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真夜中の事務所

 仕事が溜まりに溜まり、深夜を過ぎた現在もオフィスで残業中。
 人いないブースにただ1人、ポチポチとパソコンのキーボードを叩いていた。空調のブーンとうなる音が、やたらと響いて聞こえる。

 Wordの文章を改行しようとエンター・キーを押したとき、すぐ後ろから物音がした。
 なんだろうと思い、首を伸ばしてパーティション越しに覗いてみると、通路を挟んで着ぐるみの頭が交互に飛び交っている。
「だれ? こんな真夜中にっ」わたしは席を立って、近づいていった。
 その途端、頭の投げ合いが止まる。
 両側のブースには、クマやキリン、ブタ、イヌ、ウマなど、着ぐるみを着た者達がパソコンを真面目に操作していた。

「ねえ、首の投げっこしてたでしょ?」そう尋ねると、
「首だって? そんなの知らないなあ」としらばっくれる。
「着ぐるみなんか着てて、仕事しにくくないの?」
「着ぐるみ? はて、なんのことやら。ぼく達のなかに人はいないよ」と答えるのだった。
 ははーん、某ネズミの国では、「なかの人はいない」ことになっている。きっと、それと同じ理屈をこねているんだな。
 これ以上話し手もらちがあかないと思い、わたしは自分のブースに戻ることにした。

 すると、またワイワイと騒がしくなる。首の投げっこだな。ようし、見てろよ。
 彼らのブースのすぐそばまで忍び寄り、じっと身を潜めた。そのまま待っていると、頭上を着ぐるみの頭がぽーんと飛んでいく。
「それっ、いまだ!」わたしは思いっきりジャンプして、クマの頭をキャッチした。
「何するんだい、君ってやつは」クマの頭が抗議する。びっくりしてそのブースを覗いてみると、頭のないクマの着ぐるみがイスに座っていた。
「本当に首を投げてたんだ!」わたしは慌てて、クマの頭を放り返す。
「だから言ったろ、なかの人なんかいないって」クマの着ぐるみは頭を体にくっつけながら言い放った。

「でも、なんだか面白そう。仲間に入れてくれない?」わたしは頼み込む。
「だけど、君は『中身』じゃないか。そんなことをしたら死んじまうよ」試しに自分の首を力ずくで引っ張ってみた。
 外れる気配がまったくない。当然だ。わたしは生身の人間なんだから。
 あきらめて、また自分のブースへと戻っていった。

 頭投げ遊びに飽きたのか、いつの間にか静かになっている。いままで騒がしかっただけに、かえって気になった。それぞれのブースでは、カタカタとパソコンのキーを打つ音だけが聞こえる。
 わたしはもう1度、ブースを覗きに行った。

 すると、さっきまでいた着ぐるみの代わりに、ゾンビが一生懸命仕事をしている。スーツを着て身なりはちゃんとしているのだが、顔や手の皮膚が腐敗していて、いまにも崩れ落ちそうだ。
「うっ、近寄るとものすごい悪臭!」思わず、口に出してしまう。
 すべてのブースからゾンビがいっせいに顔を出してきた。
「臭くって悪かったな。おれらはゾンビさ。腐ってるんだから、臭いもすらあ。エアコンの温度をもっと下げてもらいたいよ。腐敗がどんどん進んで、まいっちまう」と文句を言われてしまう。
「すいませんでした、ゾンビは腐るのが仕事のうちですもんね。もう、何も言いません」わたしはブースに戻っていった。

 匂いはだんだんひどくなり、あちこちでボトッボトッと何かが床に落ちるような音がする。
 そっと振り返ってみると、もげた腕や足が通路に転がっていた。
 彼らは根が真面目なのか、そんな状態であっても作業を続けている。
 わたしは鼻をつまみながら仕事の続きを始めた。鼻をつまんでいても、口から入る空気が鼻腔を刺激してたまらない。これでは仕事どころではなかった。
 かくなるうえは……。
 わたしはバッグからデオドラントのスプレー缶を取り出すと、ブース中に振りまいた。これで少しはましになるだろう。
 集中してくると、腐敗の臭いどころか、デオドラントの匂いも気にならなくなってきた。それどころか、おいしそうな匂いまで漂ってくる。
 いったい、どういうことなのだろう。

 いぶかしく思い、パーティションの陰から顔を覗かせた。 
 ブースが、いつの間にか屋台となっている。
 タコ焼き、焼きそば、ベビーカステラ、お面やかざぐるままで売っているではないか。
 わたしは書類の山を押しのけると、喜び勇んで屋台へ走った。
 夕食以来、何も食べていなかったなあ、と思い出す。
 お好み焼き屋の前に立つと、
「すいませーん、ブタ玉を1つください」
「へい、まいどっ!」威勢のいい声とともに、焼きたてのお好み焼きをパックに詰めてくれた。
 その後、たこ焼き、焼きそば、カルメ焼き……と大いに梯子したのは言うまでもない。

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