7.物語の始まり

 次の日も、パルナンは森へやって来た。
「パル、今日は虫採りに行くんじゃなかったの?」ゼルジーが聞く。
「あの桜の木、べったりと樹液が付いていたろ? もしかしたら、面白い昆虫がやって来てるかもしれないと思ってさ」それがパルナンの答えだった。
「そうかも」リシアンが同意する。「沼にはカエルやザリガニもいるし、もしかしたら、大きなトンボが飛んでくるかもしれないわ」
 桜の木を一廻りするパルナンだったが、5分と経たないうちに2人のいるうろの中へと入ってきた。
「何かいた?」とゼルジー。
「ううん、なーんにも」
「だったら、また空想ごっこに入らない? パルナン、昨日はあなたも楽しんでたじゃない」リシアンが誘う。すると、パルナンはこんな提案をしてきた。
「ねえ、どうせなら、続き物の話にしないか? ほら、昨日は1回ごとに別の話だったろ。雲の上の冒険とか、地底探検とかさ。そうじゃなくって、ずっと続く物語にするんだ」
「それ、いいかもっ」ゼルジーはすぐに賛成した。
「そうね、名案だわ。その日の物語、わたし、うちに帰ってからノートに書くわ。あとで読み返したら、きっと楽しいに違いないと思うの」リシアンが引き受ける。
「じゃあ、役を決めておかなくっちゃな。ぼくは、昨日、戦士になったり狩人になったりしたけど、もっと別なものになりたいんだ」パルナンは言った。
「リシーとわたしは、同じままでいいわ。木もれ日国女王リシアン、そして王室付き魔法使いよ」
「パルナンは何になりたいの?」リシアンが尋ねる。
「そうだなあ、勇者なんてありきたりだと思うんだ。確かにかっこいいんだけどね。でも、物語には悪役が必要なんだよ。ぼく、悪賢い妖精ならやってもいいな」
「それってつまり、わたし達の敵になるってこと?」ゼルジーはびっくりした。
「そうさ。この世は善と悪とで帳尻が合っているんだ。ぼくは、君らの宿敵になることにするよ」
 ゼルジーもリシアンも、すっかり呑み込んだというわけにはいかなかったが、パルナンにはすでに実績がある。ここは言う通りにするべきだろう。
「属性はどうする? 昨日決めた通りでいいかしら」リシアンは、例によってメモ帳に、各自の役割を書き記しているところだった。
「うん、それでいいよ。ルールは変えないって約束だったしね」とパルナン。
「わたしが水で、リシーが木よね。そんでもって、パルは火ね」
「覚悟しておけよ。火の魔法は手強いぞ」パルナンが脅しをかける。
「火は水に弱いんですもの、負けるはずがないわ」ゼルジーも対抗心を燃やした。
「わたしの魔法は木だから火には弱いけど、癒やしの力もあるから、やけどを治すことぐらいならできるわね」リシアンはメモ帳をポケットから取り出し、ちょっとしたことがらを書き加える。「それじゃ、さっそく『木もれ日の国』へ行きましょうよ。うろがその入り口だから、わたし達、いったん外に出なくっちゃ」
 3人はうろの外へ出ると、改めて順番に中へ入っていった。

