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【終】・偽神礼賛 〜2000年の時空を超えた、超陰謀論〜

 この世界全体がひっくり返るような、世界最大の陰謀論を解き明かしているこの連載だが、いよいよ今回が最終回である。

 西洋史、中東史は、ほとんど「聖書の神」とそれを信じる人達によって突き動かされてきたが、その「神」がニセモノであった、というのが本論の骨子であった。

 厳密に言えば、天地創造を行った創造主の神から、ニセの悪神にすり替わっているのがこの世界で、それはもとの「正義の姿」に戻されるべきものであるが、人類は、特に西洋文明は、「間違った悪神に従ったまま」2000年もの時間を無駄に過ごして来たのである。

 なんという恐ろしい事実であろうか!

 さあ、では最終回である今回は、いかにしてその「すり替え」が行われたのかを解説したい。それはもう、犬神家の一族もびっくりのスケキヨな入れ替わりだったのである! よし、わかった!


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 世界を創造した神がエルだとすれば、(それが本当かただの神話かどうかは別にしても、)地球の誕生とエルの登場は、人間の側からみた歴史ではほぼ同一の時期だと考えて差し支えないだろう。

 要するに、平たく言えば、地球のスタートの時点で、神の存在も認知認識されるわけだ。つまり、創造神エルは、最初からこの世界にいる、ということになる。

 聖書の記述は、天地創造から最初の人類の話へと進み、そしてノアの洪水やらイスラエル人(=ヘブライ人・ユダヤ人)の祖であるアブラハムの話などへと続いてゆくが、それらは昔むかしのお話である。

 ちなみにわかりやすいようにアブラハムに限定すれば、紀元前2000年くらいの人物だとされている。日本では縄文時代にあたり、中国では最古の王朝とされる「夏」の時代にあたる。

 ということは、少なくとも創造神「エル」は、それくらいの時代に信仰されていたということを押さえておこう。

 ちなみにそれからちょっとだけ経つと、ハムラビ法典の時代になる。紀元前1700年代である。

 さて、この時代に信仰されていた神が原初の神だとすれば、のちに入れ替わったヤハウェはもっともっと後の時代の神だ。

 一番最初にヤハウェが登場するのは、紀元前1000年ごろである。

 日本においては縄文時代の後半で、中国ではおおむね「周」の時代である。漫画で言えば「封神演義」の時代である。太公望が、紀元前1100年ごろの人物ということになる。

 さて、整理しよう。

 少なくとも「原初の神」である「エル」がすでに活躍していた時代から1000年後に、はじめて「ヤハウェ」が記録に現れた。彼は「新しい神」で、あった。

 そして、興味深いことに、古代のイスラエルにおいて「エル」は主に北部で信仰され、「ヤハウェ」は南部で信仰された。

 問題はここからだ。

 紀元前982年に、イスラエルの王「ソロモン」が死んでから王国は北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂した。ヤハウェの登場はこの時期に符合する。

 そして、紀元前722年に北イスラエル王国が滅亡し、この時点でヤハウェ信仰だけが残ったわけだ。

 さらに、紀元前6世紀に南ユダ王国も滅びる。南の人間はバビロニアに連れてゆかれてしまったのである。(バビロン捕囚)

 興味深いことに、聖書の最初の部分である「モーセ五書」が執筆、編纂されたのが、どうもこの紀元前6世紀ごろらしい。

 さあ、この奇妙な一致をどう読み解くか?がこのミステリーの鍵である。


 西洋社会の大半は「聖書は、はるか昔からの、神の事績や言葉が書いてある書物である」と思い込んでいる。しかし、正確な時系列は今、示したとおりである。

 仮に、聖書が南北イスラエルのすべての神の記録が書かれた書物だったとしよう。しかし、北イスラエルが滅亡した時点で、「エル」の記憶は消えているということがわかるだろうか?

 残ったのは南ユダ王国のみ、そこではヤハウェが信仰されていた。

 聖書の編纂が本格化したのは、それより「後」だ。

 もっと言えば、バビロニアからユダ王国の民は戻ってくるが、それが紀元前538年のことである。

 聖書の編纂が、今の形に整ったのは、その直後なのである。

 これは偶然か?それとも必然か?

