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【宗教2世ごろごろケア日記10】愛着形成と宗教2世


 日曜日だったので、本当にごろごろすべきだったのだが、実は昨晩から今日にかけて、「たぶんお仕事」的な打ち合わせをずっとしていたので、バリバリ仕事モードだった(苦笑)

 むこがわさんは、本業は全然無関係なことをしているので、本来のお仕事は「営業」関係の業務(管理職)をしているのだが、ごろごろ日記的に、ここで言う2つ目のお仕事は「宗教2世のケアに関するもの」と言ってよいだろう。

 宗教2世の生きづらさ、宗教環境の問題は、親子間に生じることが多いので、どうしても親子の「愛着」の課題と領域がかぶる。
 

 実は愛着ネタは数年前にツイッターにつぶやいたのだが、その時

「愛着障害だとかと決めつけしないでほしい」

みたいな反論をされたことがあって、その時は、まあ「一方的に言いやがって」みたいな雰囲気で責められたので、「はあ、すんまへんな」とさらりと謝った記憶がある。

 けれど、ぶっちゃけ宗教環境や教義というバイアスはもちろん勘案しなくてはいけないが、それとおなじくらいに「愛着形成の問題」は根深く関係しているのだ。

 それも、よく考えると「愛着形成の問題」というのは、

『親がどのようなアプローチをした結果、その子がどんな愛着スタイルになるか』

という「親子間の問題」をベースとするから、むちゃくちゃ宗教2世環境の成り立ちと関係する。

 そんなことがわかる記事を少し引用しよう。

https://ipt-clinic.com/column/%E6%84%9B%E7%9D%80%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E3%81%A8%E6%84%9B%E7%9D%80%E3%81%AE%E4%B8%96%E4%BB%A3%E9%96%93%E4%BC%9D%E9%81%94-2

(こころの健康クリニックさんのサイトより)

 一般的に愛着形成や愛着スタイルの問題は、「子ども側」の話として書いてあることが多いが、↑では「親子の世代間の連鎖」に着目している。

 これはめっちゃ興味深い。

<親の愛着スタイル>

■ 安定/自律型 ・・・親から子への語りかけが一貫している。

■ 愛着軽視型 ・・・子を理想化する一方、その具体的根拠を示せない。

■ とらわれ型 ・・・一貫性が低く、語った内容にとらわれて、子への怒りや恐れを表現する。

■ 未解決型 ・・・分離や死別・虐待などに客観性が乏しく、非現実的な内容が入り乱れ、一貫性が生じない。

(こうした、もともとの親の愛着傾向+宗教バイアス・教義・信仰などが加算されたらどうなるのかについては、たぶん研究結果がまだない。

 ただ、非安定型の親が、宗教教義に囚われたり、あるいはそれを「善である」として子に語りを強要した場合、とてつもなくヤバいことが起きそうなことは、上の文面を見てるだけでもわかる。こいつはヤバいぞ)


 さて、次はどこのサイトや記事などにも載っている「子側」の愛着スタイルについてである。

<子の愛着スタイル>

■ 安定型 ・・・親への距離が近く、家族への情緒態度が一貫している。

■ 回避型 ・・・分離(離れること)などの危機でも苦痛を表現せず、親や家族に対して回避行動を取り続ける。心の距離が縮まる可能性が低い。

■ アンビバレント型 ・・・分離のち再会の際、ほんとうは不安がおさまるべきなのに、気持ちが安定せず、対象に怒りをぶつけてしまうなど、整合性や一貫性が低い。

■ 無秩序/無方向型 ・・・近寄りたいのか離れたいのかどっちつかずの態度。場違いな行動、かたまってしまう、おびえなど不可解な行動をとる。


(4類型を3つくらいに簡易分類しているものもある。不安型など、呼び方が違う場合も)


 さて、簡単に読み取れば、確率的には、4×4で16パターンぐらい起きそうに思いがちだが、実際には心理学は統計学なので、ある程度の「親子間の伝達」が起きているらしい。


 わかりやすく言えばそのまま親子でパターンが継承される確率は66%ぐらいだそうだ。

■ 自律安定型の親 → 自律安定型の子
■ 愛着軽視型の親 → 拒絶・回避型の子
■ とらわれ型の親 → 不安・アンビバレント型の子
■ 未解決型の親 → 無秩序・無方向型の子

みたいな感じ?

 このあたりの統計上の数字は、そこまで深く考えなくてもいいと思うけれど、

『自分の親の本来の愛着傾向』
『宗教バイアスによってそれがどういう方向へ強化されてしまったか』
『それによって自分がどんな愛着傾向を持っているか』

なんかを自分で整理してみると「セルフケア」の一端になるかもしれない。

 これらも、それぞれの類型にかっちり分けられるものではなく、多少領域がかぶる、重なるので、ざっくりとの把握でよいと思う。

 仮に、親が

「宗教教義に従う子を理想と考えていて、実際には子がそれに値しない場合」があったりしたら愛着軽視が始まるだろう。

 ただ、実際にはこんなシンプルにはいかない。たとえばキリスト教系宗教なら「愛すること」と「神に服従すること」を強要するだろうから、子に対しては

「常にアンビバレントな教えや対応をとる」だろう。

 こうした生活が繰り返されれば、子どもは「回避と不安」に苛まされてゆく。

 さて、問題は、これが「本来の父母の姿」なのか、それとも「宗教バイアスによって負の強化を受けた姿」なのか、というあたりだ。

 子どもからみれば、今度は

「もし宗教がなかったら父母はどんなだろう?」

といった希望を抱く。そのあたりを突き詰めればつきつめるほど、子どもの心はバラバラに引き裂かれてゆくことは想像に固くない。

 これはめちゃくちゃヤバい話なのである。子どもの気持ちを思うと、そりゃあ泣けてくる。

 親の対応が、そのまま子どもの心を引き裂き続けているわけだ。そんなもんを子どもがまともに食らったら、耐えられるわけがなかろう。

(愛着形成は赤ちゃんから2〜3歳ごろまで強化されてゆくという説もある。となると、あとから入信した親を持つ2世とかより、生まれながらの3世が置かれた環境は、ものすごいヤバいものだとわかる。赤ちゃんの愛着形成から、全部が不全になるからだ)


 とまあ、考えれば考えるほど重たい話になってしまったが、もしあなたに心の余裕があって、昔の1世の親の状況と、2世である自分の愛着についてイメージを働かせることができるなら、今日の話を自分に当てはめて振り返ってみてほしい。

 なんらかの心の整理に役立てば幸いである。

 ああ、今日もハードな話だった・・・・涙。

  

(つづく)













 




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