12.氷の国

 翌朝、3人はスズメがさえずりだすよりも早く起きた。
「おかあさん達、さすがにまだ寝てるわね」リシアンが小声で言う。「キッチンへ行って、シリアルを食べましょ。それから、お昼に戻らなくて済むよう、サンドイッチを作っていきましょうよ」
 そっと階段を降りて戸棚からシリアルを出し、冷たい牛乳を注いで食べる。食べ終わると食パン入れからパンを取り出し、冷蔵庫にあるハムやチーズ、ジャム、マーガリンをたっぷり塗って、バスケットに詰めた。
「お昼は要らないって、断っていったほうがよくない?」ゼルジーが言う。
「メモを書いていこうよ。テーブルの目に付くところに置いとけばいいじゃないか」とパルナン。
 リシアンはうなずくと自分の部屋に取って返し、ボールペンで紙に「今日は夕方まで帰りません。お昼ご飯は、ちゃんとサンドイッチを作ったから要りません」と書き、そのメモを持って降りてきた。
「じゃあ、行きましょうか」バスケットを抱えると、ゼルジーが2人をうながす。
 外はようやく明るくなってきたところだった。朝のすがすがしい空気が3人の鼻をくすぐる。
「こんなに早く起きたの、初めてよ」リシアンは両手をいっぱいに上げ、伸びをした。
「ぼくもさ。いつもなら、たっぷりあと3時間は眠っているからね」
「わたし、まだちょっと眠いわ」ゼルジーはあくびをする。「でも、そんなことを言っている場合じゃないわね。なにしろ、『木もれ日の王国』の危機なんですもの」
 桜の木に着くと、1人ずつ順番にうろの中へ入っていった。

