見出し画像

トニー・ヴィルヘナの挑戦。フェイエノールトから旅立つ。

今やサッカー生活を1つのチームで終えることはごく稀である。なので、そのごく僅かな選手はより一層愛され、信頼され、親しまれて引退していく。最近ではフランチェスコ・トッティ。スペインではシャビ・プリエトが含まれる。日本では中村直志。などなど。
 やはりサポーターにとって特に下部組織の選手たちが育つのは嬉しい。親のように気にかけ、本当の子どものようにサポートをする。これまた人一倍愛されている。

 今年の夏もクラブ一筋の若手が旅立った。それが今回の主人公であるオランダ代表のトニー・ヴィルへナだ。2003年にクラブの下部組織に入団した彼は、多くのタイトルとインパクトを残し、辛いことも経験した。そんな彼の16年間を振り返りながら、功績を紹介します。

 トニー・ヴィルヘナはロッテルダムから30km離れたマーススライスという街で、アンゴラ人の父とオランダ人の母のもとで生まれた。8歳のときにフェイエノールトにスカウトされると、17歳でトップチームデビューを果たし、デカイプのピッチに立った。

 クラブでの話に行きたいが、その前に世代別代表での話をしよう。

 急すぎる方向転換ですが、ご了承ください。

 世代別代表にコンスタントに選ばれていたヴィルヘナ。まずその名前を輝かせたのが、U17オランダ代表での活躍だった。2011年のU17欧州選手権では、カリム・レキク(現ヘルタ)やネサン・アケ(現ボーンマス)メンフィス・デパイ(現リヨン)と共に優勝。そのチームで10番を背負い、攻撃の中心だったヴィルヘナは決勝のドイツ戦で、2ゴール2アシストを記録した。大会得点王に輝き、チームを優勝に導いた。当時のドイツにはエムレ・ジャン(現ユベントス)、ミッチェル・ヴァイザー(現レバークーゼン)がプレーしていた。そして翌年のU17欧州選手権でも、決勝でドイツを再び下して、優勝。このときのドイツ代表はニクラス・ジューレ(現バイエルン)やティモ・ヴェルナー(現ライプツィヒ)がプレー。現在ビッグクラブでプレーしている面々に勝利し、2連覇を果たした。

 オランダの育成年代で結果を残したヴィルヘナ。この活躍もあり、クラブでのチャレンジが始まった。

17歳19日でロナルド・クーマン(現オランダ代表監督)に抜擢され、ヴィルヘナはトップチームデビューを果たす。1年目となる11/12シーズンは6試合に出場した。12/13シーズンはセントラルハーフを中心に務める。ヨルディ・クラーシ(現フェイエノールト)やルード・ヴォルマー(現クラブ・ブルージュ)など実力者揃いの中、19歳ではあったが、11節から継続してスタメン出場。27試合で4ゴールを記録した。

13/14シーズンは、開幕戦3連敗とチームは最悪の出だしだったものも、4節後からは復調。終盤には7連勝もあり、首位だったアヤックスに追いすがったが、2位でフィニッシュ。この7連勝の間、ヴィルヘナは7試合で4ゴール3アシストと結果を残した。

最近の動画ですが、参考程度に。

 14/15シーズンからはヴィルヘナの成長を見守ったロナルド・クーマン(現オランダ代表監督)に代わって、フレッド・ルッテン(現トゥウェンテ監督)が指揮を執ることに。昨シーズンの活躍もあり、ヴィルヘナは開幕からコンスタントにスタメンを張っていたが、チームが5戦勝ちなしと不振に陥ると、ルッテン監督は堅実なプレーができるカリム・エル・アーマディ(現アルイテハド)を選択するようになり、ヴィルヘナはベンチに回る試合が増えた。偶然なことにヴィルヘナの出場機会が増えると、低迷していたチームは上位に復帰した。シーズン後半戦はほとんどの出場が途中からになり、結局得点とアシストがないまま、シーズンを終える。13/14シーズンの個人としての躍進としては裏腹に、苦渋を舐めたシーズンとなった。

