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自己開示苦手マンからの卒業

こんにちは。麦穂です。

最近、やりたいことがいっぱいあります。

ランニングとかもしたいし、心理学検定もとりたいし、楽器とか演奏できるようになるのもいいな。読書もしたい。

口だけにならぬよう、しっかり動いていかんとなぁと思います。

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さて、本日は「自己開示をしていく大切さ」についてのお話です。


「なんで早く言ってくれんかったの!」製造機の私


私は、自分のことを人に話すのがあんまり得意じゃありません。
友人からは、たまに「何考えてるかわからんことあるよね」と言われます(笑)

ストレングスファインダーでの私の資質も、1位は「内省」でして。
人に話すことなく、自分の中で考えて、結論を出して、それで満足しちゃうんですよね。

▼ちなみにストレングスファインダーは自己分析のツールとしてめっちゃ良いです、勝手にAmazonのリンク置いときますね


そのせいで、私は今まで「なんで早く言ってくれんかったの!」製造機でした。


インターンシップのグループワークで、スライド作成がまぁまぁ得意であることを言い出せず、結局最後まで見守っちゃったり。

バイト先でInstagramを運用するという話になったとき、過去にInstagramの運用経験があることを言い出せず、なんとなくふわっとお手伝いするだけになっちゃったり。

就活中は、自分が春から就活に励んでいるということを大学の友人に言い出せず、ただ謎にめちゃくちゃZoomで忙しいだけの人になってたり。


事実がバレたときは、「なんでもっと早く言ってくれんかったの!!」といつも怒られました(笑)

でもまぁ、今になって考えると、怒られるのも当たり前です。
もし自分がこれらの情報を隠された側だったら、「もっと早く言ってくれればもっとスムーズに進んだのに!」「もっと早く言ってくれれば情報交換したのに!!」ってプンスカしちゃうと思います。


今思うとほんとによくないことしてたなぁ私…


自己開示するのが怖い理由


なんでこんなに自己開示が苦手なのか、ちょっと考えてみます。

私が苦手な自己開示パターンは大きく2つありまして、
1つ目は、「CAN(できること)」の開示、
2つ目は、「DOING(やっていること)」「WANT(やりたいこと)」の開示です。

「DOING」と「WANT」は若干意味が違いますが、最終的に言いたいことは同じなのでまとめちゃいます。


CANを口に出すのが怖い理由


まず、1つ目の「CAN」を口に出すのが怖い理由について。

これは単純に、「自信がないから」だと思います。

このレベル感で「できる」なんて言っちゃって良いのか…?
私なんかよりもっとできる人いるんじゃないか…?
「できる」って言っておいて、期待以下の成果しか出せなかったら…?

みたいな。

まとめると、

① 自分の「できる」を自分で信じられていない
② 「できる」と言ったとして、その期待に応えられないのが怖い

といった感じでしょうか。

完璧主義と責任感の強さが、良くない方向に行っております。笑


DOING/WANTを口に出すのが怖い理由


続いて、2つ目の「DOING/WANT」について。
こちらはCANより少し分析が難しいです。

とはいえ結局、人からどう見られるかをめっちゃ気にしてるんだろうなと思います。

こんなことやってるって言って、意識高い系だ、自慢だって思われないかな…とか、
こんなことやりたいって言って、そんなんできるわけないだろって思われないかな…とか。

でもこれ書きながら改めて思ったんですけど、
そんな言い方してくる人、人生の中でほとんどいなかったなって。
これら全部、私が脳内でつくりあげた悪質な何者かが呟いてるだけなんですよね。

心理学の世界でも(初めて心理学部っぽいことを言ってみる)、社会不安障害の認知モデルの要素として、「観察者視点の自己注目」というものがあります。
「観察者視点の自己注目」とは、イメージ上の他者の視点から自分自身を観察することです。特徴は、必ずしも実際の人物の視点とは限らないということ。
つまり、「あいつはダメだ」と思われてしまうかも…と思って行動できなくなるのは、決して実際の他者の言葉が根拠になっているわけではなく、自分で勝手に他者からの低い評価を想定してしまっているわけですね。

これを知っておくだけで、「あ、今自分で自分のこと勝手にいじめちゃってるな」って思い直せることがあります。

知識って大事ですね~


自己開示によって起こるめっちゃいいこと


こんな「なんで早く言ってくれんかったの!」製造機だった私ですが、最近はちゃんと自己開示するように意識しています。

こればっかりは、訓練だなぁと思いますね。
ちゃんと自分のことを話していく訓練。
最初は小さなことからでも、心許せる人に対してからでも、「自分のことを話す」感覚を少しずつ掴んでいくのが大切だなぁ、と。

そしてそれを意識するようになってから少し経ち、だんだんと自己開示に慣れてきた(?)ところで、「自己開示するとめっちゃいいこと起こるやん」ということにも気づいてきました。

ここからは、その「自己開示によって起こるめっちゃいいこと」を挙げてみたいと思います。
これによって、記事を読んでくれているあなたや未来の私が、「ちょっと話してみるかぁ」と思ってくれることを祈って…笑


CANの開示によって、救われる誰かがいる

「できること」をしっかりと伝えて行動に移すことで、救われる誰かが必ずいます。

例えば私だったら、少しだけど動画編集の経験があることをバイト先の友人に言ってみたら、簡単な動画編集のお仕事が舞い込んできました。
あと、先述したとおりSNS運用の経験があることも試しに伝えてみたら、本来の担当チームとは違うものの、特別にSNS運用のチームにまぜてもらえることになりました。