〔リシアン女王とゼルジーは、クローゼットで着替えを選んでいた。
「これから行く『氷の国』はひどく寒いから、十分に厚着していかなくちゃね」リシアン女王はフード付きの茶色いコートを着込みながら言う。
「おいらはどうすりゃあいいんだ。着るもんを貸してくれよ」パルナンには、いま着ているものしか服がなかった。
「あんた、これがいいんじゃない?」ゼルジーが手渡したのは、真っ赤なダウン・ジャケットだ。「火の属性なんだから、派手な色の方がお似合いでしょ」
 パルナンは服を吟味した。リシアン女王の体格に合わせて作ってあるので若干小さいが、着られないというほどでもなかった。
「確かに燃えるような色をしているな。それに、よけいなアップリケもついてないし」しぶしぶながら着込む。少なくとも、寒さに震えるよりはずっとましだ。ゼルジーは厚手の青いマントを身にまとい、その上からやはり青いペチ・コートをはおった。
 全員の着替えが済むと、さっそく「扉の間」へと向かう。
「さあ、行くわよ。『氷の国』へ」ゼルジーは、2人の覚悟を確かめるように振り返った。
「ええ、いいわ。金属の魔法使いを探し出しましょう」リシアン女王が力強く答える。
「いいぞ、ゼルジー。寒さなんて、吹っ飛ばしてやらあ」
 ゼルジーは1番目の扉を開いた。ひゅうっと冷たい風が吹き出してくる。思わずマントを絞り上げ、1歩踏み出した。
「ひえっ、すっかり凍ってやがる。おい、みんな。滑って転ばねえよう、気をつけろよ」パルナンが注意をする。
「わかってるわ。でも、本当に用心しないとだめね」リシアン女王も、おっかなびっくり凍てついた地面の上に足を乗せた。
 どこもかしこも氷の世界だった。林に立ち並ぶ樹木は、向こうがきれいに透けて見える。枝も葉も、そして辺りに咲き乱れる花までも、すべてが氷なのだった。
 氷の草原を、時折ウサギやシカが駆けていく。その動物達まで氷でできていて、地面を蹴るコツン、コツンという音ばかりが辺りに響いていた。
「ほんとに氷の世界なんだな」パルナンは呆然と見渡しながら言う。
「そうよ、ここには暖かい血の通った生き物なんていないの」ゼルジーがそう説明した。
 遠く氷の山に向かって、1本の道が続いている。道と呼ぶより、アイス・リンクに溝を掘っただけ、と言ったほうがいいかもしれない。
「伝説の魔法使いは、きっとこの道を行ったんだわ。わたし達も、ここを通っていきましょう」リシアン女王は先頭に立った。
 森を抜け、丘を越える。そして、ついに洞窟へと入り込む。岩壁も氷なので、外の光が屈折を繰り返しながら差し込んでいた。
 天井にはつららが垂れ、氷のコウモリが群になってぶら下がっている。
「これがふつうの洞窟だったら、さぞ気味が悪いことでしょうね」ゼルジーは言った。
「でも、こんなに明るいんですもの。かえって、きれいなくらいだわ」
「風が吹き込んでこないぶん、外よかあったけえしな」
 一同は、キラキラと輝く氷の洞窟を楽しみながら進んでいった。
 ふいに洞窟が終わる。その先はなだらかな登り坂だった。
「ああ……」先を歩いていたリシアン女王が溜め息をつく。心から落胆しているような声だった。
「どうされました、陛下?」ゼルジーも追いついて、リシアン女王と並ぶ。
「なんだ、なんだ。こんなところで休んでる暇なんかねえぞ」パルナンがやって来て、2人の肩越しにその向こうを見た。「なんてこった。崖っぷちじゃねえか。すごくしかも、あっち側まで相当な幅があるぜ。これじゃ、渡るのは無理だな」
 元来た道を引き返し、回り道を探そうかとも相談し合う。ふいに、ゼルジーが思いついた。
「わたしに考えがあるわ」振り上げた杖から、勢いよく水がほとばしる。対岸まで飛んでいくと、あまりの寒さにたちまち凍り付き、即席の橋が出来上がった。
「さすがだわ、ゼルジー!」リシアン女王は手を叩いて褒める。
「こんな使い方があったとはなあ」さしものパルナンも、感心するしかなかった。
「さ、渡りましょう」
 無事に氷の橋を渡り終えると、上空に大きな影が現れた。
「あれって、ワシよね?」リシアン女王が見上げながら聞く。
「そのようですわ」とゼルジーが答える間もなく、氷のオオワシはこちら目がけて急降下してきた。
「やばいっ!」パルナンが叫ぶ。
「みんな、伏せてっ!」リシアン女王は急いで呪文を唱えた。目の前に分厚い木の壁が立ちふさがった。
 たまらないのはオオワシのほうである。いまさら方向転換もできず、そのまま壁にぶつかると、涼やかな音と共に砕け散ってしまった。
「間一髪だったぜ」パルナンは、ふうっと息をつく。
「素晴らしい機転でした、陛下」ゼルジーも、さっきのお返しとばかりに賞賛した。
 ようやくと氷の山の麓までたどり着いた一行。すると、氷ばかりの光景の中、銀色に輝くものが見える。
「あれ、何かしらね」とリシアン女王。
「さあ……。でも、氷ではないようですわ」
 足許が滑るのもかまわず駆け寄った。なんと氷の中に、顔まですっぽりと銀色のローブに身を包んだ人物が眠っている。
「きっと、これが金属の魔法使いだ」パルナンが断言した。リシアン女王もゼルジーも、うんうんとうなずく。
「どうやったら助け出せるかしら」リシアン女王は困ったように腕を組んだ。
「わたしの魔法では、かえって凍らせてしまうばかりだし」ゼルジーも考えあぐねている。
 パルナンがわざとらしく、コホンと咳をした。
「このおいらのことを忘れてやしませんかってんだ」指を鳴らすと、得意の炎を氷にぶつけた。氷はたちどころに溶け、銀のローブの人物がうーんと背伸びをする。
「ああ、よく眠った。お前達か? このおれを起こしてくれたのは」
「あなたが金属の魔法使い?」リシアン女王が尋ねた。
「そう、おれは確かに金属の魔法使いだ。もしやと思うが、このおれに用があってきたんじゃあるまい?」
「ええ、実はそうなんです。わたし達、『木もれ日の王国』からやって来ました」ゼルジーがこれまでのいきさつを語る。
「そいつはえらいことをしちまったな。だが、魔王ロードンを倒すには、あと1人足りない。おれの兄貴なんだが」銀のローブの人物が言った。
「2番目の扉に行っちまったんだろ? あんたを探し出したら、次はそいつを見つけなきゃなんねえんだ」パルナン急くように言葉を継ぐ。
「そこって石の国ですよね」とゼルジー。「前にちらっと覗いたことがあるんですけど、荒涼とした寂しい場所でしたわ」
「石の国か。なるほどな。だが、ほんとうの名は『太古の森』と言うんだ。まあ、行ってみればどんなところかわかるがな」
 こうして、伝説の魔法使いの1人が仲間に加わった。〕

 3人は、ほっとしながらうろの中から出てきた。
「とりあえず、1人は見つかったね」パルナンが言う。
「あと1人。今度は石ばかりの国だから、厚着をしなくてすむわ」リシアンも安堵のため息をついた。
「そうね、現実の世界は真夏。もう夕方だというのに、まだこんなに暑いんですもの。あんなかっこう、もうたくさんだわ」ゼルジーは、空っぽになったバスケットを腕にかける。「そろそろ帰りましょう。明日も、また早いんだし」

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