ドイツで意思表示しなかったり授業や会議で自分の意見を述べられないと、なかなリスペクトされない。
発言しない=意思のない人、考えのない人と思われてしまう。
ドイツでは、上司であろうとも、意見をはっきり言っても許される。
というか、当たり前である。
お互いをリスペクトしていて、意見交換ができ、それは日本ではなかなかできなかった事で、働きやすく、私に合っていた。

とはいえ、70年代の日本教育で培われたメンタリティは根深く、自分の意見をことあるごとに述べ、相手の意見と真っ向から立ち向かったり、否定したりするのはやはりいまだに苦手だったりする。

ドイツ生活スタートからウズラに特訓を受け、その後、多国籍の人達と学校や仕事で接することを通し、私もJa oder Neinをはっきり言えるようになったし、そのスッキリした関係性が心地よくなった。

Wenn in Rome,  do as the Romans do
郷にいれば郷に従え

国も違えば、言葉、文化、風習、メンタリティーも違うもの。

自分のアイデンティティを大事にしながら、その国を尊重し融合していくこと。

シュタイナー幼稚園の同僚達と。

22年ぶりの日本の今。
今度はストレートな物言いはできるだけ避けないと、引かれてしまう問題多発中。

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