18.大きなブルドッグ

 このところ、とんと魔法昆虫の情報がなかった。それこそ、噂話すら聞かない。何か手がかりはないかと、タンポポ団は博物館へと行ってみることにした。
 中に入ると、来館客の中心で展示物の説明をしている館長を見つける。
「あれはステゴサウルス、そしてこっちがトリケラトプス。ステゴサウルスは1億5千万年前のジュラ紀に生息した恐竜で、互い違いに並んだ骨版が、まるで背びれのようにあるのが特徴なんですな。いっぽうのトリケラトプスですが、こちらはそのずっと後、6千6百万年前、白亜紀まで生息していました。3本角がこの恐竜のユニークなところでして、名前の由来にもなっとるわけです」館長は、興味津々の客に向かって熱弁を振るっていた。
 中央には、タンポポ団が発見した、あの虹色サウルスが堂々たる姿で鎮座ましましている。
 自慢の新発見について、いよいよ長広舌を振るおうと振り返った館長は、美奈子達に気づいた。
「ごぶさたしてます、館長」美奈子が会釈をする。
「やあやあ、いらっしゃい。実は最後の魔法昆虫について、少しわかったことがあるんだ。ちょっと館長室に来ないかね?」
 客達に短くいとまを告げると、タンポポ団を引き連れて奧へ向かった。

 机の上には、何やら書き散らかしたメモが無造作に散らばっている。どうやら、魔法昆虫のことについて調べていたらしい。
「わかったのは、あの昆虫の名前と、魔法使いがしでかした唯一の失敗についてだ」
「失敗作なんですか?」と美奈子は聞いた。
「あまりにも恐ろしすぎるとか、自らでさえどうにもならないとか、おそらくそんなところでしょうね」元之が口を挟む。
「そりゃ、そうとうやばいな」浩は顔を曇らせた。
「そこのところはなんとも言えんが、名前をシャリオン・レリアリウム・クレイアンティス・パナハヒュウム・マニールキラ・スタムミア・トゥーレリア・フォルディラクスという」館長でさえ、つっかえつっかえ口にする。
「ひゃー、なんて長ったらしい名前なんだろう!」和久が目を丸くした。

「で、そのシャリなんとかっていうのは、どんな意味なんですか」美奈子が聞いた。
「それをいま、調べているところなんだ。どうやら光に関するものらしい。魔法使いは、どうやらそいつを失敗作として封印していたようなのだ。少なくとも、過去の災害では表に出すことはなかった」
「光線を吐いたり、光の速さで移動したりするんだぜ、きっと」と浩。
「どんな恐ろしい昆虫なんだろう。あたしの編みとカゴで、ちゃんと捕まえられるかしら。もし、手に負えなかったどうしよう……」早くも不安になる美奈子。
「さらに詳しいことは、もっと調べなくていとな。もし新しいことがわかったら、美奈ちゃん、すぐさま君に連絡するとしよう」
 博物館を出た5人は、今後出会うであろう最強の魔法昆虫について話し合う。
「シャリオン……なんつったっけかな。とにかく、やたら長ったらしい名前のやつだったな」浩は思い出す気力もないようだった。
「しかも、造った当人ですら怯え封印するほどの失敗作だって」と美奈子も溜め息をつく。
「美奈ちゃんの言うように、魔法の網で捕まえられなかった。そう思うだけで、ぼく、もうパニックになりそうだよ」和久が死にそうな声で言った。
「どうなんでしょう。冬ゼミだってさんざん手こずりましたからね。今度のは、それよりももっと、手強いとのことですよ。いまのところ、ラブタームーラの町内でニュースは聞きません。まだ、出現していないと考えるべきでしょう。ですが、なんとか対策を考えなくてはなりませんねえ」元之は深刻な顔で腕を組む。

 暗くなってしまった仲間を励まそうと、浩は提案した。
「よっしゃ、これから冒険だ! さあ、今日はどこへ行く?」
「そうねえ……『開かずの踏切』は、1時間半に1回は開くことを発見したし、図書館に出るっていう幽霊は、やっぱりただの噂話だったよね」美奈子はあれこれと思い出しながら言う。
「ね、あのさ。3丁目の外れに大きなブルドッグがいるって聞いたんだけど」と和久。
「ブルドッグですか。大きいというからには、ニューファンドランドくらいはあるのでしょうね」
「それって、どれくらい大きいの?」美奈子が尋ねた。
「そうですねえ」そう言って緑を振り返る。「普通に立っているだけで、ここにいる緑君くらいの背丈はありますよ」
「うおーっ、そりゃでけえな」
「実際、どれくらい大きいか、見に行ってみる?」和久が促す。
「行ってみましょうよ。ブルドッグって怖い顔をしてるけど、案外小さいものじゃない? そんな大きなブルドッグがいるなんて、ちょっと興味をそそるなあ」

