愛とお金について

私は女の子を好きという時にお金を介してしか言えない。

最初からこうなのか途中からこうなのかわからないが気づいたらそうなのである。

好きな女の子ができたら、まず何かを贈らないとと過ぎる。私の愛情はお金と親密らしい。

私は以前女の子とお付き合いをしていた。その時にもまず指輪を贈った。貴女のことが好きですと表現できる方法が私にはそれしか思い浮かばなかったから。

要らないものをあげても仕方がないので、彼女とウインドウショッピングに出かけて可愛いといっていたものを贈った。

ブランドのカバンに指輪、デパートコスメに腕時計、メガネ、ジーンズ、フィギュア、でっかいぬいぐるみ。

お金を使う形でしか愛を表現できないというより、愛してもいいですか?という免罪符的な感じで使っていたと思う。

人に嫌われている。愛されていないという烙印を押されてからどうも卑屈になった。欲しいものをあげられるから好きでいることを許して欲しいという気持ちがある。と同時に私はこんなこともできるんだ、だからあの時より強くなった、もうあの頃にみたいに嫌われるような存在ではない、強さの誇示をして救われたい解放されたいと思っていた。

お金を使うことが見当違いの復讐になってしまっていたのかもしれない。

今もお金を使うのは好きだけれど悪い使い方じゃないなと思う。もちろん昔の使い方だって勲章のようなもんだし。

愛をお金で表現することでしか会話ができない無骨さもまぁここまでくるとそういう仕様てことでしかないし。それにピタッとくるようなものが見つっているから幸せだし。

今は大枚叩けるようなお金もなく、それでも面白おかしく生きているので私は全然不幸ではない。

お金を介して女の子を可愛いと言っても気持ち悪がられないのであれば私はそれだけで大満足なのである。



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