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小説「死ぬ準備」読み切り版

霧社・首狩り族・「人止めの関」

私が生きている場所は六畳一間である。狭いから大概のことは坐ったままできる。まるで潜水艦だ。なかなか便利だ。悔し紛れにいうのじゃなく老いて豪邸に住むのはアホである。固定資産税は高いし電気代も高くつく。その分大気は汚染される。いいことはない。

六畳一間は快適だ。歩けば二歩で壁に当たる。天井を突き抜けば先は空で無限の宇宙に繋がる。下は板張りの、今風にいえばフローリングだ。めくって掘れば地球の中心に辿りつく。でも老人の力では三十センチも掘れない。

生まれたのは台湾・霧社である。霧社はいまは南投県仁愛。今の人には馴染みないがおよそ九十年前に霧社事件は起きた。台湾先住民族タイヤル族(別称高砂族)が反乱を起こしたのだ。
父はそんな台湾奥地の日本人警察官だった。

好んで台湾の警察官になったのではない。不景気で職がなかった。もともと父は陸軍の歩兵だった。二十歳までは東京世田谷で和服問屋の丁稚だった。二十歳になって徴兵検査を受けた。甲種合格だった。一定の訓練後台湾軍に編入された。昭和不況時に起きた霧社事件平定に動員された。

霧社事件平定後現地満期除隊になった。でも、その後も反乱は起き、現地の要請もあって霧社の警察官になった。内地に帰っても(当時日本本土のことをそういった)職などない。ならばと警察官になろう。四男だから田舎に帰っても農業は継げない。むしろ台湾なら親孝行できる。

給料から農地買い増しの金を贈ろう。長男が分家して次男三男も分家した。その際少ない土地を分割した。所有地はさらに小さくなった。

反乱が頻発する霧社勤務の警察官には、特任手当、危険手当、遠隔地手当など様々な高額手当てがついた。おまけに駐在所という官舎住まいである。住宅費も要らない。金の使い道がないから霧社分室にある購買所で高価な品物を買う。たとえな高級家具や手回し式蓄音機などだ。しかし結局は田舎の父親へ、分家で減った農地の買い増し金を送るようになる。

当時で言えば「校長並みの」俸給取りだったから。その買い増した土地も、戦後親父に死後、次兄の叔父一家に騙し取られることになる。

真面目な人間はいつも騙される側にいる。そのことに気づいたのは六十歳を超えたあたりである。長い間人を疑わなかった。疑うなんて恥だと教えられた。しかし人は騙しの中に生きている。そんなことを気づかせてくれたのもタダオ・ノーカンである。

タダオ・ノーカンに会いたいねえ。老いた母が突然そういった。えっつ?タダオ・ノーカン?忘れていた風景が蘇った。ああ、そうだ。六尺近い大男である。いつも蕃刀を手挟んでいる、侍のような男だ。泣き虫の教育係だった。山野を彼の肩に乗って走った。彼の言葉は簡単だ。嘘つくな。嘘つくと首なくなる。彼は警丁(補助警察官)でもあった。

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満85歳。台湾生まれ台湾育ち。さいごの軍国少年世代。戦後引き揚げの日本国籍者です。耐え難きを耐え、忍び難きを忍び頑張った。その日本も世界の底辺になりつつある。まだ墜ちるだろう。再再興のヒントは?老人の知恵と警告と提言を・・・どぞ。