14/15シーズンはジオバニ・ファンブロンクホルストが新監督となり、ヴィルヘナにとって心機一転としたいシーズンが始まる。しかし序盤戦は新加入のマルコ・ヴェイノビッチ(現アルカ・グディニア)やシモン・グスタフソン(FCユトレヒト)が起用され、ヴィルヘナはここでも途中出場が多かった。しかし12節のアヤックス戦で今シーズン初先発となると、そこからはスタメンに名を連ねるようになる。チームは7連敗と6連勝を記録するジェットコースターのようなシーズンを過ごし、ファンブロンクホルスト体制1年目は終了。だが、ヴィルヘナはチームの攻撃を司るプレーヤーとして、チームを支えた。

16/17シーズンはヴィルヘナにとって選手キャリアと人生においても、言葉に表せないほど重要な時間であった。ファンブロンクホルスト2年目としてスタートしたフェイエノールトは開幕から絶好調。9連勝のロケットスタートで首位をひた走った。ヴィルヘナも全試合フル出場を続け、チームと共に最高の時間を過ごしていた。

そんなヴィルヘナだったが、プライベートでショッキングなことが起こる。

長年、癌の治療に専念していたヴィルヘナの母であるジャネットさんが、この世を去った。

ジャネットさんは2014年にインタビューを受けており、幼少期の頃のヴィルヘナの様子や家族の雰囲気などを語った内容が上記の記事です。

ここからはこれの生い立ちを少し。

 幼少期姉のサブリナと共に地元クラブでヴィルヘナはサッカーを始めたのちに、フェイエノールトにスカウトされた。そこから家族の生活は劇的に変わったという。ヴィルヘナの試合があれば家族揃って、電車でスタジアムに向かう。練習があれば送り迎えをする。ヴィルヘナのサッカーへのサポートが強まった。どうやらジャネットはサッカーよりも水泳を習ってほしいという気持ちがあったらしいが、本人はもうすでにサッカーにまっしぐら。意見がどうやら合わず、願いは届かなかった。またヴィルヘナがこれまで国外移籍を考えなかったのは、母親のそばにいたい気持ちが強かったことも理由らしい。彼女はどうやら挑戦を望んでいたみたいだが、ヴィルヘナは国内でのプレーを続けた。

 ショッキングな出来事があったが、プロサッカー選手としてヴィルヘナは試合に復帰をしなければならない。ゴーアヘッド・イーグルス戦後のホームでのズウォレ戦で復帰すると、ショッキングな出来事があったヴィルヘナにサポーターからメッセージがあった。

 スタジアムでサポーターがライトを照らし、You’ll Never Walk Aloneを歌った。フェイエノールト一筋で育ったサポーターにとって可愛い可愛い選手のために、サポーターは愛情を込めて慰め、ここから戦おうと示した。ヴィルヘナにとっては第2の両親とも言えるサポーターの支援は、彼を奮起させるきっかけとなった。

 ヴィルヘナが復帰後もチームは好調。開幕9連勝を超える10連勝を記録し、第1節から一度も首位を奪われることなく、優勝。ヴィルヘナにとってはトップチーム昇格後初のリーグ制覇を経験。母親の死に直面し、彼にとっては試練のシーズンになったが、チームとともに戦いきり、タイトルを獲得した。セレモニーの際には、ジャネットさんの命日と亡くなった年齢である52の背番号を刻み、天国の母親と喜びを分かち合った。

 彼のインスタグラムのアカウント名にも”52"という数字。そして愛する母親へのメッセージが記されている。彼の母親への愛は形では表しきれないものであることは間違いない。

 フェイエノールトでは下部組織時代も含め、279試合に出場。24歳ながらクラブのレジェンドになったといっても良いだろう。プレースタイルはオランダでも活躍したムサ・デンベレを彷彿させる。パワフルな左足に推進力を兼ね備えている。現地ではダーヴィッツ、かつてチームメイトだったグラッツィアーノ・ペッレからはセードルフとまで言われた。彼の今回の移籍。かつては5大リーグのビッグクラブに興味を持たれていただけに、残念な移籍と思われるかもしれないが、私たちにはわからない裏側がある。勝手にマイナスなイメージを持ってはならないのだ。ロシアリーグはテレビで見れるかわからないけど、ELの際には応援するよ。


久々書きました。

今はインフォグラフィックにハマっているのでテキストとして書くのは少なくなるかも。また書きたいときに色々書きます。インフォグラフィックへの取り組みについてもnoteでは書くつもりです。


就活生です。サッカーばかりでしかもコアなところを攻めています。少しでも驚き、笑いがあった方はサポートお願いします。