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【宗教2世支援者養成講座12】宗教2世ケアのワークショップ


 久しぶりの支援者講座ですが、今日は少し実践的な内容を。

 某知り合いから本を紹介されまして、それは「機能不全家庭」に育った子どもや、あるいは大人になってから「生きづらさ」を感じる人が、どのように自分で自分を「ケア」してゆくか、ということについて書かれたものだったのですが、なかなか面白い話が載っていたので、今回はそれをベースにしながら考えたいと思います。

 だったら、その本をそのまま紹介すりゃいいじゃん!という声も聞こえてきそうですが(笑)、ちゃんとした理由があって、それはやめておきましょう。

 どういうことかというと、その知り合いと「この本の内容について、どう扱うべきか」と真面目に二人で検討したのですが、その結果

「要注意」

の判定が出たので、書籍名は伏せておくことにします。

 どういうことか?

 気になりますよね?


 まあ、宗教2世問題においても、この話はとても重要なので、ではまず「武庫川たちが、その本を要注意判定した理由」から、ちゃんとお話しましょう。

 書籍そのものは心理学とかカウンセリングに関するもので、「過去の自分」をケアするような内容です。いたってありがちな、「インナーチャイルドをケアする」みたいな話です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%81%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%B3

(インナーチャイルドとは、アダルトチルドレンの考え方から出てきた言葉で、「過去の純真なる、幼児の自分」みたいなニュアンスだとわかりやすいでしょう)


 もちろん、わたくし武庫川がずっと書いている「タイムマシン」理論と共通する部分があるので、過去の自分と向き合うことは「インナーチャイルド」の概念に置き換えても十分理解できると思います。

 そこまでは、特に問題はないのです。

 ところが、その本の著者さんは「親子関係の問題の多くは、互いの誤解や行き違い」であると説くのですね。なので、セルフケアにしろ、そこから先の実際の「親との対話」にせよ、基本的に性善説で書かれています。

 『8割9割の親御さんは、こども達に対して良かれと善意を持っていて、語り合えば分かり合えるはずだ』

のニュアンスを抱きながら執筆がなされていますから、そこを「要注意」と判定したわけです。


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 宗教2世問題や、虐待問題を考えるときは、もちろんこうした「良かれと思っている善良なる親」も存在します。しかし、同時に、同じくらいの「人間的未発達や、精神的問題を抱えた親」も存在するわけです。

 なので、「機能不全家庭」や「生きづらさ」の問題を扱うときは「親だって人間なんだから、話せばわかるよ」という感覚をベースに持っていると、とんでもない間違いを犯すことがありうる、ということなのです。

 この業界の用語で「トラウマインフォームドケア」ということばがあったりしますが、このワードは「トラウマが存在すると想定しながらケアしよう」みたいな意味を持っています。

 であれば、おなじように「毒親インフォームドケア」という概念が大切で、「その人の親は、ヤバいかもしれない」という想定を持ちながら虐待事例に当たってゆく必要があるのです。

 宗教虐待には「世代間連鎖」の問題が隠れていることが多いのですが、よーく考えればわかりやすいので、整理してみましょう。

■ その親が「宗教」に救いを求めるということは
■ 親自身がなにか生きづらさを感じていたということで、
■ つまり、その親の親から何か問題を受け継いでいたり、
■ 親自身に問題がある(問題を抱えている)ことが多い

ということです。

 だとすれば「親は問題を抱えている」という大前提があるのですから、その親と「話せばわかる」と単純に解決するものではない、ことがすぐわかりますよね?

 人間的未発達や問題をバリバリ抱えている親だからこそ、そこに宗教が入ってくる大きな理由になるわけで、もし「話せばわかる」レベルに持ってゆくためには

■ 親の問題も、子の問題も、ダブルで解決されなければならない

ということになるでしょう。そうした構造が、宗教2世問題の複雑さを増やしていると言えるわけです。


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 さて、後半です。宗教2世問題では、世代間連鎖を断ちきり、まずは「子の側を優先して、生きづらさを解消する」ということを念頭に置きます。

 当然「親子ともに、問題を解決する」というのが理想ですが、親のほうには「宗教という救い」がすでにあるので、それを覆すには倍以上のエネルギーが必要になります。

 ベタな言い方をすれば「親のほうは、(それが誤りであるとはいえ)依存先やら解決法が見つかったんだからいいじゃん!子のほうは、まだ何も見つかってねえんだよ!」ということです(苦笑)

 だからこそ、ケアは子どもが優先されるべきだ、と考えてよいのではないでしょうか?


