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生と死と創作に懸命に向き合う「モディリアーニにお願い」

去年から書こう書こうと思ってなかなか書けなかった漫画の感想を書きたいと思います。それは「モディリアーニにお願い」という漫画で、美大に通う3人の男子学生とその周りの人々の話です。美術の話が満載で、3人の学生生活の話が描かれているんですけど、その成長を見守るような気持ちで読んでいます。現在4巻まで発売されていて、最終巻が今月、1月29日に発売されます。私はまだこの4巻までしか読んでいないところでこれを書いています。

美術学校と美術の話

もともと美術学校には憧れがあって、割と好んで読むんですけど、(「ハチミツとクローバー」や「かくかくしかじか」なども大好きです)この漫画も教室にお邪魔したような、実録に近い話なのかな?と思うような濃密さ?があります。

この美術大学は東北のちょっと山の上にある、バカでも入れると言われる学校です。宮城県なのかな…?ちょっとそこは定かではないんですけど。主人公は壁画(硝子やタイルを砕いて作る)専攻の千葉、日本画の本吉(もっくん)、千葉と幼なじみの油絵専攻の藤本の3人です。もっくんはもう賞とか取ってしまっていて皆に認められているんですが、1年休学してるので1つ年上です。

壁画の作り方や、日本画の描き方、漆(うるし)の扱い方、展示会やコンクール、ギャラリー、アルバイト、教育実習…色んな話が出てきます。楽しそう!そして、同時に才能や人に認められる事や将来の事でたくさんたくさん悩むんですね…

この漫画の正しい読み方っていうのがあるとしたら、おそらくこの「美術について」と「才能について」を読むことだと思うんです。そして、それはとっても胸に迫るんですよね。例えば、ここからちょっとネタバレしてしまいますが…もっくんが納得いかない絵を描いてくる後輩に意見を求められて怒るシーンなんですけど…

たとえば、言葉にできないくらいに、きれいで、見たことのないような宝物や、世界にあふれているきれいなもの、雨上がりの虹、冬の星、グラデーションの空、明け方の空気、アスファルトのガソリン、人の体温、夏の午後、遠い海、君からもらったあの一言、それを、この星のどこかに、どこかにいる、いた、あなたに、もしくは、これから世界を見に来る、まだ、どこにもいない、100年後、1000年後のあなたに、音楽じゃなく、言葉でもなく、気持ちも、空気も、体温も、味も、今を、今を全部たたき込んでっ、撃ち抜きたいんだ。伝えたいんだ。美術ってそういうものだろうっ!

これ、小説でも映画でも音楽でも芝居でも写真でもなんでも、モノを作ってる人の精魂込めてつくってる気持ちがぎゅっと凝縮されている気がするんです。絵を見たり文章読んだりして感動するのは、その感動に似た心を震わせる何かがそこにあるからなんじゃないかって。その人の情熱とか好きって気持ちとか優しさとか温かさとか…言葉が全然足りないですけど。

これを描いている相澤いくえ先生、美大出身みたいで漫画の絵も素敵です。(全部線で描いてるみたいです)文章だけでも伝わってくるものがあるんですけど、絵と一体になるとなんだろう、もっと息遣いが聞こえてくるような生々しさを感じるシーンなんですよね、ここ。

もっくん、東日本大震災で家族を亡くしてます。海沿いの実家が津波で流されて、家族も友達も流されてしまった。その震災で亡くなった人(死体)を描いた絵を実際どうだったか見てくれって後輩はもっくんのところにやってくるんですね。もっくんは1年描けなくなったり、描く意味を探して探してやっと描き始めた時にこれがあって爆発してしまうんです。

私が知ってる限り何も言及されてないですけど、相澤先生自身も東北の出身で、もちろん東日本大震災を経験されていると思います。実際身の回りや知り合いの話として近い出来事あったのかもしれません。それは私の想像でしかないですけど。

プリンと畑

そして、この漫画の正しい読み方じゃないかもしれないんですけど、私がこの漫画を読んで、ぐっときてしまったところがもうひとつありまして。

それは、「プリンと畑」という章です。(3巻)

