8.こわ虫の森

 「木もれ日の王国物語」と書かれたノートは、リシアンの手によって毎日ページが埋められていった。このところ雨も降らず、ゼルジーとリシアンは連日桜の木のうろへ入り浸っている。午前中の虫探しが済むとパルナンもやって来て、空想ごっこに加わるのが日課となっていた。
 この日も3人は、うろの中のこぶに腰掛けて冒険の準備をしているところだった。
「わたし達、いつもいたずら妖精のパルナンには負けてばっかりね」持ってきたノートを読み返しながら、リシアンが言う。
「パルに火の魔法を与えたのは失敗だったわ」とゼルジー。
「妖精っていうものは、あれでなかなか手に負えないものなのさ」パルナンはにやっと笑った。
「今日はどんな国へ行く?」リシアンが促す。
「そうねえ。本の国も行ったし、星の国も行っちゃったし」
「なら、ぼくに決めさせてくれない?」パルナンが申し出た。「いつも、君らの好きな国ばっかだったろ。ちょっと行ってみたいところがあるんだ」
「どこへ行きたいの?」リシアンが聞く。
「昆虫の国さ」パルナンは目を輝かせながら言った。
「パルらしいわ。リシー、あなたはどう思う?」
「わたし、虫なんかべつに怖くないわ」田舎暮らしのリシアンにとって、昆虫など見慣れたものである。
「わたしだって、パルにいつも見せられているから、へっちゃらよ。いいわ、パルの意見に従うわ。さ、いったんうろから出て、『木もれ日の王国』に入りましょうよ」

