自分が大好きで自分がクソ
自分を大好きだという気持ちと自分なんてクソだという気持ちでいつも行ったり来たりする。
俯瞰というより客観視、それも自分が世間の目に成り代わったような気になり、切り替えただけのやつ。それの普通というやつと比較して自分は落ちこぼれだと凹むのだ。
どれだけ上を知って下を知って周囲を見渡せているわけでもないのに自分のコンプレックスだけを上げてしまう。
三子の魂と言うけれど私の世間の目というやつは親の価値観が常識の基準になっているみたいだ。
体重は48キロくらいがちょうど良い、身長は160くらい、短大くらいは出ているべきだ、運動部に入らなくてはいけないだとか。
誰が作ったかわからないどうでも良い常識というやつを親に説かれそれを未だに信じがんじがらめになっている。
それらには全て当てはまっていないのでどうしようもなく落ち込む時がある。ただ普通に生きているだけで失格をつきつけられて責められてるような感じだ。
生きているだけで全てを否定されたら足元掬われるような感覚に陥るのは地盤の危うさが原因で、それはバックボーンを抑え付けないことには、どんなに頑張ってもどんなにその条件をクリアしても埋まらないままだ。
根をはらないまま、上に上に伸びようとしてもうまくいかないよう私は下地を見直さなくてはいけない。
過去を振り返るのではなく、足をしっかり地面にはるよう自分は自分の足で立たなくてはいけない。そこの根幹だけを大事にしていれば自ずとこの苦しさは癒えるのではないか。
疑うことなく自分が大好きで結構。まるこど愛してあげられるように他者の根を借りるのではなく、自身の根をはり直立したり曲がりくねったりしていこう。
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