私、この章が凄く好きで。

千葉くんの父方のおばあちゃんが具合が悪くなって病院に入院するんです。おばあちゃん、耳が悪くて大きい声で怒鳴るように話すから千葉くんは小さい頃からちょっと苦手です。ちょっとボケてしまって気難しいばーちゃんと相変わらず千葉くんは何を話したらいいかわかりません。でも頻繁に千葉くんは病室に訪れていて、その度にばあちゃんはこう言います。

プリンあっがら、食(け)

来る度に何度も、何度も、何度も、何度も。

特に千葉くんの好物でもないプリン。歓迎されてるみたいだけど…なぜ?それはもうちょっと後にお話しますね。

また、千葉くんは、もう亡くなっているおじいさんから小さい頃に聞いた話を思い出します。

「この世界にうまれてきた」のではなく、「この世界を見に来たんだ」
この世界にどんな人がいるのか。どんな暮らしをしているのか。何を好きになって何をきらいになって何をしているのか。何っにもできなくて死んだとしても、それが不幸だとはちっとも思わなくていい。おめえが悲しいことばっかで…たとえば…そうだなあ…後悔ばっかで生きててもな、何にも悪いことはねぇんだそ。自由に好きに、世界を見てくりゃいいんだ。

ものすごく個人的な話なんですけど、数年前に、いつかは自分もこの世界からいなくなるんだなあと思って。それは今すぐ突然っていうのもあるかもしれないし、何十年も長生きした後かもしれないけれど、そのいつかは必ずやってくるわけです。それをしっかり自覚したのが数年前で。その時に自分がこの世に生まれた意味とか、それから自分がこの世からいなくなった後の世界とか具体的に想像してみました。自分がいなくなっても、この世は続いていて、そこに自分がいないことがなんか不思議に感じてしまって。でも、その世界は、例えば仲の良かった友達や大好きな人や、苦手な人やあんまり知らない人も変わらず一生懸命生きていて…その世界は幸せに存在しててほしいって思っちゃったんですよね。そして、じゃあ私はこれから残りの人生、消えてしまう前にどうしたらいいのかなって。

その時にこの漫画を読んで、ああそうか、そんな生きる意味とか難しく考えなくても、「この世界を見る」のが生きる意味なら、綺麗なモノを目に記憶に(そしてできれば文字に)留めていけばいいんじゃないかって思ったんです。綺麗な景色や、人の温かさや、好きなモノをただもう愛でていこうって。

話は逸れてしまったので戻ります。

千葉くん、もっくんが描いてる途中の絵の色を見て、昔のじいちゃんの家の情景を思い出します。そして、その紙を貰ってじいちゃんの畑を描いておばあちゃんにプレゼントをするんです。ここ凄く素敵。

おばあちゃん凄い喜んで、それからしばらくして亡くなります。お葬式の時に、なんであんなにプリンくれたんだろうって千葉くんが言うとお母さんが教えてくれます。千葉くんが小さい時に茶碗蒸しをプリンだと思って食べてがっかりしたこと。きっとそれをずっとおばあちゃんは申し訳ないと思っていたんじゃないかって。

「プリン」と「プレゼントした絵」で、優しさのやりとり。

言葉はうまく交わせなくても、時間がぴったり合わなくても、時を越えて届け合えた優しさと温もりがあって、この章がとっても好きなんです。そんな温かい気持ちを絵やプリンに込めて渡せるのって素敵だなあって。私にも出来るなあって。なんだか嬉しくなったのです。

この漫画、この章以外でも心に響く優しいやりとりや気付きがたくさんある漫画だと思うんですね(創作の厳しさもありますが)。そして私が言葉で説明するよりもずっとずっと素敵に描いてあります。

最終巻はどうなるのかわかりません。でもきっと3人とも悩みながらもちょっとづつ成長をして将来が楽しみに生きているんじゃないかなあ…

そして、結構生命線が長い私はきっと長生きをすると思うので、優しいやりとりがちょっとでも出来るように、この世界の綺麗なもの、温かいモノを愛でていきたいと今日も思うのです。

皆さんも良かったら「モディリアーニにお願い」読んでみてくださいね。一生懸命生きている3人を見て、頑張ろうって思うかも?しれません。





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