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紙ヒコーキ、はるか宇宙を目指す

 アレルギー性鼻炎に苦しむわたしを見かねて、主治医が宇宙研究所を紹介してくれた。
「宇宙を知ると、この鼻炎が治るんですか?」わたしの頭の中はハテナマークでいっぱいだ。
「いや、そうじゃないんです」主治医は理由を説明する。「最新の天文学によってもたらされた情報によれば、遙か4.3光年の彼方、アルファ・ケンタウルスの3つ隣に、ベータ・カロチンという惑星が見つかったというんですな」
「なんだか、体によさそうな星ですね」
「そこでは、ただで健康になるクスリをもらえるらしい。鼻炎どころか、慢性冷え性も一気に解消できる、そう期待してるんですがね」

 わたしは、大喜びで宇宙研究所へと出掛けていった。
 中目黒の一画、築40年は経っていそうな古いビルの5階に、その研究所はあった。
 ドアをノックすると、中から「どうぞ~」とのんきな声が返ってくる。わたしは部屋へと入った。
「やあ、君かい、ベータ・カロチン星へ行きたいっていうのは?」50過ぎの、いかにも実直そうな男が尋ねる。
「あ、はい。よろしくお願いします」わたしはぺこりと頭を下げた。
「うん、じゃあ、こっちへ来て」そう言うと、別室に案内される。
 さぞや、設備が整っているんだろうなと思いきや、がらんとした6畳くらいの部屋だった。窓は厚いカーテンで覆われ、一部が四角く切り取られている。手前の台には、人が1人やっと乗れるほどの紙飛行機が載せられていた。

「あの飛行機に乗ってね」博士が促す。
「えっと、ロケットじゃないんですか?」とわたし。いくら4.3光年が宇宙規模でご近所だといっても、これじゃ無理だと思う。
「あいにく、地球にそんな高性能なロケットはないんだ。でも、安心したまえ。惑星に行く方法はほかにもある」
「そうなんですか」
「そら、カーテンの隙間から日が差しているだろう?」博士が指差した。白い筋が真っ直ぐ伸びている。その中を無数のホコリが舞っていた。「そのホコリこそが、われわれの銀河なのだ」
 わたしはじいっとホコリを見つめた。これが銀河だって?

「君の乗った紙飛行機は、その窓に空いた穴からダスト・シュートのごとく滑り落ちていく。すると、空気抵抗による圧縮で、どんどん縮んでいくのだ。やがて、ホコリよりも小さくなって、ついには『ホコリの宇宙』へとたどり着く、とまあ、こんな原理なんだ」
 まったく理解できなかったが、それこそ最新科学というものなのだろう。
「向こうに着いたら、どうすればいいんですか?」紙飛行機にまたがりながら聞く。
「座標が正しければ、薬局の前に降りるはずだ。そこで、この処方箋を見せなさい」
「わかりました」わたしは処方箋を受け取った。

「じゃあ、押すよっ」後ろから博士が声を掛ける。
「あ、はい!」わたしは紙飛行機に、しっかりとしがみついた。
 ドンッと背中を押され、紙飛行機ごと、窓の外に突き出したシューターに落ちていく。真っ暗なトンネルの中、息もできないほどのスピードだ。
 博士の言った通り、どうやらわたしと紙飛行機は縮んでいるらしかった。そうでなければ、たかだか5階の高さである。とっくの昔に地面に激突しているはずだ。

 やがて、ちらちらと光の粒が見え始めてきた。呼吸が楽になったことから、すでに「ホコリの宇宙」へと入ったと思われる。
 光は次第に明るくなり、銀河や恒星を形作っていく。
「ここは『ホコリの宇宙』でもあり、自分の住む銀河でもあるんだ……」こうして体験してみると、博士の言葉がよくわかった。
 眼前に緑黄色の惑星が見えてくる。ベータ・カロチン星に違いない。

 大気圏に突入する際も、所詮は紙飛行機、大した抵抗はなく滑らかに降りていった。
 ふわりと着地したのは、「カボチャ薬局」と書かれた店の前だ。
「ここでいいんだよね」自分にそう話しかけながら、処方箋を握って入店する。
「いらっしゃいませ」頭にカボチャを載っけた店員があいさつをした。この星の住人は、どうやらカボチャ人間らしい。
 わたしは処方箋を渡した。
「あの、地球から来た者ですが」
「ああ、ただで健康な体を手に入れるためにいらしたんですね」面と向かって言われると、自分が厚かましい人間に思えてくる。

 店員は、棚から健康ドリンクっぽいビンを下ろし、わたしに差し出した。
「こちらがその薬です。いま、ここでお飲みになりますか?」
「はい、そうします」わたしは答えた。キャップを開け、グビッと飲み干す。
 オロナインの風味に、メンソレータムのさわやかな香りが口いっぱいに広がった。
「どうですか。持病の天然ぼけは治まりましたか?」店員はにこにこしながら聞いてくる。
「それはどうにもなりませんが、鼻炎のほうは治ったようです。冷え性もよくなったんじゃないかと」
「それはよかったですね」
「ありがとうございました」わたしは礼を言った。

 さて、帰りはどうするんだろう。聞いておくのを忘れていた。
 わたしが困っていると、カボチャ頭の店員が外に出てきて、
「帰還の手伝いをするよう、あちらから連絡を受けていますから」
 一緒に紙飛行機を担ぎながら、薬局の5階を目指して、階段を上っていく。
「もしかして、また5階の窓から滑り降りるんですか?」とわたし。
「ええ、この星にだって、そんな夢のようなロケットなどありませんからね」店員は当然のように答えるのだった。

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