 よーく考えてみてほしい。今我々が読むことができる聖書は、どのように書かれていることになるだろうか。

 北イスラエルがすでに消失し、南ユダ王国の民も自分たちの土地を追われた頃に聖書がまとめられはじめ、かろうじてユダ王国の民が戻ってきたあたりで、聖書が完成する。

 その記述は、どうなっているだろう。

 答えはシンプルである。北で信仰された「エル」の事績は、全部南の「ヤハウェ」のやったことに書き換えられている、という仕掛けである。

 聖書の最初のほうの部分は、2人の神が「ニコイチ」になるように書かれている。だから「エル」と「ヤハウェ」が登場する。

 そして、徐々に神の記述は「ヤハウェ」のほうばかりになってゆく。「入れ替わり」の成功である。


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 こうして、我々は、そして西洋人は「聖書の神」が創造主であり、そしてイスラエルの神であり、イスラムの神であると思い込むことになった。

 ところが実は違うのだ。創造主とイスラエルの神は別人である。もちろん北部では創造主が信仰されていたが、その北部の民はもう滅んでいる。

 もっと言えば、イスラエルの神とイスラムの神も異なるかもしれない。これはさらに詳細を研究、検討すべき今後の課題だが、少なくとも語源の上では「アッラー」は「エル」の変化型であり、「ヤハウェ」とは無関係である。

(ただしイスラム教では、入れ替わり後のヤハウェも神であるという認識があるため、それを無理やり切り分けるのは、今の段階ではやりすぎである)

 さらに、言わせてもらえば、西洋社会がキリスト教を通じて信仰している神は、すでにニセモノのほうだ。こうして世界は「偽神」を創造主と誤りながら、信じてゆくことになった。


 ではなぜ、ヤハウェを信仰することがマズいのか。それはこの神の性格を性格に知ればおのずと理解できる。

 聖書には書かれていない、別の中東の神話では、ヤハウェは、「天地創造の手柄を自分のものにしようとした蛇の神」である。そうだ。聖書に出てくる最初の女性イブをそそのかした蛇はサタンということになっているが、あれは本当はヤハウェがやった悪事を、サタンのせいにしているのである。

 そして、ヤハウェは砂漠を放浪する民だった「ヘブライ人=イスラエル人」に対して、「カナンの地を与える」という約束を勝手に行った神であった。

 そのためには、異民族や異教徒を滅ぼせ、と命じた。

 だからヘブライ人は、それに従ってカナンの地にいた多民族をしりぞけ、古代イスラエル王国を建国したのである。

(ということは、現代イスラエルも、似たようなことをやっていることになるのだが、2000年間も、同じことをやり続けているわけだ。まさに因縁であり、呪いではないか!)

 さあ、賢明な読者諸君は、よーく読み解いてほしい。

 この神がやったことは、最初から「権力の簒奪」と、「土地の強奪」と「侵略戦争」ばかりなのである。

 だからこれに従う者は、どの時代、どの地域であっても戦争を引き起こすのだ。呪われた信仰だからである!

 聖書においては、最初の天地創造のあたりを除いて、原初の神「エル」の事績はかき消されてしまっている。だから我々は、真の神、正義の神が本当は何を望んでいたか、少なくとも「聖書」を読む限りでは知ることはできない。聖書は偽神ヤハウェ信者のバイアスによって編集されているからだ。

 天地創造の神であるエル、その真意を知り、学ぶためには、一刻も早く偽神の呪縛から逃れる必要がある。このことに気づいた者からが、世界平和に貢献できるということが、もうわかってきただろう?

 世界は古代イスラエルの「神官たち(聖書編集者たち)」によって生み出された壮大な陰謀に、まだ支配されている。

 悪の神を正義の神と信じ込まされて、その言いなりとなり、手先となっているのである。


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 もう一度神話に立ち返ってよーく考えてみてほしい。天地創造によって人類は生まれたとしよう。そうすると、どこの地域にいても、どの国の住人であっても「神の創造物であり、神のこどもたち」であるはずだ。

 ということは、人類が互いに殺し合うことや、いがみ合うことは本来あってはならない。どこかのキャッチフレーズではないが、「人類みな兄弟」のはずである。

 さらには「ユダヤ教・キリスト教・イスラム教」の神がおなじなのであれば、なおいっそう互いに争うことが理屈に合わない。

 聖書の中でさえ、おなじ神から生まれた他民族に戦いをしかけるヘブライ人たちの姿は、矛盾することになる。

 ・・・だが、これらの矛盾や疑問は、今日説明した真実によって、スッキリと解決するのである。

 聖書の神が「正義の神」ではなく、「互いに争うように仕向ける偽神である」ならば、この世界で起きてきたことは、すべて辻褄が合うのである。

 古代史、西洋史、中東史のすべてが、矛盾なく説明できるということは、ものすごいことだと思わないだろうか!


 というわけで、この一連の壮大な物語は、このあたりでお開きにすることとしよう。

 この世界の真理真実を暴いてしまったので、預言者ムコガワ・サンポはお腹が空いた。

 さあて、芋食って屁こいて寝よ!


(おしまい)


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