〔丘の上に立つ白亜の宮殿、それがリシアン女王の住む城だった。常春の地にさんさんと降り注ぐ太陽が、城をいっそう美しく輝かせている。
「ゼルジー、『扉の間』へ行くから、お供をしてちょうだい」リシアン女王が言った。
「今日はどの扉を開きましょうか、陛下」魔法使いゼルジーは軽く頭を下げ、女王の言葉をうかがう。
「8番目にしましょう。今朝は、とってもパンが食べたい気分なの。あの国には、おいしいパンがたくさんあるんですもの」
 「扉の間」は、どこまでも無数の扉が続く魔法の廊下だった。扉の向こうには様々な国が広がっていて、女王はたびたび散策に出かけていた。
「かしこまりました、陛下」ゼルジーが一礼する。
 2人は「扉の間」へ行き、入り口から数えてちょうど8番目の扉の前に立った。
「ゼルジー、さ、開けてちょうだい」リシアン女王がうながす。
「はい」ゼルジーは、首から提げた黄金の鍵をその鍵口に差し込んだ。カチャリと音を立て、扉が開く。ぷーんとパンの香りで溢れかえった。リシアン女王を先頭に、パンの国へと足を踏み出す。
「ああ、おいしそうだこと。今日も焼きたてのパンでいっぱいだわ」リシアン女王は鼻をくんくんと鳴らした。すべての家は食パンでできていて、マーマレードやイチゴジャム、バターが塗られている。煙突からはココアの湯気が立ち昇り、小川を搾りたてのミルクが流れていた。
「陛下、あの家の庭の木に、できたてのアップルパイが実っていますわ」ゼルジーは、ピーナッツバターのたっぷり塗られた1軒を指差す。
「そうね、あれをいただこうかしら。家の者にそう伝えてもらえない? ゼルジー」
 ゼルジーはさっそく家の戸を叩き、なかの者を呼んだ。
「もしもし、わたしは『木もれ日の王国』の王室付き魔法使いです。庭のアップルパイを少々、いただけませんか?」いかに女王とて、民の財産を勝手に食べてしまうことは許されない。
 現れたのは、乾パンでできたこの国の住人だ。頭にはチョコレートクリームの髪がふわっと載り、マジパンで描かれた服を着た太った婦人である。
「これはこれは、大女王の魔法使い様。ささ、どうぞお好きなだけ取って、召し上がってくださいまし」大女王と呼ばれるのは、「扉の間」に通じるすべての国が、この「木もれ日の王国」の支配下にあるからだった。
「ありがとうございます。女王陛下もお喜びになりますわ」
 2人は両手にそれぞれアップルパイをもいで、バーンズでできたベンチに腰掛ける。
「これ、本当においしいわ。リンゴはついさっき熟したばっかりなのね。パンもふっかふか」リシアン女王はアップルパイをほおばりながら、満足そうにうなずいた。
「出来たては最高でございますね、陛下」ゼルジーも、夢中になってかじり付く。
 するとどこからか、からからと笑う声が聞こえてきた。
「あんまり食べ過ぎると、ぶっくぶくに太っちまうぞ」そう、2人をからかう。
 いつからいたのか、屋根の上に少年が座っていた。
「あんたはいたずら者の妖精パルナンっ!」ゼルジーは声を荒げる。
「いかにも、おいらはパルナン。扉の鍵が開いていたんで、遊びに来てやったぜ」
 妖精パルナンは、「木もれ日の王国」の厄介者なのだ。いつも悪さをして、女王を困らせていた。
「また何かしでかす気ね」ゼルジーは杖を掲げ、身構える。
「それがおいらの性分だからな」そう言うと、パチンッと指を鳴らした。アップルパイの木に火が灯る。火は枝から枝へと燃え移り、どんどん勢いを増していった。パルナンは火の魔法を自在に操ることができるのだ。
「やめなさい、パルナン!」リシアン女王が叫ぶ。
「火には水よっ」ゼルジーは呪文を唱えて空から雨を降らせた。火はたちまち消え失せ、周囲には焦げた臭いばかりが残る。「ほらね、あんたの魔法なんて、ちっとも怖くないわ。今回はわたし達の勝ちね」
「そいつはどうかな。見てみろ、周りを」パルナンは意地の悪い声で言った。
 アップルパイの木も、ピーナッツバターの家も、すっかり水浸しでふやけてしまっている。あわてて飛び出してきたのだろう、庭先であの親切な乾パンの婦人までもが、溶けかかってぐったりとしているではないか。
「なんてことっ!」ゼルジーは慌てた。自分の水の魔法のせいで、かえって大変なことになってしまった。
「お前、この国を滅ぼすつもりか。パンが水に弱いことぐらい、考えりゃあ、わかることだぜ」
「とにかく、あの人を助けなくちゃ」リシアン女王は、乾パンの婦人のもとへと駆け寄り、そっと手を当てた。ほのかな木の香りが漂い、癒やしの魔法が婦人を包み込む。
「ふう、やれやれ。どうなることかと思いましたよ、大女王様」乾パンの婦人は息を吹き返した。
「ごめんなさいね、奥さん。わたし、ただ火を消そうとしただけなんです」ゼルジーは心から詫びる。
「今日のところは、ここまでにしといてやらあ。また、会おうぜ。じゃあなっ」パルナンは、屋根から屋根へと飛び跳ねて去っていった。あとにはただ、人をイライラさせるような笑い声だけが残る。
「油断のならない相手ね」リシアン女王は、その姿を目で追いながらつぶやくのだった。〕

 3人はうろから出た。
「どうだい、ぼくは手強かったろ?」パルナンが得意そうに言う。
「負けたわ、パル。まさか、あそこまで考えていたなんてね」ゼルジーは悔しそうだったが、その瞳は愉快そうにキラキラしていた。
「でも、わたしが木の属性で本当によかった。さもなければ、あの奥さんを助けることができなかったもん」リシアンも満足気である。「帰ったら、さっそくこのことをノートに書くわ。わたし達、次こそはパルナンに勝たなくっちゃね」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?