正直、動画編集もSNS運用も、別にそこまでクオリティ高くできるわけではありません。
それでも、「できるって言っておいてその程度かい」とは、ただの一度も言われたことがありません。

ここから得られる教訓は、「自分の『できる』のレベルを、自分自身だけで判断するな」ということです。
自分にとってはそんなに…と思うことでも、他の人から見てみたら全然すごいことかもしれないし、その能力を試しに発揮してみることで、力になれる誰かがいるかもしれない。
だからこそ、自分ひとりで勝手に自分の「できる」を低く見積もってしまうのは、大変もったいないわけです。誰のためにもならん。

だからこそ、「できる」を伝えた上で、どう解釈するかは相手に委ねる
そんな勇気を持つことが大切で、その方がよっぽど誠実だなと私は思います。

それでもどうしても「できる」が言いづらい…!という人は、「何をどこまでできるのか」を詳細に伝えることを意識しましょう。
例えば「動画編集できます!」と言ってしまうと、YouTuberみたいな編集ができると勘違いされるかもしれません。これはちょっと私としては困ります。
だから、「カットとテロップ入れ、ちょっとしたBGM挿入くらいならできます」と伝えてあげることで、「できる」の期待値が大幅にずれるのを避けることができます。
期待値を上げるのが怖い…という人は、ぜひ意識してみてくださいね。

そして、「誰かのためになれる」を言い換えると、「活躍の機会が手に入る」とも言うことができます。
自分なりのチームへの貢献の仕方を見つけて自己肯定感が高まったり、実際に他者からの評価が高まったり、さらなる自分の成長のきっかけになったり。

自分視点で考えてもいいことがたくさんです。


DOING/WANTの開示によって、もっともっと成長できる

今自分がやっていること、やりたいと思っていることを口に出していくことで、さらなる成長のきっかけが手に入ることがあります。
これはけっこうガチです。

例えば私の場合、就活を終えてからずっとふんわりと「何かを学びたい」と思っていました。
でも何をどうやって学んだらいいのか見当がつかず、足踏みするだけの日々を過ごしていました。
それで、ちょっと誰かにアドバイスを乞おうと思い、「社会人になるまでに何か学んでおきたいんよね~」という旨の話を、試しに友人にしてみました。
すると、その友人も同じことを思っており、しかもしっかりと行動に移しているようで、おすすめのインプット内容とインプット方法を教えてもらうことができました。それは今、私にとってめちゃくちゃ有意義な学びになっています。

他にも、「noteやってみたいんですよね」と言ったら背中を押してくれる人がいたり、「今就活支援について勉強してるんですよね」と言ったら「この人と話してみなよ!」と紹介してくれる人がいたりと、口に出すことで色んなきっかけがどんどん繋がっていきました

結局、人間が一人でできる成長には限度があります。
本当に成長したい気持ちがあるのなら、うまく周りを頼っていくべきです。

「想像もつかなかったところからチャンスが舞い込んでくる」とか、「運が良かった」とかよく言いますが、そういう人はちゃんと自分からチャンスを引き寄せてるんだろうなと最近感じます。
(もちろん、そういうきっかけを生み出してくれる人が周りにいるのはめちゃくちゃ恵まれていることですし、そういう環境に対する感謝の気持ちは変わらず持ち続けないといけないなとも思います)


とはいえ私は、DOING/WANTの開示に抵抗があるのであれば、むやみやたらに大声で「こんなことやってます!!」って開示する必要はないのかなと思っていて。
何を言いたいかというと、誰に開示するかを選ぶのも時には必要だということです。
もちろん価値観は人それぞれですから、期待通りの理解を示してくれない人がいて、ちょっと凹んじゃうこともあるかもしれません。
それを極力避けるためには、「この人は多分理解してくれるだろうな…」という人から、徐々に自己開示の輪を広げていけばいいんです。

もちろん自己開示は大切なことですし、開示することによって生きやすくなることもたくさんありますが、だからといって必要以上に傷つく必要はありません。
無理せず、焦らず、のんびりといきましょう。


最後に


以上、今回は「自己開示することの大切さ」についてお話ししてきました。

個人的には、書きながら改めて「口に出すってめっちゃ大事やん」って再確認しましたね。

でもやっぱり、未完成のことを口に出すって怖いんですよ。
口に出すということは、必然的に相手からのフィードバックを受けることになるいうことですし、何らかの変化が生み出されるということです。
良い方向に転じるかもしれないし、もしかしたら期待外れの方向に転じてしまうかもしれない。
口に出さない方が良かった~なんてことになる可能性だってゼロではありません。

それでも私は、こんな怖さも受け容れた上で、自己開示していく方を選びたいです。

だって、言ってみないと結局どうなるかわかりませんから。
今の私が「自分から人との繋がりを断つ」のは、少し早すぎるなと思います。
そして私の経験上、思ったより良い方向に転じることの方がずっと多いです。

「とりあえずありのままをさらけ出してみて、それをどう評価するかは相手次第だ」と、相手からの評価をコントロールしようとせず、良い意味で割り切る勇気を持つこと。

これさえ意識していれば、きっとこの先もぶれることはないだろうなと思います。

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本日はここまで!

お読みいただき、ありがとうございました。

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