 3丁目には資材置き場があった。土管やブロックが積んである。
 すぐ脇には、コンクリート製の大きな囲いがあった。その中にブルドッグがいるのだという。
「ずいぶん高い塀だな。どうやって登る?」浩は考え込んだ。
「ほら、端のほう、砂利が山になってる。あれに登っていけば、中が見えるんじゃない?」美奈の提案に、緑がさっそく飛び付いた。
「ぼく、ちょっと見てくる」緑でも、砂利のてっぺんまで行けば、背伸びして中がのぞけそうだ。
「吠えられて、びっくりしないようにね」美奈子は注意を忘れなかった。
 緑は両手を使って砂利山のてっぺんまで登ると、塀に手をかけて顔を突き出す。
「ほんと、大きなイヌだなぁ。あんな大きいの、ぼくの国でも見たことがないよ」
 イヌは吠えなかった。かすかにジャラっと音がしたのは、結んである鎖だろう。

「よし、次は和久、お前が行け。言い出しっぺなんだしな」浩が命令した。
 和久は、不器用な格好で砂利山を登り始める。緑のほうが、まだずっと上手く登っていたくらいだった。
 てっぺんに着くと、恐る恐る塀の中を覗き込む。そして、そのまま固まってしまった。
「あ……目が合っちゃった」震え声で言うなり、転げるように砂山から下りてくる。
「どうだった? 大きかったか?」浩が聞くと、
「でかいなんてもんじゃないよ。まるで怪物だったよ!」と答えるのだった。

 和久の要領の得ない答えに、今度は美奈子、浩、元之の3人で見に行ってみることにした。
 砂利山はゴロゴロとした石ばかりで、思いのほか登りにくい。それぞれ、別の方向から登っていき、なんとかてっぺんまでたどり着いた。
「さて、どんなブルドッグちゃんかな」ふざけた口調の浩。和久の話など、どうせ大げさに違いないと思っていたのだ。
 みんな揃って、塀の中を覗き込むと……。
 ニューファンドランドどころか、ゾウのように大きなブルドッグが寝そべっていた。つないでいる鎖など、まるで船に使う碇のよう。
「なんてこった、まったく……」さすがの浩も、口を閉じることさえ忘れてしまうほどだった。
「果たして、これはイヌなのでしょうか。和久君の言う通り、まさに怪物ですねえ」
「緑ったら、少しも驚かないから、てっきりハスキー犬くらいなのかと思った。でも、それどころじゃない。これって、ラブタームーラの7不思議に匹敵するわ!」

 突然、ブルドッグが起き上がる。そして、塀から自分を覗く3人を見つけた。
 ワンッ! 一声、吠える。
 ブルドッグとしては信頼の意味を込めたつもりなのだろうが、まるで大砲のような轟音が街中に響いた。
 すっくと立ち上がり、仰天した3人の前に顔を近づける。実際のところ、塀よりも50センチは高かった。
 美奈子など、もう少しでブルドッグと鼻を突き合わせそうになり、心臓が飛び出していないか、自分の胸を押さえて確かめたほどである。
 3人は砂利山を駆け下り、さらにそのまま100メートルも走った。
「ああ、びっくりした」まず、美奈子がかすれた声を出す。
「ぶったまげたなあ。食われるかと思ったぜ」浩も地面にへたり込んだ。
「ラブタームーラには奇妙なことが山ほどありますね。ドラゴンと闘う勇者の気持ちが、なんとなくではありますが、わたしにもわかりましたよ」

 振り返ると、ずっと後のほうではブルドッグがまだ塀から首を出していた。こちらをじっと見つめている。
 本人は甘えているつもりなのだろうが、タンポポ団からしてみれば、「さあ、登ってこい。今度こそは、頭からボリボリと貪り食ってやるぞ!」そう言っているように思えた。
 ブルドッグがまた吠える。さっきよりも、もっと大きな声で。
 浩は弾かれたように立ち上がると、一目散に逃げ出す。それを見て、残った者も慌てて後を追った。
 しんがりを務める美奈子は、緑の手をギュッと握り続ける。その緑は、空いているほうの手でブルドッグに向かって手を振っているのだった。

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