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【宗教2世ごろごろケア日記13】宗教2世とタイムマシン


 宗教2世問題というのは、 ”いま親が宗教に属していて、自分もその宗教下にいる「こども」たちの問題” でもあるのですが、それは実はあまり表に出てこず、家庭内に隠されたような状況になっています。

 ですので、そうした「今、宗教下にある」こどもたちについては、そのままでは「隠されたハコの中」になってしまうので、なんと恐ろしいことに『問題が表面化しない』、という特徴があります。

 たとえば、こどもたち本人は困っているのだけれど、どこにもSOSを発することができず、SOSを外部からキャッチすることもできない、ということが起きているわけですね。

 なので、こうした状況下にあるこどもたちについては、何か別の方法(たとえばプッシュ型)でアプローチしなくてはいけないのですが、そのあたりの支援の話については、また別の記事でしっかり説明しようと思います。


 なぜ、こんな話を冒頭に持ってきたかというと、現在宗教下にある子どもたちの話が表に出てこないのであれば、当然ながら逆に言えば

「今、宗教2世問題として表に出てくる話は、すべて(たいていは)大人になった2世たちの、こども時代の話だ」

ということになるからです。


 なので、メディアに出てくるものもそうだし、あるいはツイッターやブログなどで書かれるものもそうですが、9割方は

「過去の自分の境遇」

について述べたものになるのです。


 さて、宗教2世にとっては、その「過去の自分の境遇」が、現在の自分や、あるいは未来の自分にとても影響を及ぼしており、その影響の大きさに恐れおののいている、という構造になるでしょう。

 なので、過去・現在・未来を行き来しながら、自分の心に手当を施してゆく必要があると感じます。


 私がこの宗教2世問題について、じっくり考えるようになって最初に思ったことは

「タイムマシンがあったらなあ!」

ということでした。

 たとえば宗教によって虐待が生じたり、親子関係にゆがみが生じたのであれば、タイムマシンさえあれば、何かその時点に戻って、歴史を修正できたかもしれない!という自然な思いです。

 しかし、これは当たり前のことですが、「タイムマシンは存在しない」ので、とても悲しいことに、過去についてはどうすることもできないと、気付かされたのですね。

 本当にこのことは、二重の意味で重たく、そして悲しい話で、

「まず、その人の過去の出来事について泣く」
「そして、それがどうにも取り戻せないことについても泣く」

ということの連続でした。

 そんなおり、うちの当時小学1年生の末娘が

「泣くな!おとこだろ!」

と背中を叩いてくれたことを思い出します。


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 タイムマシンは存在しない、という当たり前のことに気付き、そのあと考えたのは過去に失われていたものを「現在において補填する・補完する」という方法でした。

 これは、本来であれば「親からの無償の愛」を受けるはずだった期間を補填・補完するわけですから、基本的には外部からの注入である、「他者からの無償の愛」が必要になります。

 これはこれで、一つの理論としては確立してゆくのですが、

「親以外から、無償の愛をもらうこと、受け取ること」

というのは、大事なことで、失われたものを取り戻すには効果的な手段だと思います。

 ただ、これには問題があって、そうそう都合よく「愛のある第三者」と出会えるとは限りません。そうした人と出会えたのであれば、それはとても幸運なことなのですが、実際には「愛を求めてさまよった結果、悪意ある誰かに搾取される」ということも起きがちなので、なかなか難しい方法だとも思っていました。

 この一連の動きは、一般的には「理解のある彼くん」に出会えるか問題として、ネット上では有名なネタにもなっていますね。

 メンヘラ女子に「彼ピッピ」が現れ、世界最強の「理解ある彼くん」になってくれるのか問題として、もはや文学の領域です(苦笑)



 では、過去に傷ついた宗教2世が、ある程度自分で、セルフケアをするにはどうしたらいいのでしょうか?