〔「今日もいい天気ね」リシアン女王は、ゼルジーを伴って城の庭を散策中だった。
「本日はどちらへ行かれますか、陛下」
「16番目の扉にしようと思うの、ゼルジー」リシアン女王が答える。
「昆虫の国ですね? 何か面白いものでもございますか?」
「夕べ図鑑で見たんだけど、あそこの『こわ虫の森』には、虹色アゲハというのがいるんだって。とってもきれいなチョウチョでね、どうしても本物を見たくなったのよ」
「そうでございますか。では、さっそくまいりましょう、昆虫の国へ」ゼルジーは軽く会釈をする。
 いつものように「扉の間」へと行き、入り口から数えて16番目の扉の前に立った。
「開けてちょうだい、ゼルジー」
「はい、陛下」ゼルジーは扉を解錠する。開いた扉から湿った熱気が押し寄せてきた。
「暑いわね、ここはずっと夏なんだわ」リシアン女王は手で顔を仰ぐ。
「お召し物を選んでくるべきでしたわ」ゼルジーは申し訳なさそうに言った。
「かまわないわ、ゼルジー。あんまり薄着では、虫に刺されてしまうもの。これくらいでちょうどいいのよ」
 色もさまざまな花の咲く野原が広がり、その向こうには森がこんもりと茂っている。ところどころに道しるべが立っているので、「こわ虫の森」までは迷うことはなさそうだ。
「それにしても、陛下。こわ虫とはいったい、どんな虫なのでしょうか」ゼルジーが聞いた。
「さあ、わたしにもわからないわ。きっと、クワガタムシとかじゃないかしら」
 ほどなく、「ここより『こわ虫の森』」と書かれた案内板が現れる。リシアン女王とゼルジーは森の中へと入っていった。
 一見、どこにでもあるような雑木林だが、不自然なほど静まり返っていた。
「ねえ、ゼルジー、あなた気がついた? この森、セミの声1つしないわ」
「言われてみれば、そうですね」ゼルジーも耳を澄ます。「リシアン女王。わたし、なんだか嫌な予感がするのですが」
 言い終わるが早いか、遠くからブーンという羽音が聞こえてきた。見上げると、黒い霧のようなものが近づいてくる。
「あれ、なんだと思う?」リシアン女王は問いかけた。
「ハチのようですわ、陛下。それも、恐ろしいスズメバチです!」
 スズメバチの大群は、真っ直ぐこちらに向かってやって来る。近づくにつれ、それが並の大きさではないではないに気がついた。1匹がカラスほどもあるのだ。
「陛下、ここにいては危険です。逃げましょうっ」ゼルジーは促したが、隠れるような場所などどこにもなかった。
「大丈夫よ、ゼルジー。わたしの魔法で、木になってやりすごしましょう」両手を空に向けて広げ、呪文を唱える。たちまち、2本の白樺の木となった。
 スズメバチ達はやかましくブンブンと唸りながら、白樺の周りをしばらく飛び回っていたが、やがてあきらめて去って行く。
「ふう、やりすごせたわ。それにしても、なんて大きなスズメバチだったんでしょう」リシアン女王は白樺の姿のまま、ほっと息を洩らした。
「こわ虫の森には、あんな化け物みたいな昆虫がうようよしているに違いありませんね」ゼルジーは恐ろしそうに枝先を揺らす。
 安心したのもつかの間、木の陰から大人の背丈ほどもあるカマキリがぬっと現れた。大きな鋭い鎌を振り回し、まるで稲でも刈るかのように、木を切り倒しながら近づいてくる。
「リシアン女王、このままではわたし達まで切り倒されてしまいますわ!」
「大変っ、逃げなくっちゃ」リシアン女王は慌てて木の魔法を解いた。
「今度はわたしが」ゼルジーは杖を振るう。青い光がほとばしり、カマキリの全身を包み込む。すると、それまで猛り狂っていたのがうそのように大人しくなり、のっしのっと森の奥へ帰っていった。
「あなたの水の魔法は、気持ちを鎮める効果もあるのよね。よくやったわ、ゼルジー」リシアン女王は、そう言ってゼルジーをねぎらう。
 森の奧へと進むと、たらいほどもある大きな赤い花が咲いているのを発見した。
「まあ、バラだわ。なんて大きいのかしら」リシアン女王は思わず駆け寄る。
 そこへ、ひらひらと1匹のチョウチョが舞い降りてきた。ふつうのアゲハチョウと同じくらいの大きさだが、さざ波のように絶えず色の移り変わる、それは美しいチョウチョだった。
「陛下、チョウチョですわっ。あれこそ虹色アゲハじゃないでしょうか」ゼルジーが指差す。
「ええ、確かに。図鑑で見たのと同じだわ。いいえ、それより何倍もきれいだわ!」
 虹色アゲハが青バラにとまったその刹那、パッと虫取り網が振り下ろされる。
「へへっ、捕まえた!」いたずら妖精のパルナンだった。
「あんた、なんでこの国に?」ゼルジーが目を見開く。
「間抜けなお前達が、扉を開けっ放しにしていてくれたおかげさ」
「そのチョウチョを放しなさい。いますぐよっ」リシアン女王は言い下した。
「やなこった」予想していた通りの答えが返ってくる。「どうしてもって言うんなら、力づくで取り返してみな」
「まあっ、憎ったらしい」リシアン女王は、素早く呪文を唱えた。木の蔓がするすると降りてきて、たちまちパルナンの両腕を縛り上げる。
「何をしやがる。おい、やめろって」パルナンはもがいたが、その拍子に虫取り網を取り落としてしまった。虹色アゲハはこれを機会とばかりに逃げだし、空の彼方へと飛んでいってしまった。
「力づくでもって、あんたが言ったんでしょ」リシアン女王はあざけるように言う。
「ついでに頭を冷やしてあげる」ゼルジーは、得意の魔法で、パルナンの頭から水をかぶせた。
「よくもやってくれたな」ずぶ濡れになったパルナンは、火の魔法で蔓を焼き払うと、ひゅうっと指笛を鳴らす。「この森の昆虫は、おいらの命令には逆らえないんだ。森に火を付けるぞって、脅してあるからな」
 辺りからざわざわという不気味な音が聞こえてきた。ほどなく数え切れないほどのクワガタムシやカブトムシが飛んできて、リシアン女王とゼルジーを囲む。
「わたし達、虫なんか怖くないのよ」リシアン女王は平然とした顔で言い返した。ゼルジーが素早く呪文を唱える。沈静化の魔法だ。昆虫達はパルナンの命令をすっかり忘れ、ちりぢりになって飛んでいってしまう。
「今日はわたし達の勝ちね」ゼルジーは勝ち誇った顔を向けた。
「どうかな」不敵な笑いを浮かべるパルナン。「この虫ならどうだい」
「どんな虫だろうと、わたし達には通用しないわ」リシアン女王は言い返す。 
 空が急に薄暗くなったかと思うと、オレンジ色をしたイモムシが雨あられと落ちてきたた。
「こいつが『こわ虫』さ。よく見るんだ、恐ろしいだろう?」
 地面の上をはいずり回るイモムシを見て、リシアン女王とゼルジーは真っ青になった。
「ニンジンだわっ!」ゼルジーが叫ぶ。ニンジンに足のはえた、ニンジンイモムシだ。
「わたし、ニンジンが大っ嫌いなのよ!」リシアン女王も顔を引きつらせる。「ゼルジー、魔法で追い払ってちょうだい」
「なあ、ゼルジー。お前、何回呪文を唱えたっけ? カマキリを落ち着かせ、おいらに水を浴びせかけ、そしてたったいま虫達を追い払ったろう。この世界じゃ、魔法は3回までしか使えないってことを忘れてやしないかい」
 パルナンの言う通りだ。リシアン女王とゼルジーは、ほうほうのていで逃げ出していった。〕

「ずるいわ、パルナン。わたしのニンジン嫌いを知っていて、あんな意地悪をするなんて」ゼルジーが文句を言った。
「そうよ、わたしがいつもニンジンを残しているの見てたじゃないの」リシアンも突っかかる。
「敵の弱点を知ることも、戦略のうちなのさ。悔しかったら、君たちもぼくの弱点を見つけることだね。あれば、の話だけれど」パルナンはすまし顔でそう答えるのだった。

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