 さて、その書籍では、以下のようなワークショップが紹介されていました。

1)親に対する気持ちを書き出す
2)エンプティ・チェア療法
3)親に手紙を書く
4)セルフハグ

などです。

 この流れ、「過去の自分に会いにゆく」という武庫川がずっと書いている「タイムマシン理論」と同じなので、もちろん自分でこれらのワークショップを実践してみることができます。

 2の「エンプティ・チェア」とは、空の椅子を二つ用意して、一方に自分が座り、もう一つの椅子に「親」などの対話したい相手が座っているものと想像しながら語りかけるものです。
 不満をぶつけたり、言えなかったこと、言いたかったことをその椅子に向かって語ります。
 その後、今度は反対側の椅子に座って、「親」などに成りきって、どう思っているか、どう「親」からは見えているかなどを語るのです。

 両者の視点を擬似的に考えることで、浮かび上がってくるものや、見解の相違を捉えよう、という方法です。

 この応用編として「アドラー心理学」で有名な岸見一郎さんが使っている「三角柱」もあります。


 エンプティ・チェアでも、結局親は実際にはおらず「自分で想像する」わけですが、三角柱でも理屈は同じです。

 自分で過去や親との体験を語るにあたって

「悪いあの人」の話をしているとき
「かわいそうな私」の話をしているとき

と切り分けてゆきます。

 岸見バージョンが面白いのは、未来に向けて課題解決が加えられている点で、それが三角柱の最後の面を見せながら、

「これからどうするか」

を話すという流れです。


 さて、ここでまたひとつ、シンプルな整理を行っておきましょう。
「気持ちを書く」とか「エンプティ・チェア」は生きづらさを抱えている人が「一人で」セルフケアとして行えるものです。「セルフハグ」なんてのは、まさに文字通りセルフで一人です。

 しかし、「三角柱」のように、それを見せる相手(専門家でなくても)、誰か支援者がそばにいたほうがやりやすいものもあります。セルフどころか「誰かにハグしてもらえる」ほうが、ずっと安心感を得られる場合もあるでしょう。

(*三角柱は、もちろんセルフでも行えます)

 ですので、支援者講座としては、「悩んでいる人が一人でワークショップに取り組む」ということよりかは、

「こんな方法があるらしいので、一緒にやってみない?」

というちょっとした声かけやサポートができるんだ、と思ってほしいのです。

 心理学の専門家ではない者が、「セルフケアの延長線上」として一緒にそうした技法を試してみるときは、「支援者の価値判断を、相手に対して口にしない」ということにのみ、気をつけておけば大丈夫です。

 今見てきたように、基本的には「セルフケア」としてできるものばかりですから、「自分でやってみて、自分で書いたり語ってみて、自分で気づきを得る」のが一連のプロセスです。

 支援者は、そのきっかけとサポートに過ぎないので、「何も言わなくていい、アドバイス無用」なのですね。

(支援・被支援の枠組みでなく、当事者同士のセルフケアを、一緒に互いに行う、という試みがあってもいいかもしれません。)


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 さて、ケアのプロセスに関して、また別の方との話で気づきがあったので、それもまとめておきましょう。

 ケアの順番として

■ 過去にあったことを書く、ブログやtwitterに書く、書き出す
■ 口に出す、エンプティ・チェアやtwitterスペースで話す
■ セルフハグや、誰かと対面で語る
■ 親に手紙を出す、親とLINEする、親と合って話す

のような大きな流れがあるとします。

 この流れ

『概念(ふつふつとした恨みやもどかしさの感情)』


『文字を使った言語化(書き出す、文章にする)』


『口頭・ことばを使った言語化(語る・声に出す)』


『肉体、身体を使った表現(直接合う・触れる)』


『文字・口頭・身体を用いて直接、親に対面する』

となっていることがわかります。

 これ、「説明できない感情」からだんだんと、身体性が強まっていってるんですね。ことばや肉体に向けて、徐々に感情を整理し、また気持ちを「育てて行く」ようなところがあります。

 この「身体性を強めながらケアしてゆく」ことは、とても大事と思います。

 おそらく逆だと、うまくいかないのではないでしょうか?

 だから「いきなり親と会って話す」だと玉砕しそうですし、口が先に出るとただの喧嘩になってしまいそうにも思います。

 なぜこの順番なのかは、心理学的に今後の解明が楽しみですが、ざっと推理するに

「身体性が強いこども時代から、逆回しになっている」ようなことがあるのかもしれません。
(こどもは喧嘩でも先に手が出たり、手づかみで食べたりするように、身体性の側が圧倒的に強いものです)

あるいは「肉体を持たなかったインナーチャイルドが、自分という肉体を取り戻す作業」であったりするかもしれません。

 その取り戻す肉体が、「すでに大人になっている自分」との合体作業だとしたら、心理学的にはとても面白いと感じるのですが、まあ、そのあたりは武庫川の個人的な興味になってしまうので、これくらいにしておきましょう(笑)


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 今日のまとめです。

 前半部分は「毒親インフォームドケア」を意識しよう!

 後半部分は、「セルフケア+ちょっとしたヘルプ」そして「概念から文字、ことば、身体へというケアの流れ」についてでした。

 ご参考になればうれしい限りです。




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