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「脱宗教」の教科書9 無宗教・無神論ってどうなの?

 「神は死んだ」というニーチェの有名な言葉がありますが、近代や現代というのはまさに「神からの卒業」によって発展してきた経緯があります。

 中世や近世までは、宗教や神様の概念によって社会が動いてきたけれど、科学がどんどん発展して、宇宙のなりたちなどがだんだんわかってくると、いわゆるベタな「霊的なもの」については迷信や幻想なのではないか?ということになってきたわけです。

 前回までのお話では、特に日本に生きている僕たち私たちは、「自分が生まれてくるに至る氏族の歴史に着目すると、宗教が説く人類の成りたちとは別の物語を語ることができる」ということをお伝えしてきましたが、まったくニュートラルに

”科学をよりどころにして、自分を定義する”

なんてことはできるのか?とこれまた想像してみることは面白いと思います。

 この文章を書いているムコガワは、「限りなく無神論・無宗教に近い有神論」の立場をとっています。

 どういうことかわかりにくいですが、「宇宙は科学で成り立っているんだ」「宇宙は数式だ」みたいなドライで無感情な無神論・無宗教の立場をまず前提としてください。

 もっと平たくいえば、「世界はコンピュータのプログラマみたいなものだ」ということですね。私たちの住む世界は、スーパーマリオやドラゴンクエストの「中」という感じでしょうか。

 マリオの世界は、どれだけ頑張っても0(ゼロ)と1の電気信号です。電気信号だけで成り立っているので、無神論で無宗教です。電気以外の力でマリオが動いたり、電気以外で存在するマリオの霊なんかはいません。

 なのでマリオの世界は、めちゃんこドライです。電源が切れたらハイ、おしまい、でもあります。

 これが「宇宙の内部」のおはなし。

 一方「宇宙の外」についてはどうでしょうか。スーパーマリオの生みの親は、「宮本さん」という任天堂の方なのですが、マリオにとっては宮本さんが「神」ということになるかもしれません。

 だから「宇宙の内部」では無神論で無宗教だけれど、「宇宙の外部」には神がいるかもしれない、というのが私の立場です。

 ところが!

 スーパーマリオは「一人の神(プログラマ)」によってできたものではありません。宮本さん以外にも5人くらいは、実際に開発に関わった人がいます。
 そうなるとマリオにとって神は5柱(神様は柱で数えます)いることになります。唯一絶対神ではなく、多神教ですね。

 ところが!

 仮に5柱の神がいても、マリオは動くことができません。任天堂の社長さんとか、ファミコンの本体を作っている製造者の人とか、半導体の原料を採掘している鉱山の人とか、ICチップを作っている会社の人とか、少なく見積もっても数千柱の「人?神?が関わらないとマリオは動かないのです。

 そうすると、神々の意志、神々の命令、神々の気持ちなんてのはマリオには通じないんですね。ぶっちゃけ、とある神の一柱が「うむ、マリオの願いを叶えてやろう。すぐにピーチ姫とくっつけてやろう」と思っても、まあその思いは実現しません。

 そもそも、神が存在していたとしても、それを神一人の考えでそれを実現することは難しいわけです。


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 こうしたことは、ちょっと冷静に考えるとすぐに「あれ?なんか変だぞ」ということが明らかになります。

 仮に神様が、数千柱ではなく、たった一人の全知全能の神だったとしましょう。彼はすべてのアリンコの願いについて気をくばり、すべてのアメーバとかアニサキスとか、水虫菌とかの願いについても聞いてやらなくてはいけません。

 もちろん、人間だって大事ですが、すべての生きとしいけるものは、神様の作品ですから等しく大事です。食べられたくない!と思っているシマウマと、お腹が減って死にそう!と思っているライオンのどちらの願いを叶えるべきか、難しい問題です。

 つまり、もし意志や意識を持った神様が存在していたとしても、この宇宙や世界のすべての生き物の願いを叶えることは不可能なのですね。それは神のパワーが足りないからとかではなく、あるいは生き物が多すぎるからとかではなく、「利害が必ず矛盾するから」なのです。

 Aという存在が「願いを叶えてください!」と祈ったとき、必ず「それはBにとって不利である」ということが生じます。入学試験なんかまさにそうで「一人が受かるということは、一人が落ちるということ」なのです。

 ということは学問の神様、菅原道真はどうやって判定しているのでしょう。

A その人の努力の具合によって合否を決めている
B 早い者勝ち
C ランダム

 Aだとすれば神様は不要です。だって努力の結果、努力の積み重ねなのだもの。
 Bだとすれば不公平です。頑張っていなくても、とにかくまっさきに天満宮に入ったほうが合格するのです。まるで西宮神社の福男ですね。神は不公平なのです。

 Cだとすれば、ギャンブルです。神様がいてもいなくても結果はランダムです。

 ね?利害関係をしっかり考えてゆくと、神様の存在はおかしなことになりますよね?不公平な神か、いてもいなくても同じな神かしか存在できないってことです。

 つまり、神様とは「自己中な人間が作り出した願望」みたいなもので、「常に自分の利益誘導」だけを考えている空想、だとわかるわけです。

(だから聖書なんかでは、人間だけを特別な存在としているのです。そうしておかないと他の動物との利害関係を優先させられないので。でも現実ではクマに人間は食べられたりします。別に優先させてもらっているわけではありません)


 もし、本当の神様がいたら、やることはとてもシンプルではっきりしています。

 まず、宇宙を作る。

 そして、その宇宙の動き方に法則(ルール)を作る。

 そのとおりに宇宙を動かす。

 あとは何もしない。手を差し出したら利害関係が崩れるから。


 ということです。最初に「これでいいのだ!」と宇宙のしくみを確定させたら、あとは手だししないということです。だから人間やアメーバが何を願っても、関わりません。すでに「これでいいのだ」という設計通りに、動かしているからです。全知全能ですからね、途中で修正も不要です。

 だから食物連鎖が昔から今も続いているのです。

 もっと恐ろしいことを言いますが、たぶん神は「利害関係をも設計して組み込んだ」のです。

 「ぐへへへ、シマウマはライオンに食われちまえ」

と設計したのです。

「ぐへへへ。お魚は人間に食われちまえ」とか「お前が頑張って作った果実は、鳥に食われちまえ」とか、「よーし、水虫菌よ、お前に人間の足の裏を与えてやろう」と設計したのです。

「数万匹の精子?は?全部死ね。一匹だけは受精させてやろう。バトルロイヤルだ!一人の女をめぐって、争え!」

 かなりヤバいヤツです。なぜ人はそんなヤツに祈るのでしょう?きっと神は、ほんとうはサイコパスだというのに!


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 このように、神がいてもいなくても、結果としてこの「宇宙の内部」については、今みなさんがある世界がすべてであり、それ以上でもそれ以下でもありません。

 神はいてもいなくても、現状は変わらないので、無神論者・無宗教者などのように「神はいない」ものとして考えていっても結論は同じです。

 それでも「神がいてほしい!」と願う人は、ぶっちゃけ「利己的でエゴイスト」だと思います。

 なぜなら「神がいて、わたしを救ってほしい」と思っているからです。本当に神を信頼しているのであれば


「神様、あなたが作ったこの世界がこれでいいのだ!であれば、それを受け入れます。これでいいんですよね!」

ということ以外、思うはずがありません。

 神は、バカボンのパパなのだ、です。


(つづく)



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