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『El Angel』自由の話

アップリンク渋谷で、『El Angel:永遠に僕のもの』を観た。
この邦題はあまりに説明的だなあと思うけれど、ポスターには原題もレイアウトされていて、スタッフの愛を感じる。
話の流れは思っていたよりも淡々としていて、それが良い。主人公カルリートスには殺意や葛藤がなく、彼にとって殺人は特別な手段ではないことがわかる。殺人鬼という形容は正しくないだろう。

カルリートスは「生まれながらの盗人」で、あらゆる家屋にするりと侵入しては、目ぼしいものを持ち帰る。
盗んだものは人にあげる。カルリートスが恋をしたラモンにも、上等なライターをプレゼントしたところから関係が始まった。

この世の中において、法のもとに生きる人たちが「表」の人間であるなら、カルリートスとラモン、ラモン一家は完全なる「裏」の人間だった。

カルリートスとラモンは一緒に多くの盗みを働くが、1番印象に残っているのは、やはり宝石店でのやり取りだ。
警備の甘い宝石店に侵入したカルリートスは、何気なく手にしたイヤリングを身につける。髪の毛を耳にかけ鏡を見つめていると、ラモンがやってくる。

「マリリン・モンローみたいだ」

ラモンはそう言ってカルリートスを見つめた。

このやり取りは、鏡越しに鑑賞者に与えられる。
やはり映画における鏡というものは、真実よりも虚像の意味合いが強い。示唆された2人の結末に胸が痛んだ。

ラモンに愛があったのかはわからない。でも、この瞬間の2人は確実に愛に満ちていた。
こんなのはよくあることだと思う。
恋人同士でない2人でも、寄り添っていたら愛が生まれることだってある。そう考えると、明確に恋人宣言をすることに何の意味があるんだろうか。

そう思っていたら、ラモンがテレビ出演した際に「恋人はいません」と言い放った。テレビを見つめていたカルリートスは落胆するどころかほくそ笑んだ。彼にとって、所有者のいないものを手に入れるのなんて造作ないことだった。

この映画の1番の魅力は、カルリートスの自由さだ。
彼は、性別や法律、刑務所の塀まで軽々と飛び越える。「裏」と「表」も、易々と行き来する。
彼の美しい顔や柔らかな肉体だけでなく、その軽やかさはまさに天使。翼が生えていた。
しかしキューピッドのような可愛らしい存在ではない。美しくも残酷な大天使という方が相応しい。人間の力は到底及ばない。

もちろん、彼らの盗みや殺しといったあらゆる犯罪は、わたしたち「表」の人間には受け入れがたい。
それはわたしたちが、法や常識に縛られているからだ。
本当に?
わたしたちは、縛られているのか。
なにかに縛られてなにかを強制されたことなんて一瞬たりとも無いんじゃないか。

法を守ることやもっと些細な規律を守ること、親の言うことを聞くとか、課題の期日を守るとか、そういったこと全部、強制されたことなんて無い。
全ては「そうするべきだ」という自分の判断によって、自分の意思で選んできたことだ。
わたしたちはみんな自由だ。でもカルリートスのような翼を持たない人間もいる。わたしには無い。
無いものは作れと言うけれど、偽物の翼で飛んだって、イカロスの二の舞だ。堕ちるのは怖い。

でも、人から与えられた制約に自ら縛られて、不自由だと嘯くなんて、犯罪者よりも愚かなんじゃないか。

結局「表」の人間は、カルリートスの自由な生き様に憧れるしかできない。
規律正しく、人道的で倫理的な道を生きていくのだ。

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