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#4 本人の責に帰さないし、帰せない

今回はちょっと勇気のいるお話をします。したいです。それは、withコロナといわれる社会で、あまりヘルシーとは思えない優しさや許しが散見されるというもの。

例えば何かの〆切があったとします。そして、どうにも間に合いそうにない。そんなとき、次のような台詞が聞こえてきます。

「ネット環境が悪く、情報の把握が遅れてしまい…」

「リモート続きで体調不良なので…」

あるいは、どこか現場へ赴かないといけない場合に「この状況下だと、感染がこわくて参加できない」云々。

これはもうね、仕方のないことですよね。解ってるんです。誰が悪いって訳じゃないですし。ただ何だろう、この漂う「致し方なくて感」(苦笑)。申し訳なさそうな顔の下に、小さいズルさが見え隠れするときがある。

こういう匂いというか雰囲気って、直接会っていると割と感づくし感づかれるもの。それが今やほぼ文面でのやり取りになってるので、拾い難い。何というか「はい、現行犯逮捕〜!」とはいかなくなっている。とはいえ、コロナ禍という特殊な状況にも配慮せねば…etc。こうして、あまり健全でない寛容さが蔓延しているような気がしてならないんです。

もちろん、小ズルいが度重なるとわかります。そして期待されなくなる。その辺りは、これまでの対人関係とそう変わりないと感じます。それに社会状況に関わらず、自分を厳しく律する人はそうする訳で。公的な言い訳をいつまでも持ち出しちゃう人と、どんどん二極化が進むんじゃないかなって。

「本人の責に帰さない…というか帰せない。どっち⁉︎」というせめぎ合いに対し、世間が一定の解をまだ持ち合わせていない今日この頃。だらーっと間延びした寛容さに違和感を覚えたので、書き残したくなった次第です。自戒も込めて、慣れてしまわないように。弛んでしまわないように。

こういう内容を扱っている間にも、医療従事者の方をはじめ、様々なリスクと隣り合わせで働いている皆さんに深く敬意を表します。

ありがとうございます。

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