未来の自分に贈る恋唄を、今のわたしがせっせと紡ぐ

恋はいつか風化するのか。答えはYESなような気がしている。だって世の中にそんな空気が流れているから。まだ私には経験がないからわからないもので、けれども不意に不安は訪れる。


美容室の帰り道、自由が丘で10代から60代くらいのたくさんの女性とすれ違った。未来に純粋な恐れと憧れを持ち、内側から輝くことをやめられなかった10代はもう去った。私はこれから歳を重ねていく間、どれほど自分のことを磨き続けられるだろう。

自分が綺麗になる姿を、どれだけすぐに恋しい人に見てもらいたいと思えるだろう。

色落ちして黄ばんだ金髪と化したインナーカラーを染め直し、白に近い金色の髪を手に入れた。外側の緑がかった黒とのコントラストが眩しくて、そのまま真夏の海まで走れそうだった。月曜日じゃなくって、金曜日だったらすぐに彼にも見せられたのに。そう思いながら帰路に着く。次のデートが楽しみだと、彼からLINEが届いていた。

私の中で、相手に向かう気持ちがしゅんとしぼんでしまう時が来たら、私たちはうまくやっていけるだろうか。それはいわゆる倦怠期というやつで、きっと長く一緒にいれば誰にでも訪れる。ましてや夫婦になったら、ずっと付き合いたての関係でいるのは難しい。

生活や子育ての荒波は激しく、わたしたちに疲労や苦労といった困難をふりかけてくるんだろう。子育て中なのに自分だけ外で飲んでくる夫とか、シンクいっぱいに溜まった食器とか、これから数十年間で積もるだろうためいきを私は今から鮮明に想像できてしまう。

それはきっと相手選びの問題だけではなく、どんな人とでも起こりうる。お互い経験したこともなく想像もついていない「家族」を背負っていくのだから、当然とも言える。


でもそんな時にもし、付き合った当初のキラキラとした思い出があれば、それは私を救うのだろうか。

彼が初めて手を握ってくれた渋谷の夜や、居酒屋でも家でも平然と言ってのける歯の浮くような甘い言葉や、「まゆちゃんかわいすぎるよ」と私を見つめるまつ毛の長い瞳や、お互いの家を行き来した週末の積み重ねは、数年後、数十年後の私を倦怠と落胆の渦から引き上げてくれるのだろうか。

わからない。それはその時にならないと、わからないことだと思う。

逆にめちゃくちゃにムカつくのかもしれない。その時にはおじさんになって禿げてデブになった相手を見ながら、昔はあんなに良くしてくれてたのに!と憤るだけかもしれない。あの時は自分からいっぱい家事を引き受けてくれたのに嘘つき!となじるかもしれない。

けれども、きっと彼と私の間に流れている時間の記憶は関係を支え続けるとも信じている。人は変わるものだけれど、どれだけいい時も大変な時も向き合い、あるいは寄り添ってきたのかを大切にしたい。

だからなんてことのない日常を、たくさん残してあげたいと思う。未来の自分のために。自分に起きていた青春をとりこぼさないように。

昨日彼は言ってくれたよ。私がいちばん優先なのだと。カーテンで仕切られた半個室の居酒屋で、横では同い年くらいの男子グループが飲み明かしているのにそんなことを言ってのける彼に赤面した。お酒を飲むとすぐに顔に出る彼の方が真っ赤だったはずなのに、その時の私の方がきっともっと体を火照らせていた。

新婚旅行はタヒチに行こう。婚約指輪はいらないよといった私に、彼はそういったけれど、未来はどうなりましたか。彼の手は今でもあたたかいですか。私の髪にはいつまでインナーカラーが揺れていますか。

私は、彼は、幸せそうですか。その景色を楽しみにしていてもいいですかと、未来のわたしの背中を押したい。



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忘れられない恋物語

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