見出し画像

孝行息子と放蕩息子。

数年前の年末に両親がはるばる3時間以上かけ、15年ぶりに僕の住む街に来た。
それは何度かの台風の影響で延期になっていて、最初の予定から1ヶ月以上あとのことだった。
僕の家に来るってのは本当に無いことで、最後は(というか最初は)僕が就職して引越ししたときの手伝いとして最初のアパートに来たきりだった。
その際は部屋に家具も何もなくて、これから住むことになる家を見に来ただけだった。
なので実際に生活している家にくるのは、これが初めてだった。
ただ我が家は両親を泊めるほどに広くはないので、駅前のビジネスホテルに泊まってもらうことになっていた。

父親は半年ほど前に大きな手術をして、だいぶ体調が戻ったので行ける時に息子の家に行きたかったのだろう。
彼はずいぶん前に、僕の住む町が取り上げられたテレビ番組(おそらくアド街)を見ていたらしく、そこで紹介された焼肉屋に行きたがっていた。
ちょうど父親の誕生日が少し前にあったので、そのお祝いも兼ねて飯を食べた。
結局その焼肉屋は異常に混んでいて、予約も出来ない店で断念したのだけれど。

ずっと関係の良くなかった父親とは、数年前から会えばよく話すようになっていた。
メールなどの連絡では、お互いにぎこちない敬語交じりの会話を交わすだけのやり取りだれども。
以前、両親へ誕生日のプレゼントを渡す際、遠慮して受け取ってもらえないことが多かった。
特に母親は遠慮しがちで、そんな時は両親2人向けに小さなプレゼントを用意して、それプラスで本人分も渡す。
そうすると遠慮なく受け取ってもらえるというのも分かってきた。
あまり高額じゃなくて、しかも簡単に使えるものなんかだと尚更喜ばれる。

今回は両親へのちょっとした同じモノと、父親へはウィスキーを。
「Old GrandDad」ってバーボンウイスキーで、「偉大なる爺さん」って意味の銘柄だ。
3000円以下で安めに買えるくせに、コクがあってハイボールにしても力強さがある、コスパの良いウィスキーで個人的には気に入っていた。
そんな感じでプレゼントも喜んでもらえて、晩飯も皆で一緒に食べた。
僕は40歳にして、ようやく親孝行ができるようになったのかな、なんて思ったりもした。
そして翌朝も集まってそれなりにご飯を食べたり、散歩をしたり、話しをたりした。
僕は両親がこの週末を満足してもらったのかなと思っていた。

そんな週末を過ごし、帰る間際に父親は
「わざわざコッチに来たんだから、彼女くらい連れてきて、結婚するとか報告が欲しかったよ」
「俺らもいつ死ぬか分かんないんだからさ」
と僕に告げた。
少し笑いながらも、少し残念そうな顔で言われた。

そうだよな、もう40歳なんだから、両親は70歳近い。
気の利いたプレゼントを渡すよりも、彼女とか嫁とか子供とかってのを望んでるんだろうな。
僕はこれまで適当で、自由に、一人気ままに過ごしてきた。
何度か彼女がいた事もあったけど、今はひとり、そして気づけばもうこの年齢だ。
今となれば親孝行をするってのは、気の利いたプレゼントとかじゃなくて、きっとそういうことなんだろうな。

金とかモノとかの豊かさじゃなくて、息子の安心感や幸せや充実感を求めているんだろうな。
だけどそれを見せるには、僕個人の力だけじゃどうにもならない部分も多い。
という、言い訳もできる。
でも本当はそれに向き合わず、逃げている自分がいた。

僕は実際の事を言おうか迷った。
最初にこっちに来る予定があった時、会わせる予定も考えていたんだよ。
会わせたかったけど1ヶ月前に別れたんだよ、彼女と結婚に対する考えや今後の2人の事についての意見が合わなくて、と。

いや本当は違う。
僕はただ逃げただけだ。
責任や、自由や、可能性や、面倒や、色々と秤にかけて。

そんな息子が、実家に帰る両親を駅まで見送る。
彼らは二人で歩いて改札口を進み、ゆっくり姿が消えていく。
今でも仲の良い両親は、二人並んで歩きながら振り返って手を振ってきた。
まだ独り者の随分大きくなった息子が、それを見送る。
相変わらず仲が良いな、と見送りながら思う。
そして僕は、独り住む家へとひっそり帰る。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?