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ごめんなさい、辛いです。

仕事を辞めたら、楽になると思っていた。

ところが、状況は悪くなる一方だ。

何にも興味が持てない。

朝起きて、ご飯を食べて、

今までは、それから嫌々でも仕事に出かけていたけど

今は、ご飯を食べた後に何をすればいいのか分からない。

仕事を辞めてせっかく自由な時間ができたんだから、自分が楽しいと思うことをやればいいじゃないかと思うけど

何も楽しくない、何もやりたいと思わない。

自分がどうしたいのかが分からなさ過ぎて、自己理解を深める無料カウンセリングを受けた。カウンセリングといっても精神的なものではなく、コーチングのようなものだ。

きっと、期待していたのだろう。
「カウンセリングを受けたら、少しでも何か変わるかもしれない」
そう思っていたのだろう。

コーチの方は、優しいし丁寧だった。

でも、結局のところ答えは出なかった。
もらったアドバイスといえば「まずは、あなたが何を望んでいるのか、その理想を具体的にする必要があります」ということだった。
それが全てだろう。至極正論だ。

当然のことだ。
自分がどうしたいか、どんな状態だとハッピーなのか、それが分かっていなければ話は先に進まない。
一体、自分以外の他に誰がその答えを持っていると思ったのだろうか。

コーチングを受ける前と受けた後でなにが変わったのだろう。
絶望感が増しただけだった。

結局、何か外発的なきっかけで自分のモチベーションが奇跡的に復活するという甘い期待を寄せていただけだった。

現実はといえば、そのカウンセリングを受けたあとにお昼ご飯を食べて、やることが無くなってどうすればいいか分からず、ずっと寝ていた。
もうスマホを触る気にもならなかった。そもそも調べたいことなど無い。
昼間なのにカーテンを閉め切って、電気も消して、ただただ寝ふけっていた。

ただの廃人と化した自分は、このまま化石になるのだろうか。

「そんなのは嫌だ」
そうは思うけど、だからと言ってモチベーションが上がるわけではない。
自分が行動しないと、何にも起きない。本当に、文字通り”何も”だ。

自分は世界で一番めんどくさがりなんじゃないかとすら思えてくる。
世界一めんどくさがりで、何にも無関心で、全ての能力が中途半端だ。

自分以外のどんな人間も、自分より秀でているように見える。

愚痴ばかり書いているが、正直なところ今日はかなり辛い。
助けて欲しい、けど何をしてもらえば自分にとっての救済になるのかも、分からない。


ふと、自分の父親の最期を思い出す。
彼は、第二の人生が始まろうとしていた年齢でこの世を去った。

アルコール中毒で自分勝手だった父親は、自分も含め家族から疎まれていた。
友人も多いようには見えなかった。
音楽コンサートに行くことだけは趣味だったらしいが、それ以外の持てあました時間をどう潰していいか分からないようだった。

だから、ご飯を食べるだのお風呂に入るだの、生活に必要なルーティン以外の時間、彼はただただ座って過ごしていた。
何もせず、壁を見つめていたことが多かった。

自分は、そんな父親のことを可哀そうな人だと思っていた。
晩年、友人がおらず趣味も無く、ただ時間が過ぎるのを待っているような毎日を過ごしていたからだ。

だから彼がこの世を去った時、もしかしたらようやく楽になれたのかもしれないなとすら思えた。自分の父親に対してそんなことを思うのは親不孝だと思われるかもしれないが、それが率直な気持ちだった。


そして今、自分はそんな父親と全く同じ状況にいる。
食べる、寝る、風呂に入る。
それ以外の時間が退屈でたまらない。興味もない動画を見もしないのに永遠と流し続けたりしている。

そして、友人も少ない。
いや、いるだけでも本当に有難いのだが、何か月に1度会うか会わないかという感じで、基本的には何をするにも自分一人だ。

友達と遊ぶとか、職場仲間とご飯に行くとか、連絡を取り合うとか。
周りの人を見ていると、そんなことをいとも簡単にやってのけているように見える。

なぜ、自分にはそれができないのだろうと不思議に思うことがある。

自分は、人に対して優しく接することができる(と思っている)。
自分から話しかけたりもするし、相手の話を積極的に聞くようにしている。

それが理由で、誰かとご飯に行くことだってある。

でもだからといって、休みの日に一緒に出掛けたりするほど仲良くなることはないし、仕事を辞めたらそれっきりになってしまう。

そんなことが続くと、「友達になりたい」と思わせるほどの魅力が自分に無いからか…と卑屈になって終わる。

よくよく考えたら、「相手を喜ばせること」を意識しすぎて自分らしさが出せていないのかもしれないなとは思う。相手を喜ばせないと自分には価値がないように思えて、自分の話はあまりしない(そもそも話せるようなことも無い)。

自分からなかなか誘わないのも、「相手を喜ばせないと」という気持ちがあるから億劫に感じているのかもしれない。

だから、結局のところあるべくして一人になっているのだ。

一人の時間は別に苦ではないが、"独り"になりたいわけではない。
性格診断などで「一人の時間が必要なタイプ」と必ず出てくるが、あまりにも誰とも関わっていないと、こうして鬱になってしまう。

だから、傷付いてでも人との関りを持つようにしないといけないのだろう。


うだうだと書いてしまった。
さて、今から何をしよう。ご飯を食べて、その後は?
分からない。

毎日の生活で何かしらの楽しみを持っている人が、本当にうらやましい限りだ。




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