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高校を卒業して、一年ほどバイトをして娘は東京に住むことを選択した。


彼氏と同棲することは聞かされていたし、いずれは結婚することも分かっていた。

2年ほど経ち、北海道に二人で帰るから時間を開けといてくれ、との事。

若い二人は例に漏れず、お決まりの出来ちゃた婚である。

反対する理由もないし、40代で爺ぃになることにも、それほど抵抗はなかった。

一応親として、将来に向けたお決まりの話をして、みんなで食事に行く事になったのだが、その前に衝撃的な事実を知らされた。

お腹の子は『胎児水腫』の可能性が濃厚で、高確率で死産、生きて産まれても短命で、長く見積もっても一週間、万が一数年生きられても重度障害は免れない。

私は頭の中が真っ白になった。

二人は産むと言う。

相方はキリスト教徒で、無宗教の私にはプロテスタントもカトリックも何も分からないし、それらの教義がどんなものかも知らない。

堕胎は無いと言う。

どんなに重い障害でも、愛情を持って育てる事を、二人で話し合って決めたと。

そう言うことならば何も言わないが、障害を持った子を育てるのは、並大抵の精神力では途中で頓挫してしまうのが常であり、初めは責任感や宗教観で頑張れても、二人よりも長く生きている私は様々な事を見聞きしてきたわけであり、それらの事も懇々と聞かせた。


二人の決意は固かった。

そう言うことならば、私も出来る限りの応援協力を惜しまない旨を伝えて話は終わった。

私は当然ショックもあったのだが、何よりも二人でとことん話し合って決めた、という事を尊重した。

いつの間に、こんなに強くなったのか、娘を見て危うさは感じられなかったのだ。


つづく

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