 今回再び気付いたのは、やはり「タイムマシンを使う」ことでした。

 ただし、そのタイムマシンは、かつて欲しがったものとは異なります。

 あなたは現在の姿形のまま、タイムマシンに乗り込んで、「あの日の自分」に会いにゆくのです。けして、あの日の自分をやり直すためのタイムマシンではなく、

「あの日の自分をしっかりと見にゆく」

ためのものだ、ということになるでしょう。

 前回のごろごろケアでも書きましたが、「何歳の自分が泣いているので、何歳の自分を抱きしめる」という方法に効果があるのではないか?と多くの人の話題になっているところです。

 タイムマシンに乗って、あの日の自分がどういう状況で、何を感じていて、ほんとうは何を願っていたのかを、もういちど確認して納得してくる、という作業が、

「宗教2世のケアのための、いちばん最初の作業」

だということになるでしょう。

 


 ただし、ここで注意すべきなのは、タイムマシンに乗って見に行くだけですから、ずっとそこにとどまらないことです。

 あくまでも、あなたは現在の姿をしていて、そこには過去の自分がいる。二人はけして一体にはなれず、別々の存在です。

 過去に何かを得られなかった自分、可哀相な自分、渇望している自分だけを追いかけてゆくと、それはワナで沼のように、引きずり込まれてしまうおそれがあります。

 タイムマシンを降りてしまい、泣いている自分のそばに居続けることは、その時空にずっと閉じ込められることを意味します。

 だから、泣いている過去の自分をぎゅっと抱きしめて、そしてかならず、タイムマシンに戻ってきてほしいのです。現在へ、そして未来へ戻るために。



 それから、タイムマシンの使い方の大事なポイントは、「自分でダイヤルを未来に合わせる」ということだと思います。

 現在と過去を行き来することはできるようになりました。そこから「未来へ」意識を変えてゆくことも、大切だと思います。


 これらの作業は、もちろん一人でもできますが、「ドラえもん」がそばにいてくれるだけでも全然安心感が違います。

 そのドラちゃんが、誰に相当するのかは、ぜひご自分でも探したり考えたりしてみてください。公的な人である場合もあるでしょう。私的な友人である場合もあるだろうし、それこそ先程出てきた「理解のある彼くん」かもしれません。

 


 漫画「ドラえもん」のお話では、最終目的はのび太くんがしずかちゃんと一緒になるということでした。

 もちろん、人によっては、タイムマシンに一緒に乗ってくれる人が、未来の彼くんやパートナーである場合もあるでしょうし、そうではない場合もある、ということです。


 これは関係が深いようでいて、実は別々の話で、「泣いている何歳の自分」を抱きしめてくれうるのは、本当は「父母」であり、その代理としてのドラちゃんなので、それが別に異性であったり、パートナーであったりする必要は全然ない、ということなのですね。


 こうして考えてゆくことで、宗教2世ケアの基本的な方法が、見えてきたと思います。

■ タイムマシンにちゃんと乗る。
■ ちゃんと現在へ帰ってくる。
■ ドラちゃんがいれば、その助けを受ける。
■ あるいは、自分にとってのドラちゃんの存在に気づく。
■ 未来へダイヤルを合わせる。
■ しずかちゃんと一緒になる。


 最後が「しずかちゃん」なのは、とても意味のある暗喩です。それは、二人が一緒になることで、「新しい世代」へと繋がってゆくことを暗示します。

 宗教2世を取り巻く物語では、いくつかのポイントで、「世代間の悪循環を断ち切ったり、過去を断ち切ったりする」必要がありますが、最終目標は

「次の世代に、遺恨を持ち越さない」

ということです。

 次の世代、次のこどもたちには、愛のある環境を作ってゆこう、ということが最終目標ですから、ぜひそれをイメージしてみてほしいと思います。


 もちろん、自分の代ですべてを終わらせる、という気持ちの人もいることでしょう。それはそれでOKと思います。その場合は、自分のいきいきとした未来をぜひ思い描いてみてください。

 過去もひどい状態で、現在もひどい状態で、未来もひどい状態であるのなら、こんなに悲しいことはありません。

 過去に囚われても、現在に囚われても、未来に希望がなくても、それだとどこの時空にいても同じことになってしまいます。

 そんな呪いのようなものは、振り払ってほしいと思います。

 未来には希望がある、それが私があなたに伝えたいメッセージだからです。

 そのためにであれば、私はあなたの、そして誰かのドラえもんになります。ちょうど、体型もそんな感じなので(笑)

 ぼく、ドラえもんです。


(おしまい)






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