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私の家族

能登半島地震により被害を受けた多数の人、大切な人を失った人、哀悼の意を表します。

被災地で取材を受ける人は家族や親戚の安否を気にしている事が多いように感じる。
また震災被害だけでなく成人した人間が「親のため」と親を労う姿を示すが、私はそれに大きな違和感を覚える。

私は一般家庭で生まれ育った。
肉体的暴力は多くなく、体にあざを作られたことはない。
その反面実家にいる間は絶対服従を強いられる環境だった。
実家の独自ルールは厳しく、楽しい思い出なんてひとつもない。
実家を出るまで私は心の底から「ありがとうございます」と思っていたわけだが、一人暮らしを始めた瞬間に世界の広さを知り、実家の異常さに気づいた。

私は一体何が一番嫌だったのかとか、そういうことに言及する事ができない。
ただ漠然と全てが嫌だったし、何も楽しいことのない幼少期や学生時代を過ごした。
息を殺して生活しても怒鳴られるだけの日々の何が楽しいのか。
これより恵まれない子供がいることが私にとってなんの慰めになるのか。
甚だ疑問だし、現時点で私の養育歴に救いをもたらしたものは何もない。

両親と連絡を取ることはない。
地震があった時安否確認をしようなんて欠片も思わない。
葬式に出るつもりも、遺産相続するつもりも、全くない。
三つ学年が下の妹に全て任せて全てを譲るつもりでいる。
実家には私の居場所なんかなく、帰省したところで私は実家の敷居を跨ぐことは許されないので意味がない。これは妄想ではなく実際に親に言われたことなので歴とした事実である。

楽しい思い出がひとつもなく、家に入れてもらえることも金輪際なく。
そんな関係性の両親の安否を気にしろという方がおかしいのだ。
もはや「早く死んでくれ」とすら思わない。
私は両親に対して「無関心」そのものなのである。

しかしそこまで考えて私はハッとした。
今の私にとっての家族は両親ではないのだ。
私は囚われていた。
家族=実家を指す言葉だというイメージに囚われていた。
それは大きな間違いだ。

私には新しい家族がいる。
衝突することもしばしばあるけれど、愛してやまない家族がいる。
どんなに心がモヤモヤしても、嫌いだと思ったことのない、かけがえのない存在がいる。

私は想像した。
あゆむがもし被災し、逸れてしまったら。
安否が分からなくなっていたら。
万が一自分だけ助かってあゆむが亡くなってしまったら。

私はそこでようやく、被災地の方々の「家族を亡くした」という言葉の重みに寄り添う事ができた。
それは苦しく悲しく、言葉にしてしまってはあまりにも軽すぎて、実感と言葉の差に愕然としてしまう状況なのではないかと。

胸が締め付けられるような、
胸が押し潰されるような、
喉を何も通らず、
もう自分を迎えにきてくれと願わずにはいられない。

そんな状態なのではないか。
失ったものを埋めることは容易くない。
あゆむを失うことを考えるのは、数十分でも辛く悲しいことだった。
これが現実になってしまったら私はどうするだろう。
助かった命の何を喜べるだろう。

私たちは散骨すると決めている。
遺骨を墓に埋めることはしない。
子供は産まないし、万が一子供を迎える事があっても、親の墓の管理を託すことはできない。それが迷惑なんじゃないかと、私は考えるから。

生活保護に養ってもらっている身で出来る被災者支援は何か。
私は生活するお金がなくなるほどの募金をする勇気はないが、それでも何か案があれば前向きに検討したいと考えている。

誰にとっても命は永遠ではない。
今の幸せが永遠に続くことは絶対にない。
だから愛おしいという気持ちには、刹那的尊さがある。
今しかない、今しか触れられず、愛を伝えられないなら
私は恥を忍んで好きだと伝え続けたい。