2007年の備忘録 澳門 ~ 揚州

チェックアウトぎりぎりの時間に起床し、出発

ホテルのロビーでは相変わらずコールガールが管を巻いていた

ホテル近くのバス停から澳門と中国の入境ゲートへ

ゲート付近でルールがよくわからなかったので適当に話しかけた女性が偶然にも日本語の通訳の仕事をしている方で丁寧に教えていただいた。

出会いに感謝

バス乗り場に到着し、適当に昼飯

カモ肉の照り焼きみたいな食い物。そんなに旨くなかった

13時にバスに乗り、3時間ほどで広州に到着

中国元を手に入れるために銀行へ

銀行では窓口ごとに行員のランクを示すプレート、および対応の感想を押すボタン(顔がついていて5段階)が置いてあった。

日本だと見たことがないので新鮮。

VIP窓口というのもあり、大口の人しか使えないのかなと思った。

真実はわからないけど100000元くらいの現金を持ったおばちゃんが窓口でやりとりしてたからきっと大口なんだろうなと思った。

お金を手に入れたところで駅へ向かうが電車のチケットが想像より高かったので夜行バス移動にすることにしてバス乗り場へ

夜行バスの切符を買ったあとはふらふら時間潰し

焼き餃子、蒸し餃子、包子を食べる。醤油はなく、黒酢で食べた。

多分、言えば調味料は出てきたんだろうなと今は思う。

時間まではまだまだあるのでネットカフェへ

メールをチェックすると父親からブチギレのメールが来ていた

父「聞いてないよ!仕事を辞めることも、アジアなんかに行くことも!次は決めてるのですか?貯金はいくらですか?将来についてちゃんと考えているのですか?当然ですが帰国したらすぐに就職してください(原文ママ)」

ブチギレているけど仕方ない

たしかに仕事を辞めることも旅行に行くことも面倒なので完全に黙っていたから想定内。

「何も決めてません。帰ったらまた。生きている報告は一週間に一度はします」

と返信し、ネットカフェを後に

当時の中国はネットカフェが娯楽なのかみんなネットゲームやSkypeで遊んでいた。1時間2元(約30円)だったのでいい娯楽だったんだろうな。

イメージとしてはパソコンだらけの喫煙空間

当時は喫煙者だったので気にならなかったけど火事にならない方が不思議なレベルでみんなタバコを吸ってた。

ネットカフェの後はバス乗り場へ

真功夫という名前のブルースリーの看板のお店で夕食

中国の人気チェーン店のようで店内は比較的キレイ

ウナギ?と豚肉?とご飯を食べ、ペプシコーラを飲んだ。当時で21元ほど。

アジアに行くと安心の味を求めるのか日本では飲まないコーラを飲みがちになると小説で読んだりしていたが本当だった。

食後は夜行バスへ乗り込むために移動

バス乗り場のトイレは扉も何もない俗に言うニイハオトイレ

めちゃめちゃ汚いけど仕方ないなと思った。

赤ちゃんは尻に穴の開いたズボンでそこら中で大も小も済まされていた。

今でもそうなのかな?当時は途中で見慣れたけど最初はだいぶ面食らった。

21時には夜行バスに乗り込んで揚州へ

バスは日本より席も広くてキレイ。クーラーが効きすぎていることを除けばとても快適。

朝5時半に揚州バスターミナルに到着。乗り継ぎのバス待ちが1時間

田舎に来ると交通ルールが存在しなくなっていて、バイクは3ケツが当たり前になってきた。

朝食を食べたカフェで床をゴキブリがはっていたが店員は気にすることもなく潰していた。日本のゴキブリに比べてとても動きが遅かった。日本ほど迫害されてないんだろうな。

バスが来たので目的地であるシンピンへ出発

当時の田舎ではバス停はあるけれど地元の人は手をあげて捕まえていたタクシー方式。出発してもなかなか進まなかった。

8時にシンピン着

日本人がやっている宿、ラオジャイサン旅館へ

ここは予約をしていた宿なのもあってスムーズにチェックイン

日本人である林さんが優しく迎えてくれ、とりあえずエアコンの利いた部屋のベッドで寝ることにした。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?